新快速停車駅であるJR石山駅と接続し、京阪石山坂本線内で最多の利用客数を誇る京阪石山駅の一駅南に位置する、石山坂本線の相対式2面2線の地上駅。
古くからの軍事・交通上の要衝であった日本三古橋の一つ・瀬田の唐橋の最寄駅として1世紀以上の歴史を有し、開業から1か月だけ終着駅であったというトリビアも残されている。
数多くの文学作品にも取り上げられる「瀬田の唐橋」の情景は、その波乱の歴史の哀愁感によって一層引き立てられる美しさを誇っている。
そして、さらにその東には、古代の英雄・ヤマトタケルを祀る近江国一之宮・建部大社も擁しており、軌道線のコンパクトな駅ながら、見どころ満載の周辺環境を有する魅力的な駅である。
外観・駅周辺
新快速停車駅であるJR石山駅と接続し、京阪石山坂本線内で最多の利用客数を誇る京阪石山駅の一駅南に位置する唐橋前駅。その北側を望む。
2両編成の軌道線ならではのコンパクトな駅舎。
それでも1914年(大正3年)の開業から1世紀以上の歴史を有し、しかも当初1か月間は何と終着駅だったというトリビアも残されている。
その唐橋前駅の北側を走る道路を東に向かうと、、、
駅からたった100mのところに、日本三古橋の一つである「瀬田の唐橋」がある。まさに唐橋が目の前にあるから唐橋前駅なのである。
これを制する者は天下を制すると称された日本三古橋の一つ・瀬田の唐橋
この朱塗りが鮮やかな「瀬田の唐橋」は、「勢多の唐橋」や「瀬田の長橋」とも言われる全長260mに及ぶ橋で、宇治橋・山崎橋と並んで日本三古橋の一つとされる名橋である。
そして、「歴史をきざむ日本の名橋」として日本の道百選にも選定されている。
東海道方面から京都に向かうには瀬田川を渡る必要があり、そこに唯一かかっていたこの唐橋は、「これを制する者は天下を制する」と言われるほどの軍事・交通上の要衝であった。
その瀬田の唐橋上から西の唐橋前駅方向を望む。
軍事上の関所的役割を担っていた当橋は、壬申の乱・承久の乱等の幾多の戦乱の舞台ともなり、破壊・再建の波乱の歴史をかいくぐってきた橋でもある。
その波乱万丈の生い立ちもさることながら、何と日本書紀にも登場するほど古来からその美しさが称えられており、「近江八景」の一つにも数えられ、多くの文学作品にも登場している。
その瀬田の唐橋から北の琵琶湖方面を望む。言葉にならない美しさに目も心も奪われてしまう。
今度は反対の南方向を望む。こちらも瀬田川と伽藍山(がらんやま)のあまりに美しいコラボレーションに、日常の濁り切った心が浄化されていく。
ヤマトタケルを祀る近江国の一之宮・建部大社
瀬田の唐橋だけでも十分なのだが、唐橋前駅にはもう一つ大きな見どころがある。唐橋を渡って東に進むと、、、
姿を現した建部大社は、何と近江国の一之宮、つまり滋賀で最も社格の高い由緒ある神社なのである。
この建部大社は、何と西暦316年(景行天皇46年)に日本古代史の英雄・ヤマトタケル(日本武尊)を祀ったことに始まったとされている。
その由緒正しき建部大社の一の鳥居。
当初は神崎郡建部郷(現・東近江市五箇荘付近)に創建されたが、675年(天武天皇4年)に現在地に遷座したとされている。
一の鳥居から続く参道を左に折れたところにある二の鳥居。
豪族征伐の任を果たした後に若くした逝去した英雄・ヤマトタケルは、その死を歎いた父・景行天皇によって「建部」の名代を授けられたと「日本書紀」では記されている。
しかし、もう一つの歴史書である「古事記」では、ヤマトタケル・景行天皇間の親子関係は少々複雑で、タケルの逝去の知らせを聞いて訪れたのは父・景行天皇ではなく御后や御子たちであったらしい。
実在性も含めてどちらが真実かは定かではないが、天皇賛美色が強い「日本書紀」と物語・浪漫的要素の強い「古事記」との違いが垣間見える一説である。
そして、これが二の鳥居をくぐった先にある、境内と神域の境を示す神門。さすが一之宮たる荘厳さに溢れた門構えである。
そして、神門をくぐった神域の中心に君臨する、まるで生きているかのような佇まいの拝殿。
その手前にある「三本杉」は、755年(天平勝宝7年)に大己貴命(おおなむちのみこと)を大神神社(おおみわじんじゃ)より勧請した時に一夜にして成長したと伝えられる御神木である。
壮大な歴史を感じさせる本殿に、綺麗に整備された石庭。まさに近江の国の一之宮にふさわしい威厳と風格を備えた素晴らしい神社である。
改札口・コンコース
改札口は、坂本方面行きホーム側に1か所ある。
安全上の理由から今ではなかなか見ることが出来なくなってしまった構内踏切が、地域輸送を担う軌道線としての魅力を醸し出している。
乗り場
ホームは相対式2面2線の構造。
ホーム北端から浜大津・坂本方面を望む。隣の京阪石山駅から1キロも離れていないため、石山駅周辺の住宅街がここまで伸びている。
ラッキーなことに、2016年(平成28年)3月で運行終了となる、旧京阪特急色の600系・坂本行きにお目にかかることが出来た。
その600系の後ろ姿。現在の京阪特急は上下の配色が逆になっているが、自分のようなおじさん世代にとって「京阪特急」と言えば、やはりこのカラーリングなのである。
当駅の利用客数は1日約2000人ほど。
魅力的な観光名所を擁する駅であるが、観光客は石山駅からのバス利用が多数を占めているようで、当駅は生活路線の駅としての色彩が強い。
西側ホームにやってきた700系の近江神宮前行き。
石山坂本線は、坂本ー石山寺間及び近江神宮前ー石山寺間がそれぞれ15分間隔で運行されており、利用の多い浜大津以南は毎時8本と利便性の高いダイヤとなっている。
西側ホーム後方は柵が設けられていない、ちょっとしたアナーキーゾーンとなっているが、、、
そこは、実は三田川と呼ばれる淀川の支流が線路下を流れていたりする。
この三田川は、さらに南に分岐している支流と駅東側で合流し、「瀬田の唐橋」架かる壮大な瀬田川へと流れ込んでいく。
数多くのラッピング車が見られるのも石山坂本線の魅力の一つとなっており、やってきた600系石山寺行きは「大津市福祉協議会ふれあい号」ラッピング車だ。
一時廃線が取りざたされた当線だが、経営改善と地元密着策が奏功し、現在は収支が大幅に改善しているようだ。
京阪石山から石山寺間は、南北にまっすぐ伸びる美しい線形となっている。
上の写真の場所から南方向を望む。次の駅である終点・石山寺駅までは、700mほどの距離しかなく、石山坂本線のきめ細かさが伺える。
しかし、1937年(昭和12年)までは、その駅間距離の石山寺駅との間にさらに「螢谷駅」という中間駅が存在したというのは、知られざるトリビアかもしれない。
えきログちゃんねる
[まもなくラストランを迎える旧京阪特急色]石山坂本線600系坂本行き発車風景@唐橋前駅201603
[京阪・瀬田の「唐橋前駅」]石山坂本線600系石山寺行き入線風景201603