滋賀県最大の商業都市の駅・草津駅の3駅北に位置する、琵琶湖線(東海道本線)の2面3線の地上駅で、駅北側に車両基地を有する新快速停車駅。
近江八幡駅周辺の反対で頓挫した車両基地設置を受け入れたことで、始発・終着列車が多数設定され、大幅な知名度向上の恩恵をもたらす運行上の境界駅へと大転換を果たす。
駅前の再開発は難航しているものの、その広い未開拓地から望む野洲のシンボル・近江富士の大眺望に加え、かつて存在した貨物ホームと廃線跡のレトロな哀愁感も味わえる魅力満載の駅となっている。
目次
外観・駅周辺
滋賀県最大の商業都市の代表駅である草津駅から3駅北に位置する、JR琵琶湖線(東海道本線)の快速系統の運行上の境界駅である野洲駅。
よく「のす」と間違われるが「やす」と称するやや難読の部類に入る当駅の北口を望む。
その北口からは、そのなだらかな稜線の美しい姿から「近江富士」と名付けられた、野洲のシンボル・三上山の絶景が堪能できる。
1日3万人弱の人が利用する新快速停車駅である当駅だが、駅前には目立った商業施設は無く、滋賀県の駅前お決まりの平和堂・アルプラザは、駅から約1キロ南東に存在する。
その代わりに、駅北側には京セラ・オムロンの国内最大級の規模を誇る大事業場が控えている。
元々は1971年(昭和46年)に設立された旧日本IBMの野洲事業所で、天皇陛下もご訪問されたことのある有名な製造拠点であったが、昨今のリストラによって京セラに売却されたらしい。
一方の駅南側は、真新しい駅前ロータリーとなっているが、2014年(平成26年)4月にリニューアルされたものである。
実は野洲駅南口には、かつてアサヒビール・モルトの本社・工場が存在していたが、1889年(平成元年)に近江富士(三上山)山麓付近に移転し、広大な未開拓地が残る状況であったらしい。
そして、野洲市合併前の旧・野洲町が大規模な再開発計画を立てたが、自社開発を主張した土地所有者であるアサヒビールと折り合わず、計画が頓挫した。
しかし、その後もアサヒビールによる開発が実行されないまま、2010年(平成22年)に自社開発を断念した同社から野洲市に土地買い取りの打診が行われ、その2年後の2012年(平成24年)に同市に所有権が移転される結果となった。
そうして紆余曲折を経て、この広大な未開拓ゾーンが今度再開発されていくことになるが、色んな思惑が交錯しまだ具体策は出されていないようだ。
その野洲駅北口から南東の近江富士方向に伸びる県道150号野洲停車場線。
これが野洲の目抜き通りとなっており、滋賀県お決まりの平和堂・アルプラザも、この通りを1キロほど進んだところにある。
近江富士をそのシンボルとする野洲市は、2004年(平成16年)に中主町と野洲町との平成の大合併によって設立された市だが、市名制定に際して「野洲」が採用されたのは、その駅の知名度に起因する要素もあるようだ。
改札口・コンコース
当駅は1891年(明治24年)に官設鉄道(東海道本線)の八幡(現・近江八幡)-草津間の新駅として開業した歴史ある駅で、1970年(昭和45年)に橋上化されている。
長らく当駅は普通の中間駅の存在であったが、その立ち位置に変化が訪れたのが1966年(昭和41年)。
高度成長に伴う東海道本線の輸送力増強への対応の一環として、高槻電車区の支所である高槻電車区野洲派出所として5本の電留線が設置された。
改札内コンコースから望める当駅北側に当初5本存在した電留線は、大阪万博開幕直前の1969年(昭和44年)に「野洲電車区」として18本にまで増強され、当駅始発終着列車が多数設定される運行上の境界駅として、その名が一躍有名となった。
時刻表
琵琶湖線:草津・京都・大阪方面
当駅は大阪から約70km離れているが、爆速新快速がたったの1時間弱で走破してくれるため、当地への通勤圏となっている。
京都・大阪方面の日中は新快速が毎時3本と、高槻から快速になる普通が毎時4本の計毎時7本体制。
うち普通の半分と新快速1本が当駅始発で、普通含めてすべての電車が京都まで先着する。
新快速が毎時3本なのに20分間隔となっていないのは、湖西線から毎時1本が合流して山科駅以西で毎時4本体制となるためである。
琵琶湖線:米原・長浜・大垣方面
当駅北側に車両基地を有している関係で、快速系統の運行上の境界駅となっている当駅は、大阪・京都方面からやってくる普通の半分と新快速の1本が当駅止まりとなる。
従って、日中は新快速・普通ともに30分間隔での運行となり、普通電車も終点の米原まで先着する。
新快速は米原から北陸本線に入り、長浜行きと湖西線との接続駅である近江塩津行きが毎時1本ずつ運行されている。
乗り場
ホームは2面3線構造。
当初は当駅よりも利用客が格段に多い2つ先の近江八幡駅付近に車両基地を設け、同駅を運行上の境界駅とする予定だった。
しかし、古くからの観光都市で基地用の用地が拠出できなかった同市の反対で、そのお鉢が回ってきた当駅が運行上の境界駅となるとと共に、知名度向上の恩恵も被ることとなった。
【1番のりば】琵琶湖線:草津・京都・大阪方面
一見普通の2面3線構造の駅に見えた当駅だが、実は1番のりばホームの西端に向かうと、、、
何と切り欠き構造のホームが現れる。
現在は柵が張られて進入禁止となっており、線路も長らく使用されていない状態だ。
実は、このホームは1972年(昭和47年)まで行われていた貨物取扱用のホームらしく、おそらく駅南側に存在していたアサヒビール・モルトの工場とも直結していたと思われる。
そして、その廃線・廃駅跡に加え、1番のりばと2番のりばホームの間が不自然に空いている空間には、やはりホームの無い中線が存在していたらしい。
単なる2面3線の駅ではない、歴史の形跡を残る萌え萌え空間が存在していたのだ。
その1番のりばに、223系の新快速姫路行きがやってきた。この野洲の地に新快速電車が乗り入れてきたのは、1985年(昭和60年)のことらしい。
しかし、当時は朝夕のみ運転で、かつ草津からは各駅に停まり、終点も彦根までであったらしい。
その後、1986年(昭和61年)からは日中も彦根行きの新快速が毎時1本運行されるようになり、各駅停車であった草津ー彦根間も停車駅削減が行われ、当駅は晴れてその停車駅に当選した。
今度は、2番のりばホーム東端から篠原駅との間にある車両基地方向を望む。この2番のりばの線が、1番のりばと3番のりばに繋がる配線となっている。
2016年(平成28年)3月で廃止となる播州赤穂行きの新快速と遭遇した。
この列車は当駅始発だが、新快速は当駅始発の場合でも1番のりばから発車する。
【2・3番のりば】琵琶湖線:米原・長浜・大垣方面(一部当駅始発の京都・大阪方面)
2・3番のりばは「米原・大垣方面」の表記となっているが、米原以東の東海道本線はJR東海管轄となることもあり、2016年(平成28年)3月のダイヤ改正をもって、大垣方面への直通列車は廃止される。
外側の本線である3番のりばに、221系の普通米原行きがやってきた。
その普通が次の篠原駅に向かって発車。琵琶湖線内の日中は、普通が新快速の追い抜きを受けない逃げ切りダイヤとなっている。
3番のりばの外側には、ホームの無い線路があるが、普段は使われていないようで、当駅通過列車もホームのある3番のりばを通過していく。
次に内側の2番のりばに、当駅止まりの普通電車がやってきた。
当駅以東へは、その直後に3番のりばにやってくる新快速への乗換られる利便性が図られている。
やってきたのは、223系の新快速近江塩津行き。米原から4両編成となって北陸本線に入り、湖西線との接続駅である近江塩津まで向かう。
当駅止まりの電車は、2番のりばで乗客を降ろしたのちに、一旦駅北側にある車両基地へと回送される。
当駅の利用客数は1日約28000人。
元々車両基地を設置する予定だった3駅北の近江八幡駅より1万人ほど少ないが、運行上の境界駅として地位が奏功し、微増傾向にある
表記上は米原・大垣方面行きホームとなっているが、2番のりばからは、30分間隔で運行される当駅始発の普通電車が発車している。
その2番のりばにやってきた、223系の当駅始発・普通神戸方面加古川行き。新快速の約5分後の発車し、京都まで先着する。
ホーム西端から守山・草津方面を望む。かつて賑わいを見せていたであろうアサヒビール工場に隣接する、廃線となった貨物線の哀愁感が癒しの雰囲気を漂わせている。
えきログちゃんねる
[JR野洲駅]新快速姫路行き発車直後に車庫から入線する当駅始発の普通加古川行き201603
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