京都市と宇治市の市境を形成する山科川東岸にあるJR六地蔵駅に隣接する島式1面2線の地下駅で、地下鉄東西線の終着駅。
京都市営地下鉄唯一の京都市外にある駅で、宇治・京都両市の木が並べられ、JR・地下鉄両駅が誕生して大変貌を遂げた億ション擁する駅前に花を添えている。
大正時代から存在する元祖・六地蔵駅である京阪宇治線・六地蔵駅は、山科川を挟んだ西岸の京都市側にあり、その興味深い駅名の由来と共に、非常に興味深い位置関係が楽しめる駅となっている。
目次
外観・駅周辺
【京阪六地蔵駅方面の駅南口】
JR奈良線と京都地下鉄東西線が接続する六地蔵駅。その南側の駅前広場を望む。
背後にそびえる「パデシオン六地蔵 ザ・タワーレジデンス」は、京都には珍しい19階建ての高層マンションで、最上階は中古でも億ション並の好物件らしい。
京都地下鉄東西線の六地蔵駅は、その駅前広場の西側にある。
この地下鉄六地蔵駅は、1997年(平成9年)の京都地下鉄開通から7年後の2004年(平成16年)に開業した新しい駅である。
六地蔵駅は、京都市営地下鉄における唯一の京都市外の駅となっており、宇治市への乗り入れを記念してか、京都市・宇治市両市の木が植えられている。
JR奈良線の六地蔵駅は、地下鉄の駅と反対側の駅前広場東側にあり、両駅は屋根付きの通路で結ばれている。
宇治市六地蔵に存在する当駅だが、この六地蔵の地に駅が出来たのは1992年(平成4年)。100年以上の歴史を持つ奈良線にしては非常に新しい駅だ。
地下鉄とJRの駅が隣接する六地蔵駅だが、ここから少し離れた場所に、実はもう一つの六地蔵駅である、京阪宇治線の駅がある。
その京阪六地蔵駅へは、地下鉄六地蔵駅を西に出て、駅前の閑静な住宅地の間を抜け、、、
山科川を渡った南西側数百メートルの位置にある。この山科川は市境となっており、川向こうの東側は京都市域に入る。
その山科川にかかる橋から北方向を望むと、JR奈良線を走る往年の名車103系の姿を拝むことが出来、、、
一方の南側には、京阪宇治線の新型車両10000系の姿を堪能することが出来る。
そして、その橋を渡った先にある京阪宇治線の六地蔵駅。
ここは宇治市六地蔵ではなく、京都市伏見区桃山町にあたるが、この京阪六地蔵駅が今から100年以上前の1913年(大正2年)から存在する元祖・六地蔵駅なのである。
【六地蔵の由来となった大善寺方面の駅北口】
JR・地下鉄六地蔵駅北側にある六地蔵奈良町交差点。この交通量激しい交差点を左側(西)の京都外環状線方向に向かう。
激しい交通量の喧騒感を癒してくれる山科川の美しい情景が味わえる。
川の東岸には、京都最後の近鉄百貨店・桃山店跡地に2015年(平成27年)4月にオープンした複合施設「MOMOテラス」の姿が見える。
その外環状線を西に進んで京都市域に入ると、これまた、喧騒激しい道路脇にある浄土宗・玉泉寺の美しい桜の光景が、日常の雑音を癒してくれる。
そして、そのまま南に折れる外環状線に沿ってしばらく進むと、JR奈良線の高架を超えた六地蔵交差点の北西側に「六地蔵尊」と記されたお寺を発見。
「六地蔵尊」を称するこの寺院は正式名称を「大善寺」と言い、705年(慶雲2年)に藤原鎌足の子・定慧(じょうえ)によって創建された歴史ある寺院らしい。
百人一首の参議篁(さんぎのたかむら)で有名な平安時代初期の文人・小野篁(おののたかむら)は、一度息絶えて蘇った後に、一本の木から六体の地蔵菩薩を刻み、この大善寺の地に祀ったと言われている。
その後、後白河法皇の勅命を受けた平清盛が1157年(保元2年)に、都を往来する旅人の路上安全や庶民の無病息災等を願って、都に通じる旧街道の入り口に六体の地蔵堂を分置させ、六地蔵巡りの風習が生まれたとされる。
この大善寺は、分置前の六体の地蔵が祀られていたことから「六地蔵」と呼ばれ、これは京阪宇治線の駅名、ひいては宇治市六地蔵の地名の起源となったようである。
ちなみに、この大善寺の存在場所は宇治市六地蔵ではなく、京都市伏見区桃山町である。
改札口・コンコース
JR六地蔵駅から、屋根付き通路を経由して駅前広場西側に向かうと、地下鉄六地蔵駅の入り口に繋がる。
京都地下鉄東西線は、鉄道空白地帯で慢性的な交通渋滞に悩まされている山科の外環状線や醍醐地域と京都市内を結ぶ足として、1997年(平成9年)に開業した京都で2番目の地下鉄路線である。
改札口は地下に1か所。
東西線では各駅にステーションカラーが設定されており、勿忘草(わすれなぐさ)が採用された当駅は、タイルや柱等が同色であしらわれている。
その改札口から北方向を望む。この最奥には、イトーヨーカ堂六地蔵店の地下売場に直結するエスカレーターが存在している。
当駅の利用客数は、1日約12600人。JR・京阪との接続駅として、山科以南の駅では山科区役所のある椥辻駅に次いで2番目に多い利用客数を誇っている(山科駅除く)。
改札内コンコースから改札口方向を望む。開業から10年余りしか経過していないためか、真新しい雰囲気が残っている。
時刻表
東西線:山科・太秦天神川方面
地下鉄東西線は、旧京阪京津線の御陵ー三条(現・三条京阪)のルートを引き継いだ路線で、乗り入れ元の京津線に合わせた小型車両6両編成での運転を行っている。
日中は毎時8本の運転で、山科駅の一つ先の御陵駅から京津線の電車が毎時4本加わる高頻度体系となっており、原則全列車終点の太秦天神川まで向かう。
乗り場
地下鉄東西線の駅は全駅が島式1面2線の構造となっている。
従って、ホーム終端方向を眺めても他の中間駅と特段の変化が見られないため、言われなければこの駅が終着駅だとはわからない。
終端部分の小窓から垣間見える車止めの存在によって、当駅が終着駅であることがようやく認識できる。
そして、この完全防備型ホームドアが全駅で設置されているのも、京都地下鉄東西線の特徴となっている。
フルスクリーンタイプのホームドアは、東京メトロ南北線に次ぐ全国で2例目らしく、東西線のそれはドアの色にステーションカラーが施されている。
現在であればコストが安く工期短縮が可能な可動式ホーム柵の採用が出来たが、東西線建設当時の20世紀末はまだ開発段階にあり採用できなかったらしい。
完全防備型ホームドアは、安全快適な駅環境をもたらす一方、行き交う電車の姿もシャットアウトされてしまうという面もある。
1番のりばに京都地下鉄50系の太秦天神川行きが停車中だが、ホームドアで完全防備された地下を通るため、御陵から地上に上がる京津線700系と違い、最初から最後までお顔を拝見することがままならない。
これまで鉄道の通っていなかった「宇治市六地蔵」地区だが、JR奈良線経由で京都駅まで10分程度、地下鉄東西線経由で山科駅まで13分程度と、交通の便が飛躍的に改善された。
ホーム北端の小窓から、石田・太秦天神川駅方向を望む。
当初は2駅手前の醍醐までの開通だったが、2004年(平成16年)に醍醐ー当駅間が延伸開業された。
えきログちゃんねる
[京都地下鉄東西線六地蔵駅]太秦天神川行き入線放送(始発駅ver)201604
[京都地下鉄東西線六地蔵駅]太秦天神川行き発車メロディ(始発駅ver)201604
始発駅である六地蔵駅では、東西線独特の発車メロディ前に冒頭チャイムと行先案内放送が流れます。
[京都地下鉄東西線車内放送]六地蔵行き(山科⇒六地蔵)201604