高野線の前身高野鉄道により1900年(明治33年)開業。当時別会社であった南海本線と並行するとの理由で難波延伸の許認可が下りなかったために、大阪側のターミナル駅を難波至近に自力で設置された、頭端式1面2線の地上駅。
当時は高野山方面への列車が発着するターミナル機能を有していたが、南海鉄道(現南海本線)との合併を経て、1929年(昭和4年)に高野線全列車が高野鉄道当時の悲願であったなんば発着に変更。
その影響で、汐見橋ー岸ノ里間が1929(昭和4)年に事実上支線化され、当駅はローカル線の寂しい終着駅の地位に格下げとなる。
現在でも高野線公式の終着駅だが、100年以上の歴史を有するレトロ感満載の駅舎から2両編成の列車が30分に1本だけ発車する光景は、都会の喧騒をしばし忘れさせてくれ、大阪ミナミの秘境駅の風格を保ち続けている。これぞまさに「文化遺産」と称したい。
外観
大阪ミナミの中心難波交差点から千日前通を西に1.5kmのところのある汐見橋交差点。
開業直前に駅名が変更された阪神なんば線桜川駅がこの交差点の四角を占拠している。
南海汐見橋駅は、この交差点の南西角に阪神桜川駅と並んでいる。阪神なんば線開業によって外装だけはリニューアルされた。
こちらは1900年開業の100年戦士、かたや阪神桜川駅は2009年開業のまだ新米。
全く同じ場所にあるのに違う駅名。関西ではたまにあるパターンだが(梅田と大阪、天王寺と阿倍野橋等)、阪神は利用客のより多い地下鉄との乗換駅であることを強調するためか、開業直前に汐見橋駅から遠く離れた桜川の名称を選んだ。
コンコース・改札口
外装と天井の塗装こそリニューアルされたものの、駅入り口を一歩入ると、昭和の香りを色濃く残す超レトロな空間。外の喧騒から完全に隔離された静寂は、昭和の時代にタイムスリップした感覚を覚える。
改札口の上方に残る昭和30年代の南海沿線観光案内図。この駅から高野線の大運転が無くなったのは1929年のことだが、かつてはこの駅がターミナルの役割を果たしていたことが伺える。
こういうレトロ感を残している駅が多いのが南海の魅力だ。
時刻表
高野線(通称:汐見橋線):岸里玉出方面
現在は、汐見橋ー岸里玉出間は通称汐見橋線と呼ばれており、高野線とは完全に分離された運行形態となっている。
線内折り返しが30分の1本。ラッシュという概念が全くなく、このサイクルで延々と半ば無機質に2両編成の電車が走り続ける。
乗り場
ホームは島式1面2線の頭端式。
ホームから改札口方向を望む。駅舎だけを見ると、どこか田舎の終着駅のような哀愁が漂う。
駅票。南海本線・高野線で使われているカラフルなものと異なり、無機質感満載の白黒調。
汐見橋線の運用で使われている2230系の横顔。元22000系ズームカーをワンマン運転目的で改造した車両だ。
かつては大運転で使われていた2扉車の通称「角ズーム」も、時代の流れと共に余生を支線で過ごしている。
普段は1番のりばだけを使用しているので、2番のりばのレールは色が変色してしまっている。
2230系を正面から撮影。阪神なんば線からの乗り換え客の利用が増えて、2006年には1日330人まで減った当駅の利用客は、2013年には515人まで回復し、ボトムから50%増という思わぬ恩恵を受けている。
岸里玉出方面を望む。ホームといい線路といい、周りの風景といい、レトロ感満載の光景だ。
外からホームを撮影。年季が入ったいい味を出している。いつまでもこのままの姿で残ってほしい駅だ。
阪神桜川駅1番出入り口から汐見橋駅ホームを望む。この新旧のコントラストが凄まじい。