京阪本線開通から2か月後の1910年(明治43年)6月に開業した島式2面4線の地上駅で、近鉄京都線との構内乗換が可能な特急停車駅。
当初「桃山駅」を名乗ったが、開業から3年後に現駅名に改称され、戦後約四半世紀の間は、並走する近鉄電車(当時:奈良電)が乗り入れる共同使用駅であったという興味深い歴史を有し、かつての相互乗入れの形跡がわずかに残っている。
伏見区の中心市街地は隣駅の伏見桃山駅に譲るも、近鉄線との乗換客を中心に、京都の繁華街の中心にある祇園四条駅を抑え、京都府内の京阪線の駅で最多の利用客数を誇る重要駅となっている。
目次
外観・駅周辺
京阪本線・近鉄京都線と並行して南北に走る京町通沿いにある丹波橋駅を北方向から望む。
この京町通を南に数百m進めば、京阪線と交差し、伏見区の中心市街地のある京阪伏見桃山駅と近鉄桃山御陵前駅の中間地点・大手筋にたどり着く。
その京阪丹波橋駅西口。
京都の景観に配慮してか、駅票の背景が通常の濃紺色ではなく白になっているのが特徴的だ。
上の写真の場所から京町通を北方向に望む。このまま1キロほど進めば、国道24号線に突き当たる。
同駅の利用は京阪・近鉄間の乗換利用が中心で、市街地は一駅南の伏見桃山駅付近になる。
今度は、駅北側にある丹波橋通の踏切付近。当駅の駅名の由来となった丹波橋は、この通りを西に500mほど進んだ濠川にかかる橋のこと。
ちなみに、丹波橋という橋名は、豊臣秀吉が伏見城で天下を治めていた時代に当地に存在した「桑山丹波守」の屋敷があったことから来ているらしい。
こちらは、近鉄丹波橋駅側の東口。
近鉄丹波橋駅は、近鉄京都線の前身・奈良電気鉄道が、1928年(昭和3年)に堀内駅として開業させたのが始まりだ。
その丹波橋駅東口から、東に歩いてすぐのところにある国道24号線まで出ると、、、
JR奈良線の単線線路に遭遇することが出来た。
そこからさらに東に1キロほど進むと、今は無き「伏見桃山城キャッスルランド」の跡地に、伏見桃山城の模擬天守閣が今でも残っている。
これは旧・伏見城を保存したものではなく、キャッスルランド建設にあたって建造された鉄筋コンクリート製。
そして、この場所に最も近いのは、伏見桃山駅でもなく、近鉄桃山御陵前駅でもなく、実は丹波橋駅であるというのも、ちょっとしたトリビアかもしれない。
改札口・コンコース
京阪本線と近鉄京都線は、丹波橋駅の橋上駅舎を共有しており、京阪の南改札口は、その西側を使用している。
その南改札口から東方向、近鉄丹波橋駅への連絡通路を望む。
1928年(昭和3年)にこの地に堀内駅を開業させた奈良電だが、1945年(昭和20年)から京阪丹波橋駅への乗り入れを開始したため、一時廃止された。
元々京阪と近鉄の共同出資会社であった奈良電は、1963年(昭和38年)に近鉄に買収された。
そして、1968年(昭和43年)には、京阪・近鉄間の相互乗り入れが廃止され、廃止されていた堀内駅は、近鉄丹波橋駅として復活を果たしている。
上の連絡通路から、今度は反対の京阪丹波橋駅方面を望む。
京阪・近鉄両駅分離後も、相互乗換駅としての重要性は高く、京都府内の京阪線では第1位、近鉄京都線では京都駅に次ぐ第2位の利用客数を誇っている。
連絡通路の終点まで行けば、駅舎東側にある近鉄丹波橋駅にたどり着く。徒歩1分程度で、雨にも濡れずに乗り換えが出来る。
さて、駅舎西側の京阪丹波橋駅南改札口まで戻る。
広く開放的な改札内コンコース。
当駅は、京阪本線開通から2か月後の1910年(明治43年)6月に、伏見(現・伏見桃山)-墨染間の新駅として開業し、何と開業当時は「桃山駅」と名乗った。
改札内には本屋も構えている。現駅名へ改称されたのは開業から3年後の1913年(大正12年)。
駅名の由来は前述の通りだが、当駅より南東に約1キロ離れた国鉄(現JR)桃山駅との混同を避けるためかどうか等、改称された経緯は明らかになっていない。
駅北側の丹波橋通り地下にある、コンパクトな北改札。
かつては地上に存在し、構内踏切も存在したが、1987年(昭和62年)に8両対応のためのホーム延伸に伴い地下化された。
時刻表
京阪本線:三条・出町柳方面
開業当初は優等通過駅であった当駅は、1944年(昭和19年)に奈良電(現・近鉄京都線)の乗入れに当たり、隣の伏見区の中心市街地にある伏見桃山駅から急行停車駅の座を譲り受ける。
その後、2000年(平成12年)のダイヤ改正に伴い、特急停車駅となり、当駅で緩急接続を行うようになった。
当駅で各駅に連絡した特急は、その後三条で再度各駅と接続し、終点の出町柳に向かう。
京阪本線:淀屋橋・中之島線方面
大阪方面行きは、特急・準急が淀屋橋行きで、各駅停車は天満橋から中之島線に入る中之島行きとなる。
2000年(平成12年)より特急停車駅となり、2003年(平成15年)の白紙ダイヤ改正により、これまでの15分ヘッドから10分ヘッドへと改正された。
京都方面行きと同様に当駅で緩急接続が行われ、特急は同駅出発後、枚方市で再度緩急接続を行う。
乗り場
ホームは8両対応の島式2面4線。
かつてこの丹波橋通沿いに、北改札と構内踏切があったが、1987年(昭和62年)に地下化された。
2008年(平成20年)の中之島線開業に伴い一新された駅票。
【1・2番線】京阪本線:三条・出町柳方面
2003年(平成15年)の白紙ダイヤ改正を機に、当駅で緩急接続が行われるようになった。
1・2番線ホームの京都寄りは、カーブの関係だろうか、ホームが傾斜している。
その傾斜の下側の1番線に入線してきた、1000系各駅停車出町柳行き。
京都競馬場(淀)で行われた関西ラーメンダービー宣伝のヘッドマークがついている。この駅で特急の待ち合わせを行う。
2番線に、8000系特急の出町柳行きがやってきた。
これが、京阪特急名物・ダブルデッカー車の横顔。
東京では間違いなくグリーン料金が発生しそうなこのエレガントな車両が、関西では無料で乗車できる。まさにエレガントサルーンである。
1945年(昭和20年)から1968年(昭和43年)までの約四半世紀の間、京阪と近鉄(当時:奈良電)の共同使用駅となり、奈良方面からの電車は、全列車当駅から京阪線の京都市内方面に乗り入れていた。
各駅の待ち合わせを受けた特急出町柳行きが、次の停車駅・七条に向けて出発。この後、三条で再び各駅との接続を行う。
京阪特急8000系が、2016年3月までの期間限定車・きかんしゃトーマス号2015に変身して走行している。
その特急に続いて、6000系・各駅停車出町柳行きが出発。そして、線路の先にあるのは、、、
近鉄京都線との立体交差。
かつてこの付近から近鉄京都線に繋がる線路があり、宇治方面からの京阪電車が、近鉄京都駅(当時:奈良電京都駅)に乗り入れを行っていたらしい。
【3・4番線】京阪本線:淀屋橋・中之島線方面
ホーム北端から京都方面を望む。「京阪電気鉄道カーブ式会社」と揶揄されるくらい、京阪電車はカーブの多い路線となっている。
しかし、その逆境が「技術の京阪」を生んでいることもまた事実である。
4番線に、2400系の準急淀屋橋行きがやってきた。大阪方面行きも当駅で緩急接続を行う。
そして、3番線に「風流の今様」をモチーフとした3000系特急淀屋橋行きが、美しいしなりを帯びながら入線。
当初は、2008年(平成20年)に開業した中之島線乗入れの快速急行用に製造されたが、利用低迷で廃止され、現在は本線特急に活躍の場を移している。
次の4番線の準急淀屋橋行きは、1000系で登場だ。
そして、3番線の特急は、ダブルデッカー車・8000系。これも美しい曲線を描いている。
その横顔。特急は、次の伏見桃山駅だけを通過して、宇治線との乗換駅である中書島に停車する。
そして、さきほどの「きかんしゃトーマス号・2015」が折り返し、淀屋橋行き特急としてやってきた。
4番線で待ち合わせている1000系各駅停車中之島行きと並んだ。
当駅の利用客数は、1日約5万人。
京都の中心繁華街に近い祇園四条駅を抑えて、京都府内の京阪線の駅では最多の利用客数を誇る。
4番線に停車中の2800系・準急淀屋橋行き。
もっとも、当駅の利用の大半は近鉄京都線との乗換客のため、鶴橋駅・新今宮駅同様に駅構外に出る人は少なそうだ。
4番線の先には、かつて近鉄京都線(当時:奈良電)と繋がっていた線路の跡が今でも残っている。
京阪線の三条からやってきた電車は、ここから近鉄線に乗り入れて奈良方面に向かっていた。
4番線の待避線から本線への復帰は、実に15キロの制限がかかる急カーブとなっている。
その15キロ制限を受けてゆっくりと本線に入る2800系の横を、3000系特急出町柳行きが入線してきた。
停車駅の増えた京阪特急の新たな主役となりそうな3000系の端正な横顔だ。
えきログちゃんねる
[京阪本線丹波橋駅の日常]京阪特急8000系&6000系&1000系の共演201511
6000系各停出町柳行き発車@1番線
⇒1000系準急淀屋橋行き入線@4番線
⇒京阪特急8000系淀屋橋行き入線@3番線
[京阪丹波橋駅入線発車風景]3000系特急&2400系準急淀屋橋行き201511
2400系準急淀屋橋行き入線@4番線
⇒3000系特急淀屋橋行き入線@3番線
⇒3000系特急淀屋橋行き発車@3番線
[京阪8000系きかんしゃトーマス号2015]特急出町柳行き入線発車風景@丹波橋駅201511