伊勢神宮と並ぶ二大宗廟であり、日本三大厄神の一つでもある国宝・石清水八幡宮表参道の門前町に位置する、京阪本線の2面3線の地上駅。
石清水八幡宮の荘厳さが漂い、自然環境に恵まれた穴場的魅力を有する京都府八幡市の玄関口であり、本殿が鎮座する男山山上に向かう男山ケーブル(鋼索線)との乗換駅でもある。
かつては八幡市の拠点駅であったが、大阪府枚方市の樟葉駅に拠点が移ったことで当駅の位置づけが変化し、3度の駅名改称を経た後に廃止となった4番線の名残と共に、駅全体に拡がる哀愁感が何とも言えない癒しの魅力を醸し出している。
目次
外観・駅周辺
「やわたのはちはんさん」で親しまれている石清水(いわしみず)八幡宮の門前町として発展した、京都府八幡市(やわたし)の玄関口である八幡市駅。
広い駅前広場の西端にある京阪本線の駅の奥には、石清水八幡宮が鎮座する男山山頂に向かうケーブル線(鋼索線)の駅も設置されている。
どこかローカル的な雰囲気の味のある駅前広場。八幡市駅は京阪本線開通と同時の1910年(明治43年)の開業した大変歴史のある駅だ。
そして、伊勢神宮と並ぶ二所宗廟であり、日本三大厄神の一つであり、かつ日本三大八幡宮の一つでもあるこの石清水八幡宮は、つい先日の2016年(平成28年)2月9日に国宝に指定された。
この国宝・石清水八幡宮を中心に形成される八幡は、日本を代表する観光地である京都市の隣にあるために注目されにくいが、実は自然環境に恵まれた穴場的魅力を有しており、「竹取物語」のモデルは長岡京市か八幡市であったと言われているらしい。
その「竹取物語」のモデルともなった当地の竹は、何とあのトーマス・エジソンが白熱電球発明の際にフィラメントとして使用したとされている。
駅前には彼の記念碑が建てられる共に、駅前広場を囲む外周道路は「エジソン通り」と名付けられている。
そして、駅前広場のど真ん中には、男山をバックに「竹」のオブジェが堂々と君臨している。
どこかのどかで開放感のあるバスターミナルからは、元々京都宇治交通であった路線を吸収合併した京阪バスが路線を走らせている。
但し、市内の路線バスの多くは樟葉駅を拠点をしており、八幡市駅発着の本数はそれほど多くないようだ。
表参道から向かう国宝・石清水八幡宮
つい先日国宝に指定されたばかりの石清水八幡宮への徒歩ルートは、駅前広場南東端から伸びる表参道から向かう。
堂々たるいで立ちの一の鳥居。859年(貞観元年)に創建された歴史ある神社だが、石清水八幡宮が創建されたのはこの地ではなく、実は淀川対岸・天下分け目の天王山のふもとにある「離宮八幡宮」が元社であったらしい。
その一の鳥居をくぐった先の男山山麓にある下院。この下院にある南門は、元々男山山上の南総門であった建物を移築してきたものらしい。
この南門の向かいに鎮座する頓宮(とんぐう)は、年に一度行われる石清水祭の時に、山上にある本殿から御神霊が遷され、重儀が催される重要な社殿。
幕末の鳥羽・伏見の戦いで焼失したが、1915年(大正4年)に造営された。
そして、南門をくぐると、参道東側を流れる放生川にかかる安居橋(あんごばし)の姿が見える。「八幡八景」にも登録され、別名「たいこ橋」として親しまれているらしい。
その安吾橋を左手に見ながら参道を進んだ先の二の鳥居をくぐると、、、
そこからは、果てしない山道が続き、、、
出発地点は平地だったはずが、こんなに高いところまで登ってきて、、、
ようやく三の鳥居にたどり着く。
その三の鳥居をくぐってすぐのところにある「一ツ石」。
「勝負石」や「お百度石」とも言われ、江戸時代には本殿参拝を終えた参詣者が、この石の前で本殿に向かって再度拝礼するという習わしがあったらしい。
そして、その三の鳥居から始まる参道を進んだ終点には、壮大な南総門が社殿前に堂々と君臨している。
その南総門から三の鳥居方向を望む。この石畳の美しい参道は「馬場先」と呼ばれている。
そして、南総門をくぐると、ようやく国宝・石清水八幡宮の本殿に巡り合える。
「八幡造」と呼ばれる独特の構造をしたこの本殿は、参道に対してやや西側を向いているのが特徴的だが、これは参拝して帰る際に八幡大神に対して真正面に背を向けないように中心を外しているためらしい。
改札口・コンコース
改札口は、駅前広場西端に1か所ある。
その改札口に西側には臨時改札が設けられており、初詣の多客時に使用される。
2011年(平成23年)にリニューアルされた改札内コンコース。
実はここは2009年(平成21年)まで4番線のあった場所だが、バリアフリー対応のために廃止され拡張工事が行われた。
そのコンコースは大阪方面行きの3番線に直結しており、、、
京都方面行きの1・2番線ホームとは、地下道で連絡している。かつては構内踏切が存在していたが、いつの時点から地下道に切り替わったのかは不明らしい。
その地下道の南端にある臨時改札への階段。正月時以外は閉鎖されている。
時刻表
京阪本線:出町柳方面
当駅は急行停車駅だが、その急行は昨今のダイヤ改正で早朝・深夜のみに大幅削減されている。
樟葉駅整備以前は拠点駅の一つであったが、域内拠点が樟葉駅に移る中で当駅の位置づけは大きく変化した。
現在は、準急と普通が20分間隔で運行されているが、準急は終点出町柳まで各駅に止まるため、事実上優等が停車しない状況となっている。
準急・普通は丹波橋で後続の特急の待ち合わせを行う。
京阪本線:淀屋橋・中之島線方面
大阪方面行きは、淀屋橋行きの準急と中之島行きの普通がそれぞれ20分間隔で運行されており、準急は寝屋川市の一つ先の萱島まで各駅に停車する。
準急及び普通は、途中の枚方市で後続の特急の待ち合わせを行う。
乗り場
乗り場は2面3線の地上駅構造だ。
1910年(明治43年)に八幡駅として開業した当駅だが、その後1939年(昭和14年)に石清水八幡宮前駅、1948年(昭和23年)に八幡町駅への改称を経て、1977年(昭和52年)に八幡市の市制施行に合わせた現駅名への再改称という波乱の歴史を有している。
【1・2番線】京阪本線:出町柳方面
弓のようにホームが大きくカーブしているのが当駅の特徴だ。
そのため、到着する電車はなかなかの傾き具合となる。
開業時は相対式2面2線構造の駅だったが、いつ待避線が設置されたかは不明らしい。
駅北側踏切から望む、2番線に停車中の2200系普通出町柳行き。男山を背景にした斜めがかったフォルムが美しい。
駅北側には、淀川水系の大谷川が流れており、、、
のどなか南側の駅前広場よりも、さらにのどかな光景が味わえる。
当駅の利用客数は1日1万人弱。八幡市の実質的な拠点駅が大阪府枚方市の特急停車駅・樟葉駅に移ったことで、かつての拠点駅であった当駅には何とも言えない哀愁感が漂っている。
そして、1・2番線ホームからは駅南側にそびえる八幡のランドマーク・男山の姿が堪能できる。
カーブでしなっているためか、全般にホーム幅が狭いのが特徴。かつては待避線である1番線も使用されていたが、現在は全く使用されていない。
そして、2番線に2400系の普通出町柳行きが到着した。
2016年(平成28年)3月のダイヤ改正により、日中の普通は最長枚方市止まりとなるため、後から思えば貴重な遭遇となるのだろう。
その普通を追いかけて8000系ダブルデッカー車の京阪特急が通過していく。先を行く普通には丹波橋で追いつく。
【3番線】京阪本線:淀屋橋・中之島線方面
樟葉駅整備前の拠点駅であった時代は、当駅折り返しの急行も設定されており、京都方には渡り線も存在したらしい。
大阪方面行きホームにもかつては待避線の4番線が存在したが、バリアフリー化対応のために2009年(平成21年)をもって撤去された。
ホーム中央付近にある臨時改札への連絡階段。この階段の場所にはかつて線路が通っていたのだ。
そして、上の写真の場所からさらに西方向に進むと、男山ケーブル八幡市駅との間に挟まれたかつての4番線線路のあった場所が、自転車置き場に変身していた。
さらに、ホーム拡張によって、エアコンが効いた快適な待合室も設置された。
かつて存在したホーム4番線側には柵が張られているが、、、
ホーム西端部分には、かつて線路が存在していた形跡が空き地として残されている。
まさに、今でも本線に合流する4番線の線路の姿が浮かび上がってくるようだ。
そして3番線に、寝屋川市の一つ先の萱島(かやしま)まで各駅に停まる2800系の準急淀屋橋行きが到着した。枚方市で後続の特急の待ち合わせを行う。
次に3番線にやってきたのは、2400系の普通中之島行き。日中に当駅を経由する電車は準急に一本化されるため、あと少しで見納めだ。
今度の普通中之島行きは7000系で登場だ。
その普通を追う特急淀屋橋行きは、3扉の3000系。元々中之島線直通の快速急行用に製造されたが、同線不振による快急廃止により、本線特急に活躍の場を移している。
ホーム西端から橋本・淀屋橋方面を望む。この周辺は、大都会である大阪・京都間に潜む秘境的な雰囲気が魅力的な場所だ。
えきログちゃんねる
[京阪特急きかんしゃトーマス号2015]八幡市駅を通過する8000系特急淀屋橋行き201602
[京阪八幡市駅]2016年3月で廃止となる普通出町柳行き入線風景201602
2016年3月のダイヤ改正で日中の普通は最長枚方市までとなるため、八幡市駅を通る普通出町柳行きは廃止されます。
[京阪八幡市駅接近放送]2016年3月で廃止となる普通中之島行き201602
[京阪八幡市駅発車メロディ]2016年3月で廃止となる普通中之島行き201602