文字通り「お多賀さん」として親しまれる多賀大社の最寄駅である、多賀線(彦根・多賀大社線)の頭端式3面2線の地上駅。
日本の総氏神・天照大神の両親であるイザナギ・イザナミを祀る多賀大社は、県内有数のパワースポットとして、その由緒にふさわしい荘厳たる雰囲気を醸し出している。
また駅構内も、有効長の異なる変則式頭端ホームに加え、往時の賑わいを偲ばせる複雑な配線構造等、終着駅にふさわしい風格を有した魅力満載の駅となっている。
外観・駅周辺
文字通り、古くから「お多賀さん」として親しまれている滋賀県第一の大社・多賀大社の最寄駅である多賀大社駅。
駅東側には、その多賀大社の二の鳥居が堂々と君臨している。
ちなみに、一の鳥居はここから4キロほど西に向かった本線・多賀線との接続駅である高宮駅に近い、中山道第二の宿場町・旧高宮宿にある。
この二の鳥居から多賀大社の本殿までは約1キロほど離れており、その間は風情の残る門前町が形成されている。
風情ある街並みが残るこの多賀大社の門前商店街だが、自動車での観光が増え鉄道利用が減った結果、参道の利用客が激減したため、往時の賑わいを取り戻すべく「地獄めぐり」プロジェクトが実施されている。
その参道を進むと左手に見えてくる立派な建物が、多賀大社門前町のランドマークとして親しまれる1689年(元禄2年)創業の「料亭旅館・かぎ楼」。
その立派な楼閣は、遊郭のそれと見間違うほどの繊細な造りとなっている。
その繊細明媚な「かぎ楼」の裏手は、参道の栄枯盛衰を体現しているかのようなレトロな空間が拡がっており、何とも言えない哀愁感を醸し出している。
この多賀大社は、古事記にも登場するかなり歴史のある神社で、後の日本国土を形作る多数の子をもうけた、イザナギ・イザナミ夫婦が祀られている。
その由緒から、当社は延命長寿の神様として信仰を集め、現在でも年間約170万人の参拝客で賑わっている。
その表通りに面する三の鳥居を入ったところ、神門の前にその存在感を示す「太閤橋」。
文字通り太閤・豊臣秀吉が母・北政所の延命祈願のために寄進した米一万石によって築造された橋で、太鼓橋になっているのは表通りから拝殿が見えないようにする目隠しの意図があるらしい。
そして、神門をくぐると、荘厳感満載の拝殿が現れる。中世から近世にかけては「お伊勢参らばお多賀へ参れ」との俗話の元に多数の参拝客で賑わいを見せたらしい。
当社に祀られているイザナミ・イザナギが、伊勢神宮・天照大神の両親であることによるものらしい。
その理由は貴生川駅から国鉄草津線・関西本線等を介して当社と縁の深い伊勢神宮へ向かう列車を走らせる構想があったためで、かつては実際に多賀大社ー伊勢神宮の直通列車が運行されたこともあったらしく、貴生川駅にはその接続廃線跡が今でも残っている。
そして、境内には現日本国家の歌詞に謳われている「さざれ石」が飾られている。
日本国民の総氏神といわれる天照大神の両親を祀るこの多賀大社は、県内有数のパワースポットとなっている。
改札口・コンコース
当駅は1914年(大正3年)に開業した歴史ある駅だが、このコミュニティハウスを併設した新駅舎に改築されたのは2002年(平成14年)のことである。
かつては駅員による改札があったことを伺わせる改札口。現在は終日無人駅となっている。
当初は多賀駅として開業したが、1998年(平成10年)に現駅名に改称された。
その改札口は、1番線ホームと段差無しで直結しており、乗降に便利な設計となっている。
時刻表
多賀線(彦根・多賀大社線):高宮・彦根・米原方面
当駅は公式上は高宮ー当駅間の多賀線だが、2013年(平成25年)より米原ー高宮ー当駅間に彦根・多賀大社線の愛称が設定された。
朝夕は、高宮駅から彦根・米原方面に直通する運行が主流となるが、日中は高宮止まりの電車が毎時1本運行され、高宮駅では、本線の彦根・米原方面の電車と5分程度での乗り換えが可能なダイヤとなっている。
乗り場
ホームは頭端式3面2線の構造だが、2番線の有効長が長い変則的なホーム構造となっている。
多賀大社参道のランドマークである「かぎ楼」は、しっかりと宣伝されている。
駅正面は門前町にふさわしい風格が漂っているが、アングルをずらすと少し違った情景が展開される。
駅の北側にはコンビニが出来ている。かつてはここから東に存在していた住友セメント多賀貯鉱所への専用線が通っていた場所らしい。
そのコンビニからは、鈴鹿山脈の美しい情景が堪能できる。
当駅属する多賀線は、近江鉄道開通から約15年後に開通したが、多賀大社への多数の参拝客輸送を担う当線の開通は、開業以来経営難に苦しんでいた近江鉄道反転の起爆剤となったらしい。
改札口に直結する1番線ホームから車止め方向を望む。
元々旧彦根藩士族と有力近江商人という地場資本によって1896年(明治29年)に設立された近江鉄道だが、後に電化のため1926年(大正15年)に現・関西電力の前身である宇治川電気系列となり、終戦直前に西武グループ入りしている。
そのため、現有車両は全て西武鉄道の中古車を改造した車両となっており、この820系は元西武電車の401系である。
その820系高宮行きを正面より望む。
近江鉄道はカーブが多く車両の建築限界が小さいため、20m級の大型の西武車両導入の際は、車両の四隅を三角に切り取る面取り改造を施すというユニークな手法が採られている。
日中は1時間に1本の運行のため、1番線のみが使用されている。当駅で約40分停車の後に高宮駅に折り返す。
都会の喧騒とは一線を画した、ゆったりとした癒しの時間が流れている。
日中毎時1本、ラッシュ時でも毎時3本程度の割には複雑な廃線となっている。奥に見える高架は名神高速道路である。
1番線ホーム西端からは、新しく整備されたように見える側線が走っている。
かつてはここからキリンビールの工場まで専用線が走っていたらしいが、それが廃止となった後に側線を整備するのは何か特別な理由でもあるのだろうか。
かつては付近に存在する工場への貨物輸送も行われていたが、今はかつての喧騒がウソのような静寂感が広がっている。
都会では昔の遺構は効率化(撤去)されることが多いが、近江鉄道ではいたるところで過去を懐かしめる形跡が残されており、このムダこそが沿線の文化的価値を引き上げている。
えきログちゃんねる
[レトロな魅力を放つ近江鉄道車内放送]多賀線高宮行き(多賀大社前⇒高宮)201603
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