「伊丹空港(大阪国際空港)」で全国にその名が知れ渡る兵庫県伊丹市の代表駅である、JR宝塚線(福知山線)の相対式2面2線の地上駅。
奈良市と「清酒発祥の地」の称号で激しいバトルを繰り広げるほど、古くからの酒造の街として栄え、その風情を残す町並みは一見の価値を有する。
かつては単線非電化ローカル線のしがない駅だったが、度重なる輸送改善と駅前巨大イオンモールの出現で大変貌を遂げ、長らく利用客数で後塵を拝していた阪急伊丹駅を逆転し、伊丹の代表駅の地位に上り詰める。
また、駅構内も相対式のシンプルなホームかと思いきや、頓挫してしまった空港アクセス線構想の形跡が残っており、歴史の紆余曲折を感じさせる魅力的な駅となっている。
目次
外観・駅周辺
空港(大阪国際空港・伊丹空港)で有名な大阪・神戸の衛星都市・兵庫県伊丹市の中心駅であるJR伊丹駅。その北口を望む。
駅東側には巨大ショッピングモール「イオンモール伊丹」が君臨し、ペデストリアンデッキで直結している。
元々東洋ゴム工業伊丹工場跡地を、同社とイオンと共同で再開発の上、2002年(平成14年)に開業した。
その巨大イオンモールに直結するペデストリアンデッキから北方向を望む。
伊丹駅とイオンモールに挟まれた川は「駄六川」と呼ばれ、イオンモールの南側で猪名川と合流している。
そして、そのペデストリアンデッキから西方向を望むと、伊丹の中心市街地の様子が見える。
今度は、そのペデストリアンデッキを介して駅西側に回ると、地上部分に白とダークグリーンのツートンカラーが印象的な伊丹市営バスのバスターミナルが見える。
伊丹市営バスは、兵庫県内では神戸市以外で唯一、かつ国内でも数少ない一般市における市営バス運営自治体となっている。
そして、タクシー乗り場は、地上のバスターミナルとペデストリアンデッキの間の中二階的な位置に存在している。
そして、西側駅前広場には、当駅のランドマーク的存在である時計塔が堂々たる姿で佇んでいる。
この芸術的なカリヨン塔は、伊丹市制施行50周年にあたる1990年(平成2年)に、姉妹都市であるベルギーのハッセルト市から寄贈されたものらしい。
上の写真の場所から、駅東側方向を望む。
巨大イオンモールの向こう側には、「伊丹空港」と称され全国に伊丹の名を知らしめさせた大阪国際空港が存在し、当駅からも市バスでアクセス可能となっている。
そして、上の写真の場所から西側方向にあるこの立派な城郭跡は「有岡城跡」である。
元々は当地名の起源となった領主・伊丹氏が南北朝時代に伊丹城として築城したが、戦国時代に荒木村重によって攻め落とされ、有岡城と改称されたらしい。
この有岡城(旧・伊丹城)の城主となった荒木村重は後に謀反を起こして織田信長に落城され、1583年(天正11年)に廃城となっている。
また主郭部分の西半分は現存しているが、東半分はJR宝塚線の起源となった関西最初の馬車鉄道であった「川辺馬車鉄道」建設により、1891年(明治26年)に破壊されてしまった。
【酒造で栄えた中心市街地・伊丹郷町と猪名野神社】
JR伊丹駅から阪急伊丹駅にかけての「伊丹郷町」と呼ばれる地域は、伊丹城時代に城下町として形成され、同城落城後は近衛家の所領となり、同家の保護の元、酒造の町として発展を遂げたらしい。
JR伊丹駅西口から西に向かう通りは、その江戸時代からの酒造の街の面影を彷彿とさせる美しい風情が魅力的である。
この通りに位置する家具量販店・ニトリの外観も景観に配慮されたものとなっており、入り口東側には、伊丹の酒造業が発展する江戸時代前期に築造されたと言われる大溝が再現されている。
その家具量販店・ニトリの西側が面する大通りは、現在は尼崎と池田を結ぶ産業道路となっているが、江戸時代には本町通りと呼ばれ、最盛期にはこの通り沿いに85軒もの酒蔵が立ち並んでいたらしい。
伊丹は「清酒発祥の地」と称されることもあるが、その称号を巡っては実は奈良市と激しいバトルを繰り広げているらしい。
今度は上の写真の場所から、産業道路(本町通り)を南方向に望む。
ここは伊丹の中心市街地の真ん中に当たるからか、当地にあるバス停は「伊丹中央」と称されている。
その「伊丹中央」から少し北に進んだところにある「みやのまえ文化の郷」では、旧岡田家住宅を中心とした古風な街並みが堪能できる。
旧岡田家住宅は現存する最古の酒蔵らしく、1992年(平成4年)に国の重要文化財にも指定されている。
そして、「伊丹中央」から今度は西に進んだところにある「三軒寺前広場」。
文字通り、手前(東)から大蓮寺・正善寺・法巌寺と3つの寺が並んでいることから名付けられた広場で、様々なイベントも開催される伊丹市民の憩いの場となっている。
その「三軒寺前広場」の西端から西に伸びる下町風情が魅力的な商店街を抜けると、、、
JR宝塚線の輸送改善まで長らく伊丹市の代表駅であった阪急伊丹駅にたどり着く。
現在はJR伊丹駅に利用客数で逆転を許しているものの、長らく中心的存在を誇っていた風格は今だ健在である。
先ほどの「三軒寺前広場」に戻ってそこから北に向かうと、伊丹豊中線との交差点北西端に特徴的な外観の「伊丹アイフォニックホール」が姿を表す。
地球音楽の発信地として、世界諸民族の音楽を幅広く紹介する講演や講座を行っているらしい。
そして、そのアイフォニックホールからさらに北には、猪名野神社参道が伸びているおり、同社門前町としての歴史を有する「宮ノ前商店会」が店群が軒を構えている。
その参道中央の東側には、猪名野神社の管理(別当)も務める真言宗御室派の仏教寺院・金剛院が存在する。
904年(延喜4年)に宇多法王の勅願によって開基した由緒ある寺で、その由緒にふさわしい立派な薬院門が存在感を醸し出している。
かつては広大な敷地を有していたが、信長による有岡城攻略時の戦禍に見舞われ、一度炎上した波乱の歴史を有する。
その後秀吉の命によって再興されたが、明治時代に本堂が再度炎上し、現在は旧・持仏堂を本堂としているらしい。
そして、先ほどの参道に戻ってその突き当たりまでやってくると、猪名野神社の立派な鳥居が姿を見せてくれる。
伊丹郷町の氏神であるこの猪名野神社は、金剛院と同じ904年(延喜4年)に創建された古い歴史を持り、アマテラス・ツキヨミと共に三貴神と称される「スサノオ」を祀る神社である。
当社は、古くは「野ノ宮」や「天王ノ宮」と言われていたが、1869年(明治2年)に神仏分離により仏教関係のものを金剛院に移し、「野ノ宮」から現社名に改称されたらしい。
拝殿には、奈良市とバトルを繰り広げている「清酒発祥の地」に関連する酒造業者の酒樽が寄進されているらしい。
改札口・コンコース
改札口は2階中央に1か所ある。駅舎は1981年(昭和56年)に橋上化された。
当駅の歴史は非常に古く、競合の阪急伊丹駅より約30年早い1891年(明治24年)に開業している。
但し、当駅を開業させたのはJR民営化前の国鉄ではなく、ましてや他の汽車鉄道でもなく、何と川辺馬車鉄道という関西最初の馬車鉄道が開業させた駅であった。
改札内コンコースから望む、駅南側の猪名寺・尼崎方面の風景。
当初は馬車鉄道として開業したが、急増する輸送需要にこたえられずに、開業からわずか2年後の1893年(明治26年)に池田(現・川西池田)まで延伸・軽便鉄道化させた摂津鉄道に転換された。
時刻表
JR宝塚線:宝塚・三田方面
JR宝塚線内(大阪駅・尼崎駅除く)では宝塚駅に次いで2番目の利用客数を誇る当駅は、特急以外の全列車が停車する重要駅となっている。
日中は快速・普通が毎時4本ずつの運行体系となっており、普通はほぼ全列車新三田行き、快速は宝塚行きと篠山口行きが2本ずつとなっている。
普通は途中の川西池田駅で後続の快速の待ち合わせを行う。
また、夕ラッシュ時は普通の本数は毎時4本のままだが、快速は8本に倍増されるという珍しいダイヤとなっている。
JR宝塚線:大阪・尼崎・北新地方面
反対方面も同様に、日中は快速・普通が毎時4本ずつの運転となっている。
尼崎駅からは全列車東海道本線(JR神戸線・京都線)に入り、快速は大阪まで、普通は高槻まで向かう。
朝夕ラッシュ時には、尼崎からJR東西線に入って北新地方面に向かう快速電車も運行されている。
乗り場
ホームは相対式2面2線の極めてシンプルな構造に見えるが、、、
実は、将来的に2面4線構造に出来るように敷地が確保されており、、、
宝塚・三田方面行きの1番のりばの外側は、現在は自転車置き場に使用されているが、、、
大阪・尼崎・北新地方面行きの2番のりばの外側は、明日にでも線路を敷いてくれと言わんばかりの見事な空き空間となっている。
この敷地確保の理由は、当駅から約4キロ東にある大阪空港(伊丹空港)へのアクセス線構想があるためで、その構想は何と1989年(平成元年)から存在するようだが、伊丹空港存廃や建設費等の問題を抱え、実現には至っていない。
そのアクセス線構想は頓挫しているが、JR民営化後の度重なる輸送改善の影響で、当駅の地位は着実に向上している。
長らく単線非電化のローカル線の時代が続き、競合の阪急伊丹駅の足元にも及ばなかったが、現在では同駅を圧倒的に上回る1日約5万人近い利用客数を誇っている。
2番のりばに、尼崎からJR東西線・学研都市線に乗り入れる207系の快速木津行きが到着した。
JR東西線との直通電車は、日中は2駅大阪寄りの塚口駅までで、同駅以北へは朝夕ラッシュ時のみの乗り入れとなっている。
そして、1番のりばには、同じ207系の普通新三田行きが到着。2つ先の川西池田駅で、後続の快速の待ち合わせを行う。
今度は快速電車の並び。JR東西線からの乗り入れ電車は、同線がホームドアの関係で4扉車しか乗り入れできないため207系が使用される。
一方、JR東西線に乗り入れない大阪駅発着の快速電車は、快適転換クロスシートの3扉車225系あるいは223系で運行される。
1番のりばホームから望むイオンモール伊丹の巨像。JRの輸送改善とこの巨像の存在が、阪急伊丹駅独壇場の歴史を大きく動かすこととなった。
2番のりばに、225系の丹波路快速大阪行きがやってきた。
2000年(平成12年)に登場した大阪ー篠山口間を走る快速系統で、宝塚止まりの「快速」とは区別されている。
そして、次に2番のりばにやってきたのは、平日朝5本だけ運行されている普通大阪行き。
大阪駅9番のりばに到着するため尼崎ー大阪間は外側線を走行し、外側線に停車出来ない塚本駅を通過するという特殊芸当を見せてくれる。
今度の1番のりばには、223系の丹波路快速篠山口行きがやってきた。
ホーム北端から北伊丹・宝塚方面を望む。これがかつての非電化ローカル線が、都市型近郊路線へと変貌と遂げた姿である。
えきログちゃんねる
[JR宝塚線伊丹駅]朝5本だけの普通大阪行き入線&丹波路快速篠山口行き発車201603
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