京都府内の京阪線で利用客数最多の丹波橋駅の一駅北に位置する、京阪本線の相対式2面2線の地上駅。
駅西側では、美しい情景が魅力の国の史跡・琵琶湖疎水と、当駅名の由来となった隠れた桜の名所「墨染寺(ぼくせんじ)」の珍しい「墨染桜」が堪能できる。
また、駅東側では平安遷都奉幣の儀式まで執り行われた由緒ある藤森神社があり、一駅北の藤森駅よりも同神社に近く、かつ混同回避のために「JR」を冠したJR藤森駅にも当駅の方が近いという、京都らしいトリビアも楽しめる魅力満載の駅となっている。
目次
外観・駅周辺
【駅名の由来となった墨染寺と琵琶湖疎水方面の駅西側】
京都府内の京阪電車の駅で最多の利用客数を誇り、近鉄電車との乗換駅でもある丹波橋駅から一駅北に位置する墨染駅。
駅北側を東西に走る墨染通りを西にほんの数十歩進むと、、、
墨染橋なる小橋が架かっており、、、
琵琶湖の湖水を京都市に流すために作られた、国の史跡に指定されている琵琶湖疎水の美しい情景が堪能できる。
この墨染橋から南方向は疎水の終点で「墨染ダム」と呼ばれるダムとなっており、それを利用した水力発電所が存在する。
今度は墨染橋から琵琶湖疎水を北方向に望む。
上の写真の疎水の南端から約9km北に上がった京阪神宮丸太町駅付近の夷川(えびすがわ)発電所までは「鴨川運河」とも呼ばれ、1895年(明治28年)に完成した貴重な土木遺産となっている。
そして、その墨染橋から墨染通をさらに西に進むと、、、
商店がひしめく中に、墨染駅の由来となった日蓮宗・墨染寺が姿を現す。
駅名の由来となったとは言うものの、駅名の「すみぞめ」に対し、この寺の名前は「ぼくせんじ」と称する。
この墨染寺の魅力は、この「墨染桜」と呼ばれる薄墨色の桜。
日本史上初の関白に就任した平安時代の公卿・藤原基経の死を悼んだ友人の上野峯雄が、「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け」と詠んだところ、境内の桜が墨染色の染まったという逸話が残されている。
日蓮宗の開祖・日蓮上人の像が掲げられているが、元々は日蓮が生まれるずっと以前の874年(貞観16年)に「貞観寺」として創建された寺らしい。
しかし、その貞観寺は時代と共に廃れていったが、この見事な墨染桜をこよなく愛した秀吉によって、日蓮宗の寺院として再興され、名も「墨染櫻寺」と改称されたらしい。
京都市内の中心部からはやや離れており、寺院の規模も小さいが、ここでしか見られない墨染桜は、隠れた桜の名所となっている。
【藤森駅よりも藤森神社とJR藤森駅に近い駅東側】
墨染駅に戻り、今度は墨染通を東に進んだところにある墨染交差点を北に折れると、、、
京阪本線と並走する本町通に出る。この本町通では、狭隘な道路の割に半端ない交通量に圧倒されるスリリングな体験が出来る。
この街道は別名・伏見街道とも呼ばれ、西国大名の参勤交代の道ともなった古くからの交通の要衝であり、往年の年季を随所に感じることも出来る通りでもある。
その墨染交差点から本町通を北上し、一つ目の信号を右折して少し東に進むと、藤森神社にたどり着く。
墨染駅の一駅北に「藤森駅」が存在するが、この藤森神社には墨染駅からの方が近い。
この藤森神社は、その起源が何と弥生時代にまで遡る非常に歴史ある神社で、京都に都が遷された794年(延暦13年)には、時の桓武天皇によって遷都奉幣の儀式(無事に都が遷せるようお祈りするための儀式)が執り行われたらしい。
5月5日には藤森祭(別名・深草祭)が盛大に行われ、その祭りに奉納される「駈馬神事」が、馬の神事であることから「馬の神」として信仰されている。
従って、参道左側の大部分は人と馬の通り道となっており、競馬関係者や競馬ファンの参拝で賑わうらしい。
当社は、203年(神功皇后摂政3年)に三韓征伐から凱旋した神功皇后が武器を納めたことがその起源となったことから、勝負運にご利益がある神社としても有名である。
しかし、最初からこの「藤森神社」なる神社が存在したわけではないらしく、かつて「藤森」と呼ばれていた地に存在した3つの神社が統合されたものらしい。
さらに興味深いことに、その神功皇后が武器を納めた「藤森」の地は、実は現在の伏見稲荷大社の場所であり、同地に稲荷神を祀ることとなったために当地に遷座したらしい。
その興味の尽きない藤森神社を後にして、一の鳥居前の通りを東に進んだ上り坂の先には、、、
JR奈良線のJR藤森駅に出る。
1997年(平成9年)に開業した奈良線で最も新しい駅で、京阪藤森駅との混同を避けるために、JR藤森駅と名付けられたが、実は近くにあるのは藤森駅ではなく墨染駅だったりする。
改札口・コンコース
当駅は、大阪方面と京都方面で駅構内が分断されており、改札内では互いのホームの行き来が出来ない構造となっている。
当駅の開業は、京阪本線開通と同時の1910年(明治43年)と非常に古い歴史を誇っている。
時刻表
京阪本線:出町柳方面
当駅は戦時中の1944年(昭和19年)のごくわずかの期間のみ急行停車駅であった時代があったが、戦後すぐに通過駅となり、その後は実質的な各駅停車のみが停車する駅となっている。
準急も萱島から京都方面は各駅に止まるので、各駅停車の役割を果たしている。
ほぼ全列車出町柳行きで、三条まで先着し、後続の特急の待ち合わせを行う。
京阪本線:淀屋橋・中之島線方面
大阪方面行きも同様で、準急も萱島まで各駅の役割を果たす。京都方面行きと違い、ラッシュ時間帯でも増発が無いのが特徴。
準急は次の丹波橋で後続の特急の待ち合わせを行う。
乗り場
ホームは相対式2面2線の構造。両ホームは完全に独立しており、改札内では互いのホームを行き来することが出来ない。
駅南側・墨染通上の踏切から南方向の丹波橋・淀屋橋方面を望む。丹波橋駅までは1kmしか離れておらず、その間に近鉄京都線が京阪本線を跨いでいく。
反対側の隣駅である藤森駅とも1kmしか離れていないが、藤森神社とJR藤森駅には藤森駅ではなく当駅の方が近いという、何とも京都らしい「一言さんお断り」的な状況となっている。
京阪本線の駅ながら、どこかローカル線的な雰囲気を醸し出しているのが魅力の墨染駅。
かつてこの付近に構内踏切が存在したが、1990年代に撤去されたため、現在は改札内で互いのホームの行き来が出来なくなっている。
2番線に、7000系の準急淀屋橋行きがやってきた。次の萱島までは各駅停車の役割を果たし、次の丹波橋で特急の待ち合わせを行う。
当駅付近には、かつて陸軍16師団が点在していたことから、終戦間際のほんの一時期だけ急行停車駅となったことがあるらしい。
ホームのすぐ間際まで民家が攻め寄せている。
京阪本線屈指の秘境駅である橋本駅ほどではないが、ここもなかなか魅力的なレトロ感を醸し出している。
当駅の利用客数は、1日約8000人。1997年(平成9年)に開業した600m東のJR奈良線・JR藤森駅への流出が見られるようだ。
1番線に、1000系の準急出町柳行きがやってきた。種別は準急だが終点まで各駅に停車し、三条で特急の待ち合わせを行う。
その準急を追う8000系特急の出町柳行きが通過。今世紀に入って停車駅が大幅に増えたが、この2扉車は現役で活躍を続けている。
当駅付近までは京阪本線の西側を流れていた疎水は、この先で京阪本線をくぐって、同線に東側に移る。
えきログちゃんねる
[京阪本線墨染駅]8000系特急同士の行き違い風景201604