清酒月桂冠発祥の地であり、幕末の志士・坂本龍馬ゆかりの地に位置する、京阪本線・宇治線の3面4線の地上駅。
特急停車駅としては異例の1万人程度の乗降客数ながら、当初隣の伏見桃山駅となるはずだった宇治線との接続駅となったことで、特急停車駅に昇格する幸運を有する駅である。
大阪万博時まで存在した旧・京都市電伏見線の廃線跡が残る、駅前周辺の下町情緒的雰囲気と、酒造の町の栄華を醸し出す遊歩百選・濠川の美しい情景との見事なギャップが体感でき、当駅の潜在力を示す魅力的な観光資源を有する駅でもある。
目次
外観・駅周辺
【日本最初の市電・京都市電伏見線跡】
京阪本線と宇治線との接続駅であり、特急停車駅でもある中書島駅。その北口を望む。
この北口駅前広場は2005年(平成17年)にリニューアルされたものだが、実は大阪万博開催の1970年(昭和45年)までは、この場所から路面電車が運行されていた。
当駅北には、幕末の志士であった坂本龍馬が定住していた老舗旅館・寺田屋が存在し、「幕末のまち」としてPRされている。
この京阪電車の北口改札の真北にあるこの駅前広場が、まさに1970年(昭和45年)まで路面電車の電停のあった場所らしい。
その路面電車とは京都市電伏見線で、1895年(明治28年)に開業された栄えある日本初の路面電車である。
平安遷都1100年祭記念事業の一環として京都電気鉄道によって敷設されたが、1918年(大正7年)に京都市に買収された。
その旧・中書島電停からタクシーが列をなしている北西方向への通りが、伏見線の廃線跡となっており、、、
その通りに向かって北に進むと、、、
府道115号線(伏見港京都停車場線)との合流地点である中書島交差点に出る。京都市バスの中書島停は、この場所に存在している。
旧・京都市電伏見線は、中書島交差点からは府道115号上を走行し、この京橋にも電停が存在していた。
京都駅と伏見とを結ぶ重要路線であった伏見線だが、高度成長期のモータリゼーションの潮流に押され、1970年(昭和45年)にその70年の歴史に幕を閉じている。
【幕末の歴史舞台と清酒月桂冠発祥の地】
上の写真の京橋は濠川(宇治川派流)に架かる橋であり、東方向は下町風情溢れる駅前周辺とは趣きを異にした情景が堪能できる。
「中書島」という名前は、江戸時代の文禄年間の中務省の少輔(唐名で「中書」)・脇坂安治の屋敷があった島であることから呼ばれた当地周辺の俗称で、実際にこの濠川含む四方を川で囲まれた島の地形をしている。
さらに、この京橋は幕末の江戸幕府と新政府軍との戊辰戦争の緒戦となった鳥羽・伏見の戦いにおける激戦地の一つでもあったらしい。
その京橋の北詰から東に折れた街道を進むと、幕末の志士・坂本龍馬が定住し、あの「寺田屋事件」の舞台ともなった老舗旅館・寺田屋が姿を現す。
往年の歴史が刻まれた風情ある建物だが、龍馬時代の寺田屋は鳥羽・伏見の戦いで焼失し、現存しているものは明治時代に再建されたものらしい。
その寺田屋の東側から北方向には坂本龍馬にちなんだ「竜馬通り」が伸びており、伏見区の中心市街地である大手筋に繋がっている。
その竜馬通りからさらに東側は、酒蔵が並ぶ風情ある通りとなっており、、、
かの有名な日本最大の酒造メーカーである月桂冠発祥の地はこの中書島に存在し、現在は「月桂冠大倉記念館」として伏見の酒造りと月桂冠をテーマとした博物館となっている。
その月桂冠発祥の地の裏手にある濠川に架かる弁天橋からは、伏見観光協会が運行する遊覧船である「伏見十石舟(じっこくぶね)」が発着している。
これがその十石舟の華麗なる姿。この「十石舟」は、元々この濠川と宇治川・淀川を航行する輸送船として、江戸時代から明治末期まで運行されていた。
江戸時代の伏見は、京都南部の交通の要衝として、一時期は日本一の大都会的賑わいを見せていたらしい。
それが、1998年(平成10年)に京都市や月桂冠等の出資によって設立された「株式会社伏見夢工房」によって遊覧船として復活し、現在は伏見観光協会によって運行されている。
その十石舟が遊覧する濠川沿いからは、先ほどの月桂冠大倉記念館等の伏見の酒造が一望でき、その美しい景観は「遊歩百選」にも選定されている。
その濠川の西岸、弁天橋のたもとにあるこの長建寺は、異国情緒溢れる竜宮門が特徴的で、京都では唯一・ご本尊が弁財天という珍しい寺院である。
「中書島の弁天さん」とも呼ばれるこの長建寺周辺は、京阪本線屈指の秘境駅である橋本駅同様、かつては遊郭が存在した場所であり、遊女たちの技芸上達の神としても信仰を集めたらしい。
改札口・コンコース
旧・京都市電伏見線の中書島駅のあった駅北口。
当駅は京阪本線開通と同時の1910年(明治43年)に開業した歴史ある駅である。
北口改札は三条・出町柳方面行きの1番線ホームに直結している。
一方の南口は、2004年(平成16年)に新設され、バスターミナルも併設されている。
その南口は、宇治線の4番線ホームの大阪寄りに直結したコンパクトな改札口となっている。
時刻表
京阪本線:淀屋橋・中之島線方面
2000年(平成12年)より終日特急停車駅に昇格した当駅の日中は、淀屋橋行きの特急と準急が毎時6本ずつ運行されている。
準急は萱島まで各駅停車の役割を果たし、樟葉で後続の特急の待ち合わせを行う。
かつては急行も頻繁に運行されていたが、今世紀に入ってからは朝夕時間帯のみの運行に大幅減便された。
宇治線:宇治方面
京阪本線の3年後の開通した宇治線は、全列車当駅ー宇治駅間の線内折り返し運転となっており、日中は10分間隔で運行されている。
かつては、当駅から京阪本線に乗り入れる三条行きの普通や、淀屋橋方面からの臨時・宇治快速等の運行もあったが、現在は全廃されている。
乗り場
ホームは3面4線構造で、左側2線を京阪本線、右側2線を宇治線が使用している。写真は大阪方面から撮影している。
京阪本線の1・2番線の駅票は、次駅表記が京阪本線の駅となっているのに対し、、、
宇治線の3番線ホームの駅票の次駅表記は、西側が京阪本線の淀駅、東側が宇治線の観月橋駅となっている。
同ホームから大阪方面行きの電車が運行されていた時代の名残かと思われるが、現在は宇治線から京阪本線に乗り入れる定期列車は存在しない。
【1番線】京阪本線:出町柳方面
京阪本線・京都方面行きの1番線ホームは、旧・京都市電伏見線の駅のあった北口改札と直結している。
ホーム中央には、当地付近の老舗旅館・寺田屋で定住していた坂本龍馬に因んだ、レトロ調の待合室が設置されている。
元々軌道法によって敷設されたため、カーブが多い路線として有名な京阪電車だが、当駅はホームもかなりの急カーブとなっているのが特徴的だ。
1番線ホームは、かなり東側までせり出しており、2番線ホーム東端から見てもこのような状態となっている。
伏見桃山・出町柳方面はここから大きくカーブしたまっすぐ北上する線形となる。
1番線に新型車両3000系の特急出町柳行きと、往年の名車2600系の準急淀屋橋行きが並んだ。
前世紀までは、特急・急行・普通の3本立てであったが、今世紀に入って特急の停車駅が増加してからは特急・準急の2本立てが主流となった。
次の1番線は、こちらも2600系の準急出町柳行き。2つ先の丹波橋で、特急の待ち合わせを行う。
その準急の後を追いかける8000系特急の出町柳行き。
次の丹波橋駅までは伏見桃山駅だけを通過するという、特急の停車駅間としては異例の短さとなっている。
【2番線】京阪本線:淀屋橋・中之島線方面
2・3番線ホーム東端から東方向を望む。左側2線が京阪本線で、右側2線が宇治線となっている。
2番線に大きくカーブしながら、7000系の準急淀屋橋行きが入線してきた。
その準急を追いかける8000系特急淀屋橋行き。
当駅は開業から6年後の1916年(大正5年)に急行停車駅となったが、特急が停車するようになったのは2000年(平成12年)になってからのことである。
今世紀に入って特急の運行本数が毎時4本から毎時6本に大幅増加したことにより、ロングシート車で運行されるいわゆる「残念特急」の運行比率も上昇している。
写真の6000系は、現在の京阪電車で最多の車両数を誇る主力系統である。
2番線と3番線は島式ホームとなっており、大阪方面行きの京阪本線の電車と、宇治線の電車が対面乗り換え出来るようになっている。
次に2番線にやってきた特急淀屋橋行きは、3扉クロスシート車の3000系だ。
2008年(平成20年)の中之島線直通の快速急行用に製造された車両だが、同線の不振により現在は本線特急の活躍の場を移している。
その特急の後にやってきた7000系の準急淀屋橋行き。
2つ手前の丹波橋で特急の待ち合わせを受けた後なので、樟葉まで先着する。
2・3番線ホーム西端から、淀・淀屋橋方面を望む。
左側の宇治線の線路が右側の京阪本線の線路と合流し、かつては両線間の乗入れ列車も存在していたが、現在は両線を跨ぐ定期列車は全廃されている。
【3・4番線】宇治線:宇治方面
京阪本線の京都方面からは、左に大きくカーブして2番線に入線する本線とは別に、右側にまっすぐ伸びてくる線路が存在するが、、、
この線路は、右側に展開される宇治線の線路方向に伸びていき、、、
宇治線の3番線ホームに繋がっている。
2000年(平成12年)に特急が当駅に停車する前は、京阪本線の三条から宇治線に乗り入れる各駅停車が日中毎時4本運行されていた。
その3番線に停車中の新型車両13000系の普通・宇治行き。
かつて運行されていた三条ー宇治間の列車は、このホームに入線後、スイッチバックしてから宇治線に乗り入れていた。
三条ー宇治間の直通列車が運行されていた当時は、同列車が3番線から、宇治線の線内折り返し列車がこの4番線から発着していたが、、、
現在は早朝のたった数本の電車のみが恐らく錆取り用に運行されているのみとなっている。
そして、現在は全列車線内折り返し運転のみとなっており、2013年(平成25年)からはワンマン運転が実施されるようになった。
宇治線は京阪本線の3年後に開通した路線だが、当初は宇治川電気軌道が所有していた免許を京阪が譲り受けて敷設した路線である。
次の3番線の宇治行きは10000系の4両編成ワンマンカー。
他の私鉄路線と違って、京阪電車では新型車両はまず支線で運用開始するのが特徴的となっている。
当駅が起点となっている宇治線だが、元々は京都方面からの乗り入れが容易で、かつ京都市最大の人口を誇る伏見区の中心市街地に近い北隣の伏見桃山駅から分岐させる予定だったらしい。
しかし、用地買収の困難等諸般の事情により断念され、当駅起点となった。
当駅の利用客数は1日約13000人と、特急停車駅としては異例の少なさであるが、宇治線との接続駅となっているために特急停車の幸運に預かることとなった。
もし、宇治線が伏見桃山駅から分岐していれば、特急停車駅の地位は同駅が獲得していた可能性が高かったかもしれない。
しかし、旧市電の廃線跡や濠川の美しい情景等、当駅の潜在力を示す魅力的な観光資源が潜んでいる。
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[京阪中書島駅]宇治線13000系&京阪特急8000系淀屋橋行き入線風景201604
3番線に宇治線13000系の宇治行きが15km/hの超低速で入線する傍ら、2番線に京阪特急8000系の淀屋橋行きが急カーブで入線してきます。
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