「でんぼ(腫れ物)の神様」として有名な石切剣箭(つるぎや)神社(石切神社・石切さん)の本当の最寄駅である、けいはんな線の2面3線の高架駅。
石切神社境内には75年前に開業した1キロ東の山手にある奈良線・石切駅よりも近く、かつ大阪市内からのアクセス利便性が同駅よりも高いため、同駅の約2倍の利用客数を誇る。
第三軌条方式である大阪地下鉄中央線の延伸線の駅であることから、架線柱に邪魔されない素晴らしい眺望が魅力的で、かつて存在した急行運転構想の形跡が残るホーム構造も駅の魅力向上に一役買っている。
目次
外観・駅周辺
大阪港付近の朝潮橋から大阪市のほぼ中央を東西に貫通する中央大通(大阪市道築港深江線)の東端にある、大阪地下鉄中央線と一体運用されている近鉄けいはんな線の新石切駅。その南側を望む。
上の写真の東側、駅の南東側にある交差点は東山交差点と呼ばれており、、、
駅北東側の交差点は新石切駅前交差点と呼ばれており、同じ場所にあるのに駅の北側と南側で交差点の呼び名が異なるという、なかなか珍しい交差点となっている。
駅名から容易に類推可能な石切剣箭(つるぎや)神社(石切神社・石切さん)の境内へは、実は近鉄奈良線の石切駅よりも当駅が最寄り駅となっており、その新石切駅前交差点から東に向かい、、、
「石切藤地蔵尊」のある交差点から細い道を北に向かう(写真は中央大通に向かって撮影)。
この「石切藤地蔵尊」は、何と南北朝時代(1340年前後)に建立され、病気平癒祈願が叶う場所として多くの参拝客で賑わい、安政年間(1850年頃)から藤の木が自然発生したことから、いつしか「藤地蔵尊」と呼ばれるようになったらしい。
その「藤地蔵尊」から北方向は、石切神社(正式名称:石切剣箭(つるぎや)神社)の西参道に向かう道となっており、、、
上の写真から少し北に進んだところを左(東)に折れると、その西参道が始まる。
その西参道を300mほど進むと、お目当ての石切神社・三の鳥居前に出る。新石切駅からは、たった5分の距離にある。
三の鳥居の東側の上り坂は、近鉄奈良線の石切駅から始まる、魅惑溢れる石切参道商店街、即ち石切神社の表参道になっている。
正式名称・石切劔箭(つるぎや)神社(以下:石切神社)は、「でんぼ(腫れ物)の神様」として知られている。
そして、この石切神社の名物となっているのが、お百度参り。
本殿と三の鳥居の間にある百度石をこんなにたくさんの人が列をなしてぐるぐる回る姿は、全国でもここでしか見られないのではないだろうか。
当社の正式名称である「劔箭(つるぎや)」は、祭神である饒速日命(にぎはやひのみこと)が神武天皇より授かった「石を切るほどの剣と矢」から来ているらしい。
そこから、当社の神威は石をも貫くほど強いと言われており、そのご加護を求めてたくさんの人がお百度参りに訪れるらしい。
この本殿の奥にある穂積殿は、病魔災難除けや学問の神様としても信仰を集めており、この石切神社は東大阪を代表するパワースポットとなっている。
さて、そのご利益鋭そうな石切劔箭(つるぎや)神社を後にして、三の鳥居東側から始まる石切参道商店街に足を踏み入れる。
このレトロ感漂う石切参道商店街は、「東の巣鴨・西の石切」と言われるほどのシルバースポットでもあるらしい。
その参道の中間地点には、奈良・鎌倉に次ぐ日本で三番目を自称する石切大仏の像が出現する。
何において日本で三番目なのかはよくわからないが、実はこれは「赤まむし」で有名なサカンポー(旧・阪本漢方製薬)の四代目当主・阪本昌胤氏が、1972年(昭和47年)に建立したものらしい。
その突っ込みどころ満載の謎めいた「石切大仏」を後に、参道をさらに下る。
「石切大仏」も謎めいているが、この占いの店が異様に密集しているのも、石切参道商店街の謎の一つである。
その魅惑溢れる石切参道商店街の心臓破り的な上り坂を登りきると、ようやく近鉄奈良線の石切駅にたどり着く。
新石切駅より75年前に開業し、石切神社の表参道に直結している当駅だが、境内最寄の三の鳥居には徒歩10分程度を要する。当駅から石切神社まで下る分にはいいが、逆方向はまさに心臓が破れる思いがするので注意を要する。
改札口・コンコース
改札口は、中央大通上にある高架橋から入る。
当駅は、近鉄けいはんな線の前身である東大阪線の開通と同時の1986年(昭和61年)に開業している。
けいはんな線の前身である近鉄東大阪線は、大阪地下鉄中央線の終点である長田駅と近鉄奈良線との接続駅である生駒駅を結ぶ路線で、混雑が激しくなった近鉄奈良線のバイパスとして建設された路線である。
元々は、近鉄が奈良線の混雑緩和策として石切ー森ノ宮間のバイパス線を計画していたが、市営モンロー主義を掲げる大阪市が、近鉄難波線と同じくこちらにも横槍を入れてきたため、一旦計画が断念されたらしい。
しかし、1971年(昭和46年)の都市交通審議会答申第13号で中央線の生駒延伸が急務(当時の中央線の東端は深江橋駅)との方針が出されたため、深江橋ー長田間を大阪市が、同駅以東を近鉄が建設することで話がまとまったらしい。
時刻表
けいはんな線:コスモスクエア・学研奈良登美ヶ丘方面
近鉄けいはんな線は、建設の経緯から大阪地下鉄中央線と一体運用されており、西行きは全列車が中央線の終点・コスモスクエアまで運行される。
一方の東行きは、けいはんな線の終点・学研奈良登美ヶ丘行きと、奈良線との接続駅である生駒行きが交互に運行されている。
乗り場
ホームはけいはんな線の駅で唯一の2面3線構造となっており、島式ホームの間に中線が通る構造となっている。
当駅と東隣の生駒間は生駒トンネルを経由するため、けいはんな線では最長の約5kmの駅間距離となっている。
【1番のりば】けいはんな線:生駒・学研奈良登美ヶ丘方面
けいはんな線は、元々奈良線のバイパスとして企図されたが、その経緯から中央線の延伸線として建設されたため、大阪地下鉄で主流となっている第三軌条方式となっている。
そのため、架線柱が存在しないため、ご覧のような素晴らしい見晴しが堪能できる(写真は西方向の吉田・コスモスクエア方面を望む)。
今度は上の写真の場所から北東方向を望む。
当初東大阪線として開通したけいはんな線だが、開通から約20年後の2005年(平成17年)に現在の終点である学研奈良登美ヶ丘まで延伸され、国家プロジェクトである関西文化学術研究都市(学研都市:けいはんな)を結ぶことから、路線名も「けいはんな線」に改称された。
平日昼間ということもあり、ホーム上にほとんど人が存在しないが、当駅の利用客数は1日約17000人で、実は奈良線の石切駅の倍近い利用客数を誇っている。
近鉄の駅であるが、実質的には大阪地下鉄中央線の延伸線であるためか、発車案内掲示板は同線の雰囲気が感じられるものとなっている。
1番のりばに、大阪市交車24系の学研奈良登美ヶ丘行きがやってきた。
完全に大阪地下鉄中央線の延伸線となっているけいはんな線だが、駅構内放送と車内放送は、けいはんな線独自のものが使用されている。
学研奈良登美ヶ丘行きと交互の運転されている生駒行きは、こちらも大阪市交車20系で発車した。
【3番のりば】けいはんな線:本町・コスモスクエア方面
ホーム東端から生駒・学研奈良登美ヶ丘方面には、生駒山の大眺望が展開されている。
架線柱が存在しないため、視界の開放感に拍車がかかった素晴らしい情景となっている。
全列車が各駅停車で運行され、しかも当駅始発(近鉄用語では当駅仕立)の列車も存在しない当駅だが、謎の2面3線構造となっている。
その理由は、かつて急行電車を走らせる構想があり、当駅で緩急接続を行うことを行うことを想定していたらしい。
しかし、その構想が実現されることは無く、中線の2番のりばが旅客用に使用されることは全く無い状況となっている。
また、もう一つの謎である、中線の1番乗り場側に柵が張り巡らされている理由は、直下に第三軌条が設置されているため、ホームから転落した際に軌条を流れる高圧電気に感電してしまうかららしい。
第三軌条方式の路線は、架線方式の場合よりも建設コストが安いメリットがある反面、曲線走行時の摩擦や振動が大きいため、高速運転には適さないデメリットも有している。
3番のりばに、鉄道車両として初めてグッドデザイン賞を受賞した近鉄7000系のコスモスクエア行きがやってきた。
そのデメリットを補うため、学研奈良登美ヶ丘までの延伸を機に最高速度をこれまでの70km/hから90km/hへと引き上げることに成功し、第三軌条の路線としては日本最速運転を実現している。
その結果、大阪難波駅と同じ経度にある本町駅まで約21分と、奈良線石切駅から急行を利用する場合とほぼ同じ所要時間が実現できている。
さらに、けいはんな線は毎時8本、奈良線の急行は毎時3本であるため、大阪市内への利便性では新石切駅に軍配が上がる状況となっている。
えきログちゃんねる
[近鉄けいはんな線]新石切駅近鉄7000系と大阪市交中央線20系との行き違い風景201604
鉄道車両で初めてグッドデザイン賞を受賞した近鉄7000系コスモスクエア行きと大阪市交20系生駒行きの行き違い風景です。第三軌条方式で架線柱がないため、より開放感ある生駒山の情景が堪能できます。