全国屈指の日本酒の生産地である灘五郷の一つ・魚崎郷の最寄駅である、本線の相対式2面2線の地上駅。
阪神本線開通当初から存在する非常に歴史ある駅で、長らく優等通過駅であったが、六甲ライナー開通を機に利用客数を伸ばし続け、今世紀に入って全列車停車駅へと大昇格を遂げる。
先の大戦とその後の復興により、かつての景勝地・雀の松原の面影は消えたものの、清流・住吉川や菊正宗に代表される酒造地帯の情景は、現在でも堪能することが出来る。
目次
外観・駅周辺
【六甲ライナー魚崎駅と灘五郷の酒造の一端を担う清流・住吉川】
「灘の生一本」で知られる日本酒の一大生産地・灘五郷の一つである魚崎郷の最寄駅・魚崎駅。
市街地にあるにも関わらず蛍が生息するほどの清流である住吉川の東岸に位置する駅北口を望む。
その阪神魚崎駅から北西方向の住吉川西岸には、1990年(平成2年)に開業した六甲ライナー(神戸新交通六甲アイランド線)の魚崎駅の姿が見える。
その住吉川を住吉駅方面の北方向に望む。
この住吉川沿いは「阪神間モダニズム」発祥地の邸宅街が並んでおり、偏差値日本一で有名な灘中学・高等学校もここから徒歩10分程度の距離にある。
今度は、六甲ライナー魚崎駅1番線ホームから南方向を望むと、住吉川東岸に阪神本線の魚崎駅が見える。
六甲ライナー魚崎駅とは2階ペデストリアンデッキで連絡しており、当駅は阪神沿線内で唯一の橋上駅舎となっている。
【日本酒の名産地・灘五郷の一つである魚崎郷・御影郷】
今度は、阪神魚崎駅を反対側の南方向から望む。
実はこの魚崎駅界隈は、戦前までは「雀の松原」と称される松林が美しい景勝地であったらしいが、現在はその面影は残されていない。
かつての景勝地としての面影は失われてしまったが、付近で盛んな酒造りの源となる住吉川の清流は今もって健在である。
今度は、上の写真の場所から住吉川を南方向に望む。
当駅以南は「灘の生一本」で有名な全国有数の酒造地帯「灘五郷」にあたるが、阪神高速3号神戸線と国道43号が付近の景観に大きな影響を与えている。
その阪神高速3号神戸線を超えて住吉川をさらに南下すると、砂礫混じりの河口が見えるが、ここも都会における生態系の宝庫となっているらしい。
そして上の写真の場所から西方向には、年季の入った酒蔵風の建物が見えるが、これが創業350年の辛口銘酒の名門・菊正宗の酒造記念館である。
住吉川から西は灘五郷の中でも「御影郷」と呼ばれる地域であり、この菊正宗は御影で材木商を営んでいた嘉納本家が副業で始めたものと言われている。
アルコール中毒者を煽るとして放送禁止ともなった「旨い物を食べると辛口の菊正宗を飲みたくなる、菊正宗を飲むと旨い物が食べたくなる」の名フレーズのCMで有名な菊正宗は、女性受けする甘口が主流となった日本酒業界において、あえて辛口にこだわり、特に関東地方で高い人気を誇っているらしい。
そして、菊正宗から住吉川を挟んだ対岸はもう一つの灘五郷・魚崎郷であり、日本で最初に商品名が冠されたと言われる剣菱酒造や、、、
その東隣には、酒の仕込み水として全国的に知られる「宮水」を発見したと言われる櫻正宗が君臨するこの通りは、通称・酒蔵通りと呼ばれている。
【酒造の町・魚崎の氏神である魚崎八幡宮】
今度は、阪神魚崎駅東側から住吉川方面を望む。
この西に向けての急激な上り坂からわかるように、実は住吉川は天井川となっており、川はこの場所よりも高い位置にある。
そして、上の写真から南東方向に向かうと、阪神高速3号神戸線の下を走る国道43号の覚浄寺交差点に出る。
その覚浄寺交差点を南に折れると、、、
通り左手に、朱の鳥居が美しい魚崎八幡宮が姿を表す。この鳥居は阪神・淡路大震災後に再建されたものらしい。
鳥居入ってすぐ左手には百度石と、その奥には酒蔵の街・魚崎を偲ばせる酒造業者の名前が記された手水石がある。
この魚崎八幡宮は魚崎地区の氏神であるが、明治以前はJR・六甲ライナー住吉駅前にある本住吉神社が当地の氏神であったらしい。
氏神としての歴史は比較的新しいが神社としての歴史は古く、三韓征伐を行った神功皇后が凱旋の際に休息をとるため、この地に船を停泊させたという言い伝えが残っている。
写真の巨大な松の木が、その停泊地となった「神依りの松」と言われているらしい。
そして、神社東側にある本殿も、震災後の再建されたものらしい。
実は当社境内にはだんじり車庫があり、元氏神であった本住吉神社同様に、5月にだんじり祭りが行われる。
本殿向かい側には、当社の摂社である白髭稲荷神社のかわいらしい連鳥居の姿を見ることが出来る。
改札口・コンコース
改札口は2階橋上部分に一か所ある。
同駅は阪神電車が開業した1905年(明治38年)より存在する非常に歴史ある駅だが、1990年(平成2年)の六甲ライナー開通に併せて駅舎が橋上化された。
その六甲ライナー魚崎駅へは、上の写真の左奥・コンコース北西側にある連絡通路を経由する。
その連絡通路の突き当りを右に折れると、、、
六甲ライナー魚崎駅に到着する。
阪神魚崎駅は開業から85年もの長きにわたって優等通過駅であったが、この六甲ライナーの出現が直通特急含む全列車停車駅へと大昇格させることとなった。
その証拠に当駅の利用客数は、六甲ライナー開通以降右肩上がりで上昇しており、1991年(平成3年)比で何と60%増の1日約26000人にまで増加している。
乗り場
ホームは相対式2面2線の構造。
開業当初はまさか当駅が全列車停車の中核駅になることを想定していなかったであろうことを伺わせるシンプルな構造の駅となっている。
「酒蔵と水の流れる街」である魚崎。付近の酒造地帯は試飲も出来る酒蔵も多く、外国人観光客からも密かに人気の観光スポットとなっているようだ。
ホーム西端からは、当駅の全列車停車駅への大昇格をもたらした六甲ライナーの走行風景を見ることが出来る。
そして、上の写真の場所から右手の北方向には、住吉川対岸にある六甲ライナー魚崎駅の姿が確認できる。
ちなみに、この住吉川を境に阪神電車側の東岸が魚崎郷、六甲ライナー側の西岸が御影郷となっており、同川は市内局番の境界線ともなっているらしい。
今度は、同じ場所から南方向を望む。
現在でも住吉川の清流は健在だが、神戸大空襲によって焦土と化したかつての景勝地は、工業中心の戦後の復興計画によってその面影が失われてしまった。
2番線に、保有球団阪神タイガースカラーをイメージした1000系の神戸三宮行き快速急行がやってきた。
快速急行は、六甲ライナー開通に併せた1990年(平成2年)より、当駅に最初に停車を開始した優等種別である。
今度は山陽5000系の直通特急同士(姫路行き・梅田行き)が並んだ。直通特急は、2001年(平成13年)より終日停車を開始している。
今度の姫路行き直通特急は、阪神8000系でやってきた。
この直通特急は、震災後の1998年(平成10年)よりJR新快速に対抗する目的で阪神梅田ー山陽姫路間で運行を開始した最優等種別である。
阪神電車は、インターアーバン(都市間輸送)の先駆けと言われており、当初は並走するJR神戸線(東海道本線)との競合を危惧して免許を出さなかった逓信省管轄の私設鉄道法による鉄道線ではなく、内務省管轄の軌道法に準拠した「路面電車」として開業している。
1番線にやってきた阪神8000系の須磨浦公園始発の梅田行き「特急」。
当時の内務省による「一部でも路面区間であればよい」との拡大解釈により実現した路線で、その実績はその後の京阪・阪急・近鉄等の類型私鉄が多数誕生する発端となったらしい。
今度の1番線は、近鉄9820系の奈良行き快速急行。
尼崎から阪神なんば線を経由して近鉄奈良線に乗り入れる系統は、実に計画から60年越しの2009年(平成21年)より開始されている。
そして、驚異的な起動加速度を誇る往年のジェットカー5001形は、登場から40年近く経つ今なお健在である。
阪神電車本線は、優等が6両・各駅停車が4両編成という、大手私鉄の主要路線にしては最も短い部類に入るが、その運行本数を増やすことで「待たずに乗れる阪神電車」を実現させている。
ホーム東端から、青木(おおぎ)・梅田方面を望む。
国鉄(JR)との競争上、乗客獲得目的で集落の間を縫って路線が敷設されたため線形面で不利を被っている阪神本線だが、その分きめ細かい輸送が実現されている。
ホーム西端部は地上であったにも関わらず、東端部は高架となっているのも当駅の珍しい特徴となっている。
これは、駅西側を流れる住吉川が扇状地を形成する天井川となっている関係で、同川から離れるにつれて土地が低くなっているためである。
えきログちゃんねる
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