明治天皇の陵墓・伏見桃山陵の最寄駅である、奈良線の2面3線の地上駅。
当地を愛した西本願寺の法主・大谷光尊による強い建設要望があるも、不要不急の駅として自身の寄付によって実現させたという異色の経歴を持つ。
それが、明治天皇の陵墓地選定によって状況が一変、戦前には軍国化に伴う御陵参拝ブームの中、駅の拡張と共にお召し列車も多数発着する重要駅へと位置づけを変える。
しかし、戦後の民主化と共にかつての栄華が鳴りを潜め、栄枯盛衰の哀愁感を漂わせるレトロな駅舎が、何とも言えない魅力を放つ駅となっている。
目次
外観・駅周辺
京都市伏見区の中心市街地・大手筋商店街のある京阪伏見桃山駅から、西に600mほどの距離にあるJR奈良線・桃山駅。
桃山駅東側を東西に走る大手筋上にあるが、伏見の中心市街地とはやや離れた閑静な場所にある。
上の写真の場所から反対方向を望む。左手の西方向に600mほど進むと、近鉄桃山御陵前駅・京阪伏見桃山駅のある中心市街地に向かえる。
逆に上の写真の右手の東方向を進んで、さらに閑静な空間が拡がる。戦前は商店街が並ぶ活気ある街並みだったらしいこの空間の先は、、、
実は、明治天皇の陵墓である伏見桃山陵の入り口につながっている。
そして、荘厳な森林の小路を抜けると、、、
視界が開けた先には、何とも壮大な陵が聳える。この敷地は、実は豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸があった場所らしい。
上の写真の場所から後ろを振り返ると、京都市南部と宇治市の街並みを見下ろす美しい眺望が開けている。
そして、その伏見桃山陵の北にある伏見桃山城。
かつて近鉄グループが「伏見桃山城キャッスルランド」と称する遊園地を運営していたが、2003年(平成15年)に近鉄のリストラの一環で閉園となった。
現在も保存されている本丸・天守閣だが、これは旧・伏見城を保存したものではなく、キャッスルランド建設にあたって建造された鉄筋コンクリート製。
そして、この場所も、旧・伏見城本丸跡地ではなく、旧・伏見城花畑跡地であるというのも、ちょっとしたトリビアかもしれない。
改札口・コンコース
改札口は、駅南側に1か所。
1895年(明治28年)に、当時の奈良鉄道が伏見駅(現・近鉄京都線伏見駅)からの延伸に伴い、その終着駅として開業した。
奈良線仕様の駅票。
実は計画当初は、この地に駅を設置する予定がなかったが、当駅周辺の風景を愛する西本願寺の法主・大谷光尊の強い希望により、駅が設置されることとなったらしい。
時刻表
JR奈良線:宇治・奈良方面
快速通過駅である当駅は、毎時4本の運行体系で、半分が終点奈良まで向かい、残りは途中の城陽止まりとなる。
ラッシュ時でも本数が増えないのが特徴。
JR奈良線:京都方面
京都方面も毎時4本で、全列車京都行き。
乗り場
ホームは単式1面1線と、島式1面2線の計2面3線構造。
徒歩圏内にある京阪伏見桃山駅、近鉄桃山御陵前駅と違って、レトロ感満載の味のある駅舎だ。
さて、大谷法主から強い要望のあった当駅設置だが、当時の奈良鉄道側は必要性を認識しなかったため、駅設置に当たって寄付を要求した。
その結果、大谷法主・当時の伏見町・堀内村からの3分の1ずつの寄付により、駅建設が実現。
日本初の請願駅とされる、しなの鉄道・大屋駅開業よりも1年早い、1895年(明治28年)のことであった。
ホーム東寄りから撮影。
寄付によって建設された駅なので、駅名選定も地元に一任されたが、これも大谷法主の強い要望により「桃山駅」となったという経緯があるらしい。
当駅含むJR藤森ー宇治間は京都市内で数少ない単線区間となっている。
【1番のりば】JR奈良線:京都方面
そんな不要不急の駅として開業した当駅も、1907年(明治40年)の国有化後、明治天皇の崩御を機に状況が一変する。
1番のりば東寄りには、1975年(昭和50年)に達成された自動信号化1万kmを記念した記念碑が置かれている。
2・3番のりばホームから1番のりばを望む。
明治天皇が好んだ伏見桃山の地に御陵が建つこととなり、最寄駅となる当駅では、大喪列車到着用のホームが新設されるなどの拡張工事が行われた。
1番のりばに、現役活躍中の国電車103系ウグイス色の普通京都行きが入線。奈良線の普通は短い4両編成だ。
今度の普通京都行きは、奈良線では珍しい103系スカイブルー車でやってきた。
【3番のりば】JR奈良線:宇治・奈良方面
3番のりば北側にある車止めのある留置線は、かつて存在した4・5番のりばの名残らしい。
両ホームを結ぶ跨線橋。屋根もエスカレーターもないため、お年寄りや子連れの人は一苦労だ。
その跨線橋から北東の伏見桃山陵方向を望む。
駅北側の住宅が立ち並んでいる場所には、かつて別の跨線橋で結ばれた「御陵口」があり、多くの改札が並んでいた。
戦前は、日本の軍国化と相まって桃山御陵への参拝ブームとなり、当駅の利用客が、何と現在の20倍の1日8万人にも及んだ日があったらしい。
3番のりばに到着した、これも103系普通奈良行き。
それが、今ではかつての賑わいは鳴りを潜め、当駅の利用客も1日4千人程度にとどまっているが、奈良線の輸送改善により、20世紀末に比べ5割増しとなっている。
その歴史を紐解いた後に、改めてこの駅を眺めると、レトロな駅舎がより哀愁感を持って味わえる。
スカイブルーとウグイス色の103系が並んだ。
かつてはお召し列車も多数発着し、貴賓室すら設けられていたらしいが、その面影は残念ながら残っていない。
そして、そのレトロな普通電車の間を縫って、2番のりばを221系みやこ路快速京都行きが通過。東福寺まで途中の駅には止まらない。
奈良方面行きの快速電車は、3番のりばを通過する。ホームが大きくカーブしているため、かなり減速して通過していく。
今ではほぼ無人駅となっているが、戦前に存在した当駅の駅長は「指定職」と呼ばれ、京都駅長並みの高い地位にあったらしい。
えきログちゃんねる
[JR奈良線では珍しい103系スカイブルー色]普通京都行き入線風景@桃山駅201511
かつて東海道線で大活躍したレトロ感満載の国電車103系のスカイブルーに遭遇できました。
[JR奈良線桃山駅通過風景]221系みやこ路快速京都行き201511
京都方面行きの通過電車は、1線スルーになっている2番のりばを通過します。
[JR奈良線桃山駅通過・発車風景]221系みやこ路快速奈良行き通過&今でも現役国電車103系普通京都行き発車201511
[まだまだ現役国電車103系ウグイス色]JR奈良線普通奈良行き入線風景@桃山駅201511