京都を代表する繁華街四条河原町にある、島式切り欠き形式の1面3線の地下駅で、阪急京都線の京都側のターミナル駅。
西に向かって隣の烏丸駅までの四条通沿いには、京都屈指の繁華街が形成されている。京都駅再開発によって人の流れに変化が起こっているが、東山の各種観光地も近く、今でも多くの人で賑わいを見せており、烏丸駅の8万人に次ぐ、阪急では京都市内で2番目の1日約7万人に利用客を誇る。
阪急は、「神戸三宮」ごとく、都市名を冠した「京都河原町」への改名を試みたが、「四条河原町」を推す地元の反対に会い、据え置きとなっている。
外観・駅周辺
京都の繁華街および観光地としても中心に位置する四条河原町交差点の東側に流れる鴨川。
四条通にかかる阪急河原町駅と京阪祇園四条駅をつなぐ四条大橋より北方向を望む。京の山々が実に綺麗に見える。
その四条大橋がこれ。手前側が京阪祇園四条駅、奥に進むと阪急河原町駅がある。
四条大橋西詰から鴨川を望む。左手に見えるのが納涼床を設ける飲食店が並ぶ先斗町(ぽんとちょう)。
その先斗町の表通りがこれ。四条大橋西詰と阪急河原町駅との間にある。
そこから少し西に進んだところには、高瀬川に沿って喫茶店やバーなどが立ち並ぶ大人の街道・木屋町通がある。
かつては、1920年代に河原町通拡張により、ルート変更されるまで、この木屋町通を旧京都市電の路面電車が走っていたらしい。
上の写真の場所から四条通を西方向に望む。ここから西に四条烏丸交差点までの約1キロの区間は、京都随一の繁華街となっている。
同じ場所から、今度は四条通を東方向に望む。
四条大橋を渡ってすぐが四条京阪で、東山のふもとにある突き当りが八坂神社のある祇園交差点となる。
そして、さらに西に進んで、繁華街の中心・四条河原町交差点に出る。南西角には高島屋京都店が君臨している。
南東側にあった四条河原町阪急とデッドヒートを繰り広げていたが、売り場面積で優位に立つ高島屋に軍配が上がり、阪急百貨店は2010年(平成22年)に閉店に追い込まれた。
その四条河原町交差点南東角にある京都マルイ。四条河原町阪急閉店後の2011年(平成23年)に、関西で3番目の店舗として開業した。
繁体字での宣伝が見受けられるところに、外国人観光客の急増が伺える。
北東角は、四条河原町阪急に代わって、阪急が新たに開業した商業施設・コトプラス。かつては京阪特急の大看板が掲げられていた。
今度は、同交差点から河原町通りを北方向に望む。ここから河原町三条を超えて、京都市役所のある御池通付近に至るまでの約1キロほども、繁華街が続く区間だ。
四条河原町交差点から四条通西方向は、阪急京都線が地下を走る区間。
観光客や修学旅行でおなじみの新京極や、
寺町京極の商店街が、四条通北沿いに並び、
その南西角には、1895年(明治28年)から営業している老舗百貨店・藤井大丸がある。
河原町駅10番出入口と直結しており、現在は若者向けファッションを中心とした構成で差別化を図っているようだ。
バスターミナル
四条河原町は、京都駅・四条烏丸と並ぶ、市内交通の最重要拠点だが、バスターミナルと呼べる敷地がないため、四条通西側と河原町通りにバス停を分散させて、市内縦横無尽に張り巡らされている路線を捌いている。
特に四条通沿いにあるのりばは、歩道拡張工事によってリニューアルされ、観光客を出迎えるにふさわしい、開放的かつ洗練された乗り場へと大変貌を遂げた。
コンコース・改札口
河原町駅の構内図。改札口は2か所。
ここは、四条河原町交差点東側にある東改札口。
阪急河原町駅は、1963年(昭和38年)にそれまで大宮駅(当時:京都駅)が終点だった同線の延伸に伴い開業された。
東改札を東方向に望む。京阪祇園四条駅へは、突き当りの1番出入口が最寄りとなる。
さらに、西側から引いて眺める。阪急京都線は、戦時統制と戦後の分離の紆余曲折を経て阪急の路線となったが、元々は京阪が建設主体の新京阪線が母体だったというトリビアがある。
上の写真からさらに西に進んだ空間は、東改札と中央改札の分岐点。
ただし、京阪が建設したのは京阪京都駅(現:大宮駅)までで、1964年(昭和38年)の大宮ー当駅間の延伸は、純粋に阪急の手によって行われた。
そして、中央改札付近までくると、リニューアルの雰囲気が漂ってくる。
高島屋の真ん中に位置する中央改札は、2013年(平成24年)に大幅にリニューアルされた。
構内コンコースを南側に寄せることで、空間にゆとりを持たせ、歩行のストレスを軽減させる工夫がなされている。
そして、改札口向かいには、増加する観光客への対応のための観光案内所も設置され、
改札入ってすぐのところには、英語対応のフルカラーLED発車案内板も設置された。
歩道拡張工事で大変貌を遂げたバス停同様、駅も京都観光の玄関口にふさわしい様相となった。
時刻表
京都線:大阪梅田方面
当駅が始発である京都線の日中は特急6本/時、準急6本/時の12本/時体制。
かつては特急・急行・各駅停車の3本立てだったが、速さで圧倒的なJR新快速との勝負を回避するため、今世紀に入って特急の停車駅を増やした結果、20世紀の急行とほぼ同じ停車駅の特急と、高槻市まで各駅に止まる準急の2本立てとなり、各駅停車は原則梅田ー高槻市間の折り返し運転となった。
特急より6分早く発車する準急は、途中の桂で後続特急の待ち合わせを行うことで、特急通過駅となった大宮駅の乗客を拾っている。
乗り場
ホームは島式1面3線。地上を走る四条通の道幅制限を受けるため、2号線は3号線を切り欠いた先にある。
このホーム構造は京都線の建設母体である京阪の淀屋橋駅と同じであるのは興味深い。そして、その両駅が同じ年に開業したというのも、偶然とはいえ興味深い事実だ。
ちなみに、阪急京都線の建設元であった京阪は、戦時統制の影響で阪急と合併したが、戦後まもなくの1949年(昭和24年)に京阪と阪急は再分離。
その際、京都線は、宝塚線を介して十三から阪急梅田に乗り入れていたという理由から、建設元の京阪ではなく、なぜか阪急に所属することとなったという経緯がある。
切り欠きの2号線は、かつては各駅停車の指定席だったが、特急・準急の二本立てになってからは、土休日の快速特急・京トレイン等一部の電車以外は利用されなくなった。
従って、日中時間帯は、京阪淀屋橋駅の切り欠きホーム同様、閉鎖され、照明も落とされる。
朝時間帯でまだ閉鎖前の2号線に潜入。切り欠き部分なのでホーム幅は当然狭い。
上の写真の場所から、2号線の車止め方向を望む。
大宮ー当駅の延伸が、もし京阪の元で行われていたら、京阪本線(祇園四条駅)との公式の接続駅となっていたのだろうか。
日中の3号線からは、高槻市まで各駅に止まる準急が発車する。
新型車両・1300系準急梅田行きの横顔。朝ラッシュ時と土休日は、地下鉄堺筋線に乗り入れる天下茶屋行きも運行されている。
そして、1号線からは特急が発車するが、3号線と同じ1300系がやってきた。
普段はクロスシートの9300系で運行されるが、1300系はロングシート車なので、いわゆる「残念特急」と言われている。
今度の3号線の準急は、7300系改造車。嵐山線との接続駅である桂まで先着して、後続の特急の待ち合わせを行う。
次の1号線の特急梅田行きは、クロスシート車の9300系。「当たり特急」だ。
近鉄5200系に始まり、JR221・223系から、この阪急9300系、そして京阪・新3000系にまで広がった3扉・クロスシート車は、関西優等列車の新スタンダードとなってきている。
いまや京都線の古参の一角となった5300系は、今でも現役で頑張っている。
ホーム中ほどは、1号線と3号線の1面2線構造になる。
3号線の車止め方向を望む。元々この河原町まで延伸するべく免許を取得していた、京都線の生みの親である京阪は、その念願叶わず別離の運命を味わうこととなった。
2300系引退の今、京都線の最古参となった3300系が、準急梅田行きとして3号線から発車していった。
えきログちゃんねる[動画配信]
[阪急河原町駅入線発車風景]7300系改造車準急梅田行き発車&9300系特急梅田行き入線201512
3号線から準急が発車する横を特急が1号線に入線してきました。
[阪急河原町駅入線風景]新型車両1300系準急梅田行き@3号線201512