和歌山の代表駅・JR和歌山駅構内の東端に位置する、貴志川線の単式1面1線の地上駅。
現和歌山駅が東和歌山駅として開業時に最初に乗り入れた路線の一つだが、経営主体が転々とし、2006年(平成17年)に、約半世紀に渡る南海の経営から、岡山電気軌道を親会社とする現和歌山電鐵に譲渡されるという波乱の歴史を有する。
長らく赤字に苦しむ路線であったが、「たま駅長」や「いちご電車」等の地元密着型の取り組みにより、赤字幅の大幅圧縮に成功し、地方鉄道再生のモデルケースとして注目を集めている。
外観・駅周辺
和歌山県の代表駅であるJR和歌山駅。和歌山電鐵和歌山駅は、同駅構内の東端に入居している。
和歌山市の繁華街に近いJR和歌山駅の西口。
そこから伸びる和歌山市のメインストリートであるけやき大通りから徒歩20分程度のところにある和歌山城。
1585年(天正13年)に羽柴(豊臣)秀吉の命を受けた羽柴秀長によって築城され、江戸時代には徳川御三家の一つ・紀州徳川家の居城として栄えた。
長らく和歌山市の中心駅であった、全国最初の「市駅」である南海和歌山市駅は、和歌山駅から3キロほどの距離にある。
かつては、JR和歌山駅・南海和歌山市駅間は和歌山軌道線と呼ばれる路面電車で接続されていた。
改札口・コンコース
JR和歌山駅構内にある和歌山電鐵和歌山駅へは、JRの改札を経由する必要がある。こちらは目抜き通りのけやき大通りに面する西口。
和歌山駅構内には跨線橋と地下道があるが、和歌山電鐵の駅に通じているのは地下道のみとなっている。
そのホーム北側にある地下道を東に進むと、、、
和歌山電鐵のある9番のりばへの階段につながる。
階段の先には同線用の別改札があるため、のりば番号は続きとなっているが共同使用駅とはなっていない。
階段横にある液晶形式の発車案内板。かつて一世を風靡した「たま駅長」は、2015年(平成27年)に逝去し、名誉永久駅長に任命された。
乗り場
のりばは、JR和歌山駅8番のりば東側にある単式1面1線。
和歌山駅は、南海和歌山市駅に遅れること20年の1924年(大正13年)に東和歌山駅として開業したが、その開業当時に乗り入れたのが和歌山(現・紀和)-箕島間の紀勢線とこの和歌山電鐵貴志川線であった。
その9番のりばに停車中の2270系おもちゃ電車。
当時の貴志川線は山東軽便鉄道と名乗り、1931年(昭和6年)に和歌山鉄道と社名変更され、1957年(昭和32年)には現阪和線の前身・阪和電気鉄道の傍流会社であった和歌山電気軌道に合併された。
8番のりば・紀勢線105系和歌山市行きと、9番のりば・2270系南海カラーの貴志行きとの並び。
さらに、1961年(昭和36年)には和歌山電気軌道を南海が合併したため、当線は南海の路線となった。
その両車のアップ。
南海による経営は45年間続いたが、経営難から2004年(平成16年)に貴志川線廃止の意思を表明した。
9番のりばの車止め方向を望む。
しかし、大規模な存続運動が起こり、公募の結果、地元自治体の補助の元、岡山電気軌道に譲渡され、岡山の事業体が和歌山の鉄道を運営するという珍しい事例となった。
当駅の利用客数は1日約5300人程度。
2006年(平成17年)に南海から譲渡されて以降、利用客数は1割程度増加している。
「日本一心豊かなローカル線になりたい」というモットーの元、地元と一体となって活性化に取り組み、特に前述の「猫の駅長」は、和歌山電鐵の話題作り・乗客数増加に大いに貢献した。
そして、南海から無償譲渡された2270系も、地元や観光客の関心喚起のために、親会社の岡山電気軌道属する両備グループのデザイン顧問・水戸岡鋭治氏の元、ユニークな塗装が施されている。
これはリニューアル車第一弾である「いちご電車」。いちごは貴志駅周辺の特産物らしい。
JR和歌山駅1番のりばから、9番のりばに入線する和歌山電鐵2270系の姿を捉える。
そして、これがリニューアル車第二弾の「おもちゃ電車」。何と車内ではカプセルおもちゃの自動販売機が設置されているらしい。
これら一連の取り組みによって利用客数は増加しており、地方鉄道再生のモデルケースとして「第5回日本鉄道表彰選考委員会特別賞」を受賞している。
次の田中口駅付近まではJRきのくに線と並走する。
収支面でも、利用客数増加による収益増に加え、人件費や減価償却費等のコスト削減効果も加わり、赤字幅は移管前の10分の1程度にまで大幅改善されている。
えきログちゃんねる
[和歌山電鐵おもちゃ電車]2270系貴志行き発車風景@和歌山駅201512
南海貴志川線を岡山電気軌道が引き継いで運行している路線です。JR和歌山駅に併設された1面1線の駅から独特の塗装車が発車していきます。