南海岸里玉出駅から西に徒歩数分の位置にある、阪堺線の千鳥式2面2線の地上駅。
駅真横にある「天神ノ森天満宮」の境内から伸びる樹齢600年超の大クスノキが印象的で、レトロな阪堺線沿線とは趣きを異にした神々しい雰囲気が味わえる。
また、当宮は千利休が涌水に惚れ込んで茶室を建てたり、秀吉が淀君解任の際に安産祈願に訪れたりと、近くにある住吉大社の存在に埋もれて目立たない存在ながら、実は物凄いパワースポットであり、秀吉が茶の湯を堪能した「天下茶屋」も、実は当駅が最寄り駅となっている。
外観・駅周辺
大阪一スリリングな塚西・東玉出電停から北上し、専用軌道に入ってすぐのところにある阪堺線・天神ノ森駅。
駅周辺は、レトロでディープな阪堺線沿線内では珍しい閑静な場所となっている。
それもそのはず、実はこの「天神の森」は天神ノ森天満宮と呼ばれる神社の境内から伸びているのだ。
鳥居の路地の先にある天神ノ森駅は、まさに神社に隣接した神がかり的な駅なのだ。
その境内に入る。天満宮と呼ばれるからには菅原道真と関係があり、この地は氏が住吉大社への参拝途中に休憩した場所とされている。
その後、応永年間(1394年ー1428年)に、「天神さん」の総本社である北野天満宮の分霊を奉斎したとされ、この本殿は1702年(元禄15年)に建設されたものらしい。
本殿向かって右手にある出産安易の霊験があるとされる「子安石」。豊臣秀吉が淀君解任の際に安全祈願に訪れたと言われており、当社は別名・子安天満宮とも呼ばれている。
また、千利休の師である茶道中興の祖・武野紹鴎は、ここから出る涌水に惚れ込み、この天神の森の一隅に茶室を設けたことから、「紹鴎森」とも呼ばれている。
当宮は、近くにある大住吉大社の前に目立たない存在であるが、実はかなりのパワースポットなのだ。
そして、その天神ノ森天満宮から西に進むと、住宅街の中にひと際際立つ大きなクスノキがあるが、、、
実は、ここが秀吉が堺との往来の途中に立ち寄って茶の湯を楽しんだことで有名な「天下茶屋」跡地。
今では面影がなくなってしまったが、当時は秀吉がこの付近の風景を称賛するほどの美しい景観だったようだ。
その天下茶屋跡地からさらに西に進むと見えてくるのが、南海岸里玉出駅の岸里口。
「天下茶屋」は実は天下茶屋駅ではなく、天神ノ森駅か岸里玉出駅が最寄りというトリビアの発見である。
時刻表
阪堺線:我孫子道方面
阪堺線は長らく阪堺電車の基幹路線であったが、あべのハルカス開業に伴いダイヤ改正で、日中は1時間当たり3本へと大減便された。
また、運行経路もかつては恵美須町ー浜寺駅前間がメイン路線だったが、同ダイヤ改正により天王寺駅前ー浜寺駅前間がメイン路線となり、恵美須町始発の電車は全列車我孫子道行きに変更された。
乗り場
ホームは専用軌道上に千鳥式配置の2面2線構造となっている。
南海の100%子会社である阪堺電車の駅票は、親会社・南海の仕様となっている。
今は別会社となっているが、1915年(大正4年)から1980年(昭和55年)までの実に65年間は、南海の路線であった。
存続の危機を支える堺市の依頼を受け、羽衣国際大学の放送・メディア映像学科の学生の手によって制作された、堺市のPRドラマ「阪堺電車」。
阪堺電車を通して街の魅力発見につなげようとする面白い試みである。
西成のパワースポット・天神ノ森天満宮の横を、モ601形恵美須町行きが駆け抜けていく。
ホーム端から新今宮駅前・恵美須町方面を望む。
この周囲は神々しい雰囲気に覆われているが、一歩先に進むとまた大阪下町のディープさが戻ってくる。
これが、我孫子道方面行きホームから見える、樹齢600年を超えるクスノキだ。
そして、このホームにモ701形の我孫子道行きがやってきた。
千鳥式となっている恵美須町方面行きホーム横を駆け抜けていく。
奥に見える高架は南海岸里玉出駅の高野線ホームとなっており、
その高架の手前の併用軌道への入り口付近には、1971年(昭和46年)に廃止された宮ノ下電停跡が現在でも残っている。
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[レトロな阪堺線内にあるパワースポット・天神ノ森駅]阪堺線モ701形我孫子道行き入線発車風景201601