和歌山市の市街地東部に位置する、阪和線・きのくに線・和歌山線・紀勢線の計7線の地上駅で、県内最大の利用客数を有するターミナル駅。
競合の南海和歌山市駅の約20年後に紀勢線の「東和歌山駅」として開業するも、戦時統制による阪和線国有化を契機としたターミナル機能強化により、長らく和歌山市の代表駅として栄華を誇っていた和歌山市駅から主役の座を奪い取るまでに至る。
市のメインストリート「けやき大通り」に面し、県内唯一の百貨店を従え、4方向の列車が発着する様は、和歌山の中心駅としての風格が存分に備わっている。
目次
外観・駅周辺
和歌山市の代表駅である和歌山駅。その西口より駅舎を望む。天王寺ミオの2号店として出店された和歌山ミオが入居している。
駅西口に君臨する近鉄百貨店和歌山店。
近鉄の走らない和歌山の地になぜ近鉄百貨店があるかは不明だが、2014年(平成26年)に和歌山市駅1階に入居していた高島屋が閉店した今、県内唯一の百貨店となっている。
和歌山駅の地下は開放的な空間となっており、車どおりの多い地上を回避できるようになっている。
和歌山駅西口からは、和歌山市のメインストリートである「けやき大通り」が東に伸びており、、、
和歌山市の商業中心地が形成されている。
この通り上を1971年(昭和46年)まで南海和歌山軌道線の路面電車が走っており、和歌山駅と和歌山市駅を結んでいたらしい。
けやき大通りは和歌山市のメインストリートであり、広く開放的に整備されているが、昼間でも人通りが少ない。
和歌山市は、郊外化や大阪への交通網の整備に伴うストロー現象による人口減少が大きな課題となっており、人の回帰に苦労しているようだ。
上の写真の場所からさらに東に進んだところにある北ノ新地交差点を東方向に望む。暖かくなると、けやき並木による良好な景観が形成される。
そして、北ノ新地交差点からさらに東に進んだところにある公園前交差点。この周辺は、行政機関や商店等が集積する和歌山市の中心市街地だ。
日本100名城の一つ・史跡和歌山城
その公園前交差点南西角にある公園前バス停付近は、実は和歌山城への入り口となっている。
中に入り、壮大な石垣の階段を上ると、、、
和歌山の市街地が一望できる。
そこからさらに登ると天守にたどり着く。
和歌山城は1585年(天正13年)に羽柴(豊臣)秀吉の命を受けた羽柴秀長によって築城された。
和歌山はもともと「若山」と呼ばれていたが、古代からの名勝「和歌浦」にちなんで、秀吉が当城築城の際に「和歌山」に改められたらしい。
和歌山城は、姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられる大規模なお城である。
その和歌山城から、今度は中央通りを北上すると、南海和歌山市駅の壮大な駅舎が遠くから確認できる。
和歌山駅から3キロほどの場所にある南海和歌山市駅。和歌山駅より20年早い1903年(明治36年)に開業し、長らく和歌山市の代表駅として栄えた。
そのかつての栄華を彷彿とさせる巨大な駅ビルは、残念ながら再開発で解体撤去されることとなった。
バスターミナル
バスターミナルは、駅の南西側に広がっており、、、
和歌山バスが市内方々に路線を走らせる、南海和歌山市駅と二分する重要拠点となっている。
和歌山バスは、1975年(昭和50年)に南海から分離独立したバス事業体だが、現在でも南海グループに属している。
改札口・コンコース
1番のりばに直結した西口改札は、地方のターミナル駅の雰囲気が堪能できる場所だ。
現在は当地に落ち着いた和歌山駅だが、1968年(昭和43年)までは現在の紀和駅が和歌山駅であり、当駅は東和歌山駅を名乗っていた。
西口改札に直結する1番のりばを望む。
当駅の開業は、南海和歌山市駅から遅れること約20年の1924年(大正13年)。国鉄紀勢線の和歌山(現・紀和)-箕島間開通に伴って東和歌山駅として開業した。
1番のりばから西口改札を望む。
開業当時は紀勢線と山東軽便鉄道(現・和歌山電鐵貴志川線)が乗入れていたが、1930年(昭和5年)に阪和線の前身である阪和電気鉄道も乗り入れを開始した。
レトロ感のある橋上コンコース。
その後経営難に陥った阪和線を1940年(昭和15年)に何と南海が買収し、1944年(昭和19年)に国有化されるまでの短い間ではあったが、南海は当駅と和歌山市駅の両ターミナルに駅を構えていた。
構内連絡通路は地下にも存在し、、、
当駅に最初に乗り入れた路線の一つである山東軽便鉄道は、その後経営主体を転々とし、2006年(平成18年)より岡山電気軌道を親会社とする和歌山電鐵が運営主体となった。
和歌山駅構内を共有しているが、同線への乗換には階段を上がったところにある中間改札を通る必要がある。
駅東口側は、建物の集積は少ないが、学習塾や予備校等の教育関連施設が多いのが特色となっているらしい。
時刻表
阪和線:鳳・天王寺・大阪方面
1930年(昭和5年)に阪和電気鉄道によって開通され、戦時中に南海を経て国有化された阪和線は、南海本線との競合路線となっている。
日中の運行体系は、天王寺から大阪環状線に入る紀州路快速大阪方面行きが毎時4本、大阪を経由せずに梅田貨物線から新大阪・京都方面に向かう特急くろしお号が毎時1本の計毎時5本体制となっている。
紀州路快速は、日根野まで各駅に止まり、同駅で関西空港からの関空快速と連結して運転される。天王寺までは約65分で運行される。
きのくに線:御坊・白浜・新宮方面
当駅から南紀方面に向かう紀勢本線はきのくに線と呼ばれており、日中は御坊行きの普通が毎時2本、特急くろしお号は毎時1本の計毎時3本が運行されている。
御坊以遠は毎時1本体制となり、普通のうち1本が終点の御坊で紀伊田辺行きと接続している。
和歌山線:粉河・橋本方面/紀勢線:和歌山市方面
和歌山県の東部から奈良県方面に向かう和歌山線は、粉河止まりと高田から万葉まほろば線経由の奈良行きが毎時1本ずつ運行されている。
当駅ー和歌山市駅間は紀勢線と呼ばれており、日中は毎時1本が運行されている。
当駅と和歌山市駅の間にある中間駅が、1968年(昭和43年)まで約44年間和歌山駅を名乗っていた紀和駅だ。
乗り場
当駅は地下通路を介して和歌山電鐵の駅と繋がっているが、JR線は単式1面1線と島式3面6線の構造となっている。
当駅の利用客数は、和歌山電鐵含めて1日約5万人。
かつて和歌山市の代表駅であった和歌山市駅の全盛期に匹敵する利用客数で、同市の代表駅の座を和歌山市駅より奪い取った。
【1番のりば】きのくに線特急くろしお号:天王寺・新大阪・京都方面
1番のりばは、きのくに線と繋がっており、同線からやってくる主に特急くろしお号の新大阪・京都方面行きが発車する。
その1番乗り場は、西口改札に直結している。
和歌山は南に奥の深い、関西有数の観光地だ。
かつて新快速で一世を風靡した117系が、オーシャンブルーの和歌山色で活躍の場を移している。
その横顔。以前はこの顔が頻繁に見られたようだが、当駅以南にも223系・225系が投入された影響で運用が大幅に減っている。
1番のりば南端から望む。橋上コンコース付近までの短いホームが阪和線の2・3番のりばだ。
上の写真の場所から南方向を望む。阪和線の2・3番のりばの先は車止めが設置されている。
そして、1番のりばに、287系の特急くろしお号新大阪行きがやってきた。
1965年(昭和40年)に天王寺ー名古屋間を阪和線・紀勢線・関西線経由で運行する特急として設定されたが、1978年(昭和53年)の当駅ー新宮間の電化により、新宮駅を境に天王寺ー新宮間が「くろしお」、新宮ー名古屋間が「南紀」に系統分離された。
【2・3番のりば】阪和線:関西空港・鳳・天王寺・大阪方面
JR西日本のアーバンネットワークに属する阪和線はラインカラーが設定されており、「陽光あふれる大地につながるイメージ」のオレンジ色となっている。
2・3番のりばからは当駅始発の紀州路快速大阪方面行きが15分間隔で運行されており、223系・225系車両が使用されている。
かつては快速・普通が毎時3本ずつの運行されていたが、2011年(平成23年)のダイヤ改正より紀州路快速のみの毎時4本体制に変更となった。
当駅を4両で発車する紀州路快速は、日根野・熊取まで各駅に停車し、日根野で関西空港からの関空快速を連結させて同駅以遠は8両で運転される。
阪和線の前身は、阪和間輸送の南海独占を切り崩すために、1929年(昭和4年)に京阪と大阪商船等の出資で建設された私鉄路線である阪和電気鉄道。
当時は阪和東和歌山駅と名乗り、国鉄の東和歌山駅とは別駅であったらしい。
しかし、南海との激しい乗客獲得競争に敗れ、1940年(昭和15年)に南海に吸収合併され、さらに終戦直前の1944年(昭和19年)に国鉄に戦時買収されたという波乱の歴史を有する。
そして、その国有化を機に南海東和歌山駅(元阪和東和歌山駅)は、国鉄東和歌山駅に統合された。
2・3番のりばホームでレトロ感のある駅弁・うどん屋を展開する阪和第一食堂。当駅では同社と和歌山水了軒の2業者が民営化前から営業を行っているという、近畿では珍しい例らしい。
終戦直前までは、国鉄(紀勢線)・南海(阪和線)・和歌山鉄道(貴志川線)の3社の駅が混在する場所であったが、阪和線の国有化は、大阪方面から国鉄が直結することによる当駅の重要性を高め、和歌山市駅から市の代表駅の座を奪取する契機となったようだ。
【4・5番のりば】きのくに線:御坊・白浜・新宮方面
4・5番のりばからは、主に当駅始発の普通電車と、大阪方面からやってくる特急くろしお号が発車する。
5番のりばから発車する223系普通御坊行き。以前は117系も多用されていたが、現在はこちらが主流となっている。
阪和線の2・3番のりばに比べて、利用客が少ないこともあってかホーム幅は狭くなっている。
5番のりばと7番のりばとの間が広く空いているのは、かつてホームの無い6番線の線路が存在したためらしい。
7番のりばホームから、4・5番のりばを望む。
阪和線国有化後、和歌山市の代表駅としての地位を固めていったが、東和歌山駅から和歌山駅に改称されたのは1968年(昭和43年)のことだ。
橋上コンコースから北方向を望む。左側が西口だ。
4番のりばに、287系の特急くろしお号新宮行きが到着した。
新宮は同じ和歌山県内だが、当駅から実に3時間の長旅を要する。和歌山県は奥が深い。
【7・8番のりば】和歌山線:粉河・奈良方面/紀勢線:和歌山市方面
和歌山線と和歌山市行きの紀勢線が発車する7・8番のりば。
両線にもラインカラーは設定されていない。
7番のりばに停車中の和歌山色105系の和歌山線・普通奈良行き。
高田から万葉まほろば線に入る運用で、毎時1本運転されており、奈良まで乗れば3時間程度の長旅だ。
同じ105系だが、1両目と2両目で顔の表情が異なっている。
105系はそれまで地方のローカル電化区間で使用されてきた旧式電車の代替として製造された形式だ。
8番のりばには、同じ105系の和歌山市行きが、こちらも2両編成で入線。
紀勢線の当駅ー和歌山市間は、和歌山線・万葉まほろば線と車両が一体運用されており、公式には紀勢本線だが、きのくに線の愛称が設定されている当駅以南の区間とは完全に系統分離されている。
そして、こちらも1両目と2両目で顔の表情が異なる。
万葉まほろば線(桜井線)・和歌山線の利用促進と観光誘致のために、2009年(平成21年)より運転が開始された「万葉の四季」ラッピング車だ。
105系同士の並び。和歌山線の前身は紀和ー五条間を開通させた紀和鉄道で、同線は当駅へは乗入れていなかったが、1972年(昭和47年)より和歌山線の当駅乗り入れが行われるようになった。
8番のりばの東側にもう一つ存在する単式の駅は、、、
和歌山電鐵貴志川線の和歌山駅。きのくに線と共に当駅に最初に乗り入れを行った路線である。
経営主体は転々とし、1961年(昭和36年)から45年間当線を運営していた南海から2006年(平成18年)に岡山電気軌道を親会社とする現和歌山電鐵が引き継いだ。
8番のりばのJR紀勢線105系と、9番のりばの和歌山電鐵2270系の並び。
元南海の路線なので、営業譲渡から10年近く経つ今でも南海カラーの車両が走り続けている。
7・8番のりばの先も車止めとなっており、南方向には行けなくなっている。
えきログちゃんねる
[JR和歌山駅の日常]287系特急くろしお号新大阪行き入線&223系きのくに線普通御坊行き発車201512
223系きのくに線普通御坊行き発車@5番のりば
⇒287系阪和線特急くろしお号新大阪行き入線@1番のりば
[JR紀勢線車内放送]和歌山行き(南海和歌山市⇒JR和歌山)201512