国宝・石清水八幡宮が鎮座する男山山頂付近に位置する、鋼索線(男山ケーブル線)の頭端式2面1線の終着駅。
石清水八幡宮の裏参道につながる男山山頂にある展望台からは、「百万弗の眺望」の名にふさわしい京都洛南の絶景が堪能でき、表参道とは異なる味わいが楽しめる。
また、神社が鎮座する男山山中の荘厳な雰囲気とは裏腹に、戦時中に一時廃止され、その後復活を果たすという波乱の歴史を併せ持ち、素朴ながら魅力の詰まった駅である。
外観・駅周辺
国宝・石清水八幡宮が鎮座する男山山頂付近に位置する、その名の通りの男山山上駅。
その男山山上駅の裏側に回る。男山は京都から見た西南の方向・つまり裏鬼門の位置にある山なのだ。
さて、当駅のハイライトである「百万弗の眺望」を望むべく、駅正面向かいにある写真左側の急階段を登ることにする。
その急階段から男山山上駅を望む。男山の木々に囲まれた荘厳な雰囲気の駅舎である。
男山山頂からの百万弗の眺望
こういうアングルで見ると、この急階段がいかに急なのかが、おわかり頂けるかもしれない。
そして、その急階段を登った先の山頂にある男山展望台。標高143mのその展望台から開けるのが、、、、
京都洛南の絶景だ。夜には「百万弗の眺望」の名に違わない素晴らしい夜景が展開されるらしい。
鉄道撮影スポットとして有名な京阪本線の木津川橋梁の姿も肉眼で確認できる。
その展望台に端に建てられた谷崎潤一郎の文学碑。
関東大震災を契機に関西に移り住んだ氏は、関西の風土と伝統文化に魅せられ、当地付近を舞台とした「蘆刈(あしかり)」をはじめとする様々な純文学作品を発表した。
裏参道から回る国宝・石清水八幡宮
実はこの展望台は、石清水八幡宮の裏参道につながっている。
つまり、京阪八幡市駅からケーブルカーで来た際は、裏参道側から石清水八幡宮に向かうことになるのだ。
その裏参道は、三の鳥居を経由せずに、この南総門の正面付近に繋がっている。
その南総門から三の鳥居方向を望む。この石畳の美しい参道は「馬場先」と呼ばれて、表参道から来た場合はここを通ることになる。
そして、南総門をくぐった先にある国宝・石清水八幡宮の本殿。
「八幡造」と呼ばれる独特の構造をしたこの本殿は、参道に対してやや西側を向いているのが特徴的だが、これは参拝して帰る際に八幡大神に対して真正面に背を向けないように中心を外しているためらしい。
この石清水八幡宮は、平安初期に八幡宮の総本社・宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請(分霊)された神社である。
しかし、皇室からは都から遠く離れた宇佐神宮に代わる二所宗廟の一つとして崇敬され、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の比叡山延暦寺と共に重要視された。
改札口・コンコース
当駅は1926年(大正15年)に男山索道によって、男山駅として開業した。
ホーム東側は普段は閉鎖されている。
開業から3年後の1929年(昭和4年)の京阪の子会社となったが、戦時中に1944年(昭和19年)に資材供出のための不要不急線として一旦廃止されてしまった。
ホーム西側にある改札口。当駅は無人駅であり、ここから乗車する場合は、八幡市駅での出場時に精算を行う。
時刻表
鋼索線(男山ケーブル線):八幡市方面
男山ケーブル線は立派な京阪の路線であるため、時刻表や案内板等もすべて京阪仕様のデザインとなっている。
通常は30分間隔での運行だが、乗客がいる場合は15分間隔での運転となる。
また、大晦日と石清水祭前夜は終夜運転が行われ、1年の利用客の約半分が訪れる正月三が日は5分間隔で運行される。
乗り場
ホームは頭端式の2面1線だが、普段は反対側のホームは使用されず閉鎖されている。
戦時中に廃止に追い込まれた当ケーブル線だが、廃止から11年後の1955年(昭和30年)に京阪に手によって復活を遂げ、当駅は八幡宮駅として再開業を果たした。
現駅名である男山山上駅に改称されたのは、復活から2年後の1957年(昭和32年)のことである。
ホーム端から八幡市方向を望む。全長わずか400m、所要時間3分の短い路線だ。
そんな短い路線ながら、そのたった3分間の間に、2か所のトンネルと、、、
京都洛南の大絶景が堪能できる、コストパフォーマンスの素晴らしいケーブル線となっている。