京都市伏見区の中心市街地・大手筋商店街に面する、京阪本線の相対式2面2線の地上駅で、近鉄京都線・桃山御陵前駅との乗換駅。
戦前は急行停車駅であったが、戦後隣駅の丹波橋駅での京阪・近鉄(当時:奈良電)相互乗り入れ開始を機に優等停車駅から降格の憂き目にあう。
また、京都方面からの乗り入れが容易な当駅が、宇治線の起点となる計画だったが、諸般の事情により隣の中書島駅となり、今につながる特急停車駅への昇格が幻となるという波乱の歴史を有する。
駅の利用客は特急停車駅の丹波橋・中書島に及ばないものの、駅周辺は、伏見区の中心市街地にふさわしい活気を有している。
外観・駅周辺
京都市内で最大の人口を有する伏見区の中心にある大手筋商店街。その商店街に面したところに京阪伏見桃山駅はある。
上の写真の場所から大手筋を東方向に望む。ここから徒歩1分もかからないところに、近鉄桃山御陵前駅の高架駅が見える。
同駅の開業は、京阪伏見桃山駅に遅れること18年の1928年(昭和3年)のことだ。
今度は大手筋を西方向に望む。伏見区の中心だけあって、かなり賑わいのある商店街のようだ。
大手筋は、かつて豊臣秀吉によって建立され一時日本の首都であった伏見城へ繋がる中心街道を起源とする歴史ある通りらしい。
そこから少し東に引いてみると、旧式デザインの京阪伏見桃山駅の案内看板を発見。
その場所から後ろを振り返ると、近鉄桃山御陵前駅は目と鼻の先。
そして、その奥には、名水百選でも有名な後香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の大鳥居が見える。
さらに、大手筋を東に進むと、戦前に明治天皇・伏見桃山陵の最寄駅として栄華を極めたJR奈良線・桃山駅にたどり着く。
当時はこの辺りも商店街で賑わったらしいが、今ではその栄華は鳴りを潜め、哀愁感が漂っている。
そして、そのJR桃山駅からさらに大手筋を進むと、明治天皇の陵墓・伏見桃山陵への入り口にたどり着き、、、
荘厳な森のトンネルを抜けた先には、、、
何とも壮大な陵が聳え立っている。この敷地は、実は豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸があった場所らしい。
上の写真の場所から後ろを振り返ると、京都市南部と宇治市の街並みを見下ろす美しい眺望が開けている。
そして、その伏見桃山陵の北にある伏見桃山城。
現在も保存されている本丸・天守閣だが、これは旧・伏見城を保存したものではなく、キャッスルランド建設にあたって建造された鉄筋コンクリート製。
そして、この場所も、旧・伏見城本丸跡地ではなく、旧・伏見城花畑跡地であるというのも、ちょっとしたトリビアかもしれない。
かつて近鉄グループが「伏見桃山城キャッスルランド」と称する遊園地を運営していたが、2003年(平成15年)に近鉄のリストラの一環で閉園となった。
改札口・コンコース
改札口は、地下に1か所。当駅は1910年(明治43年)の京阪本線開通と同時に開業した歴史ある駅だ。
外国人観光客が選ぶ日本の観光スポット第1位である、伏見稲荷駅との誤下車が多いためか、注意喚起の案内がなされている。
改札内コンコース。開業当時は伏見駅と名乗ったが、1915年(大正4年)に現駅名に改称された。
時刻表
京阪本線:淀屋橋・中之島線方面
当駅は、伏見区の中心市街地にあるが、実質的に優等の停車しない駅となっている。
理由は、両隣を特急停車駅(丹波橋・中書島)に挟まれていることに加え、駅の両端を道路に挟まれている関係で8両対応ができないことによるもの。
萱島までの各駅となる準急及び普通は、丹波橋で特急の待ち合わせを行った直後であるため、日中は枚方市まで先着する。
京阪本線:出町柳方面
反対方向も同様の運行体系。準急の表記があるが終点・出町柳まで各駅に停車する。
次の丹波橋で、後続の特急に乗り換えられるので、京都方面への利便性は悪くなさそうだ。
乗り場
ホームは相対式2面2線。
ホーム北端は大手筋商店街に面している。
そして、魚屋通がホーム南端ギリギリのところを通っている。従って、7両編成までの電車しか入線できず、今後の拡張も不可能な状況だ。
2008年(平成20年)の中之島線開通と同時にデザインが一新された駅票。
改札口は、ホーム北側の大手筋側にある。
支線である宇治線は隣の中書島駅が起点となっているが、計画当初は京都方面からの乗り入れが容易な当駅から分岐させる予定だったらしい。
それが、諸般の事情により断念され、中書島駅起点となった。もし、宇治線が当駅から分岐していれば、特急停車駅の地位を獲得できていた可能性が高い。
ちなみに、当駅の真東にある近鉄桃山御陵前駅には、急行が停車する。
1番線に到着した9000系の準急出町柳行き。丹波橋・三条で後続の特急の待ち合わせを行う。
次の1番線には、レトロ感満載の2600系が、各駅停車出町柳行きとしてやってきた。
その横顔。かつては京阪も当駅に急行が停車し、丹波橋は通過していた。
しかし、1945年(昭和20年)に京阪と近鉄京都線(当時は京阪と近鉄が共同出資した奈良電気鉄道)が丹波橋駅での相互乗り入れを開始後、立場が逆転したという経緯がある。
1番線を通過する京阪特急8000系。
当駅の現在の利用客数は、1日約11000人余り。戦後立場が逆転した隣の丹波橋駅の5分の1強にとどまっている。
2番線には、2200系が準急淀屋橋行きとして入線。
寝屋川市の一つ先の萱島まで各駅に止まるので、京都市内では各駅停車の役割だ。
ホーム南側は、民家がホームの敷地に食い込んでいるが、かつて踏切近くの部分はホームが無く、拡張されたことによるものらしい。
それでも7両がギリギリいっぱいだ。
その狭いホーム上を8000系特急・淀屋橋行きが通過していく。丹波橋と中書島間の通過駅は当駅だけだ。
そのホーム南端から中書島・淀屋橋方面を望む。ここから線路は西に大きくカーブしていく。
えきログちゃんねる
[京阪伏見桃山駅通過風景]京阪特急8000系淀屋橋行き&出町柳行き201511
2番線を8000系特急淀屋橋行きが通過した後、1番線を同じ8000系の出町柳行きが通過していきました。
[京阪伏見桃山駅入線風景]9000系準急出町柳行き201511
[京阪伏見桃山駅入線発車風景]レトロ感満載の2600系二段窓型の普通出町柳行き201511