全国にある住吉神社の総本社・大阪住吉大社の分霊元を自称する本住吉神社の表参道に面する、本線の相対式2面2線の高架駅。
元々併用軌道(路面区間)の西端に位置し、昭和初期に高架化された駅舎がそのまま使用されており、往年のレトロ感と地上線では非常に珍しい直結軌道が堪能できる。
JR・六甲ライナー住吉駅からは1kmほど離れており、同駅の都会的な雰囲気とは対照的な月桂冠と並ぶ日本有数の酒造メーカー・清酒白鶴発祥の地の下町レトロな雰囲気が味わえ、駅舎と共に掘り出し物満載の魅力的な駅となっている。
目次
外観・駅周辺
【大阪住吉大社の分霊元を自称する本住吉神社参道】
「住吉駅」と言えば、住吉神社の総本社である大阪住吉大社の最寄駅である阪堺住吉電停か、その住吉大社の分霊元を自称する本住吉神社最寄駅であるJR・六甲ライナーの住吉駅が思い浮かぶが、実は阪神電車にも住吉駅が存在する。
阪神電車住吉駅は、JR・六甲ライナー住吉駅から1kmほど離れた場所にあるが、上の写真の電車の高架をくぐる道路は実は本住吉神社の表参道となっている。
その表参道を北方向に進む、この道が表参道であることを証明するかのような本住吉神社の石碑を通り過ぎると、、、
阪神国道(国道2号)と交差する住吉交差点に出る。
左奥に見える鳥居が本住吉神社の一の鳥居で、このまま右側にまっすぐ進むと文字通り有馬温泉に繋がる有馬道となり、、、
その有馬道を少し北に進むと、JR・六甲ライナーの住吉駅に出る。
JR住吉駅は、六甲ライナー開通を機に快速停車駅に昇格し、六甲ライナーと合わせて1日約10万人もの人が利用する東灘区の中心駅となっている。
そして、住吉交差点まで戻って、本住吉神社に入ることにする。
全国に2300社ある住吉神社の総本社としては、大阪にある住吉大社が有名だが、実は当社はその住吉大社のさらに親玉格にあたる神社であり、住吉大社も当社からの勧請(分霊)であると主張している、なかなか歴史ある神社なのである。
住吉神社は、3世紀初頭に三韓征伐を行った神功皇后が帰路に船が進まなくなった際に「自分たちを大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)の地に祀る」よう神託した住吉三神を祀ったことを起源としており、当社はその「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」がこの地であると主張していることから、「本」住吉神社を名乗っているらしい。
一方、世間一般的には「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」は大阪の住吉大社の場所であるとする説が有力であるものの、「古事記伝」で有名な江戸時代の国学者・本居宣長は、本住吉神社の主張を支持しており、真相ははっきりしていない。
そのような歴史的経緯があることもあり、小規模な神社ながら地元の信仰は篤いようで、毎年GWの時期には境内の車庫に保管されている7台のだんじりの巡行が行われる。
だんじり祭りと言えば大阪・岸和田が有名だが、この本住吉神社のだんじり祭りも神戸では最大の規模を誇っているらしい。
【日本酒の名産地である灘五郷の一つ・白鶴擁する御影郷】
今度は、住吉駅から右奥側の高架下をくぐる本住吉神社表参道方面ではなく、反対の左側(南方向)に進む。
西宮市から神戸市にかけての阪神本線の南側は、灘五郷と呼ばれる全国屈指の日本酒の生産地帯となっており、当駅周辺は「御影郷」と呼ばれる地域である。
住吉駅から本住吉神社表参道を南方向に進むと、かつて「浜街道」と呼ばれていた国道43号にぶつかる。
この国道43号の上空を阪神高速3号神戸線が通っており、国道にかかる歩道橋から南西方向を望むと、CMでもおなじみの酒造メーカー・白鶴本社の堂々たる姿が見える。
白鶴酒造は魚崎駅近くにある菊正宗と並ぶ御影郷有数の酒造メーカーで、実は両者とも嘉納家が経営を担っている。
白鶴の嘉納家を「白嘉納」と呼ぶのに対し、菊正宗の嘉納家は「本嘉納」と呼ばれているらしく、両家は偏差値日本一で有名な灘中学校創設の一翼となっている。
その白鶴本社内には、白鶴酒造資料館が存在し、団体旅行の見学コースとなっている。
「白嘉納」の白鶴は「本嘉納」の菊正宗より歴史は浅いが、今では京都市伏見区の京阪中書島駅付近にある月桂冠と共に日本を代表する酒造メーカーに成長した。
改札口・コンコース
改札口は、高架下の本住吉神社表参道側に1か所存在する。
都会的雰囲気が漂い、1日約10万人もの人が利用するJR・六甲ライナー住吉駅と異なり、下町的雰囲気の漂う当駅は、阪神沿線で最も利用客数の少ない駅(1日約2800人)となっているが、改札横には有人の売店が存在している。
そして、何とも言えないレトロ感が魅力の駅舎は、何と1929年(昭和4年)に高架化された当時のままらしい。
実は、当初軌道法に準拠した「路面電車」として開業した阪神本線は、当駅以西は実際に併用軌道(路面)上を走行していたらしい。
しかし、1920年(大正9年)に現在は同一グループ内だが、かつては熾烈なライバル争いを繰り広げていた阪急神戸線が開通すると、速達性に劣る併用軌道では勝負にならないため、スピードアップのために1929年(昭和4年)に高架化した。
今では高架化率9割弱を誇る阪神本線だが、当駅はその栄えある最初の高架区間の東端にあたる。
このホームに向かう階段の丸窓には、高架化当時の昭和初期のレトロ感がそのまま残っており、「ヴィンテージの魔力」が発揮された魅力的な空間となっている。
時刻表
本線:尼崎・大阪梅田・難波・奈良方面
当駅は優等が一切停車しない駅で、日中は梅田行きの各駅停車が10分間隔で運行されている。
朝ラッシュ時にはむしろ本数が減少するのが特徴的で、当駅からの通勤輸送はほぼ想定されていないダイヤとなっている。
本線:神戸三宮・明石・姫路方面
西行きも同様に、高速神戸行きの各駅停車が日中10分間隔で運行されている。
長らく各駅停車の終点は元町駅であったが、1998年(平成10年)の阪神梅田ー山陽姫路間の直通特急運行開始を機に高速神戸駅まで延伸された。
乗り場
ホームは相対式2面2線。恐らく阪神本線は唯一の有効長が4両編成分しかない駅かと思われる。
JR・六甲ライナー住吉駅が都会的な魅力を放つのであれば、この阪神住吉駅は昭和初期のレトロな魅力を存分に放つ駅となっている。
当駅は阪神電車内で最も利用客数の少ない駅となっているが、その理由の一つが、西隣の特急停車駅・御影駅との駅間距離がわずか500mしかないことによる。
路面電車でかつ集落の間を縫って敷設されたために元々駅間距離が短い阪神電車だが、その中でも当駅ー御影間の距離は最も短くなっている。
上り線を、近鉄9820系の奈良行き快速急行が通過していく。
尼崎から阪神なんば線を経由して近鉄奈良線に乗り入れる系統は、実に計画から60年越しの2009年(平成21年)より開始されているが、特急停車駅である隣の御影駅は阪神車より長い近鉄車が入線できないため通過となっている。
驚異的な起動加速度を誇る往年のジェットカー5001形は、登場から40年近く経つ今なお健在である。
阪神電車本線は、優等が6両・各駅停車が4両編成という、大手私鉄の主要路線にしては最も短い部類に入るが、その運行本数を増やすことで「待たずに乗れる阪神電車」を実現させている。
4両限界の短いホームに低い屋根。
基幹路線である阪神本線にこのような哀愁感漂うレトロ感満載の駅が存在していたとは、これぞ掘り出し物を見つけた気分である。
下りホーム越しには、当駅付近の御影郷が発祥である白鶴本社の御姿を拝見することが出来る。
昭和初期のレトロ感を今に残す丸窓擁する改札口への階段は、ホーム東端に位置している。
上りホームを、直通特急対応として約40年ぶりに開発されたクロスシート車・9300系の大阪梅田行き特急が通過していった。
この9300系はカラーリングが保有球団・阪神タイガースのライバルである読売巨人軍のチームカラーに類似していることから一時物議を醸したことがあるらしい。
その特急の後を受けて、ジェットカー5500系の各停・梅田行きがやってきた。
一つ手前の御影駅で特急(直通特急)との緩急接続を行った後のため、西宮まで先着する。
ホーム東端から魚崎・梅田方面を望む。東隣の魚崎駅との駅間距離もわずか800mしかなく、阪神電車のきめ細かさが伺える。
下りホームに、5001形の各停・高速神戸行きがやってきた。
ホーム西端からは、西隣の御影駅の姿が肉眼ではっきりと捉えることが出来る。
そして、色々掘り出し物満載の当駅だが、下りホーム西端付近には、全長約20mと短いが「直結軌道」の存在も確認できる。
バラスト(砕石)の代わりにコンクリートの道床と用いるため保守性に優れると言われている直結軌道は、強固な地盤が必要なため主に地下鉄で利用されることが多く、地上線で用いられているのは非常に珍しいらしい。
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