京都市と宇治市の市境を形成する山科川西岸に位置する、宇治線の相対式2面2線の地上駅(盛土駅)。
大正時代から存在する元祖・六地蔵駅であるが、その所在地は「六地蔵」ではなく、対岸の宇治市側にある平成時代に開業したJR・地下鉄六地蔵駅のある場所が地名としての六地蔵であるという、興味深い位置関係が楽しめる。
また、開業から半世紀は地平ホームであったが、山科川の度重なる氾濫に悩まされた結果、堤防上の現位置にホームが移設されたという波乱の歴史を有する駅でもある。
外観・駅周辺
【宇治市側のJR・地下鉄六地蔵駅】
京阪宇治線における最多の利用客数を誇る六地蔵駅(京阪本線との接続駅である中書島駅を除く)。その北側にある駅前広場を望む。
京阪六地蔵駅は、宇治線開通と同時の1913年(大正2年)より存在する非常に歴史のある駅であり、駅名は六地蔵だが、地名は京都市伏見区桃山町である。
その駅前広場にはバスターミナル(京阪六地蔵停)が設置されており、京阪バスが三条京阪・四条河原町方面に路線を走らせている。
その駅前広場から東方向にある坂を上ると、、、
山科川にかかる六地蔵橋に出る。同橋から京阪六地蔵駅方向を望むと、このような絵柄になる。
実はこの山科川は市境となっており、川を挟んで西の京阪六地蔵駅側は京都市域となっている。
そして、その六地蔵橋から南方向を望むと、京阪宇治線の新型車両13000系の姿を堪能することが出来、、、
一方の北側には、JR奈良線を走る往年の名車103系の姿を拝むことが出来る。
JR奈良線・京都地下鉄東西線の六地蔵駅は、この山科川を渡った北東側にある宇治市域に存在する。
その山科川を渡って宇治市域に入って、土手脇のスロープを降りてさらに東に進み、、、
閑静な住宅街を抜けると、、、
JR奈良線と京都地下鉄東西線の六地蔵駅に出る。
実は、こちら側が駅名と同じ宇治市「六地蔵」と呼ばれる場所なのだが、駅が出来たのは1992年(平成4年)で、六地蔵に無い元祖・六地蔵駅である京阪の駅よりも何と75年も後に開業している。
【六地蔵の由来となった大善寺】
「六地蔵」を名乗る宇治市側に長らく駅が無く、六地蔵ではない京都市側に100年以上前から六地蔵駅が存在する事実はなかなか興味深いが、その謎を解くカギは駅の西側にある。
バスターミナル擁する駅前広場から、JR・地下鉄六地蔵駅とは反対側の西方向に進み、、、
京都外環状線を北上して六地蔵交差点まで向かうと、、、
「六地蔵尊」と記されたお寺を発見。
正式名称を「大善寺」と言い、705年(慶雲2年)に藤原鎌足の子・定慧(じょうえ)によって創建された歴史ある寺院らしい。
百人一首の参議篁(さんぎのたかむら)で有名な平安時代初期の文人・小野篁(おののたかむら)は、一度息絶えて蘇った後に、一本の木から六体の地蔵菩薩を刻み、この大善寺の地に祀ったと言われている。
その後、後白河法皇の勅命を受けた平清盛が1157年(保元2年)に、都を往来する旅人の路上安全や庶民の無病息災等を願って、都に通じる旧街道の入り口に六体の地蔵堂を分置させ、六地蔵巡りの風習が生まれたとされる。
この大善寺は、分置前の六体の地蔵が祀られていたことから「六地蔵」と呼ばれ、これは京阪宇治線の駅名、ひいては宇治市六地蔵の地名の起源となったようである。
ちなみに、この大善寺の存在場所は宇治市六地蔵ではなく、京都市伏見区桃山町である。
改札口・コンコース
元祖・六地蔵駅でありながら「六地蔵」には存在しない京阪六地蔵駅は、地上駅の体裁となっているが、山科川堤防の盛土に造営された駅である。
当駅の利用客数は約1万人と、中書島駅を除く宇治線の駅では最多の利用客数を誇るが、平成に入った山科川の対岸に開業したJR・地下鉄六地蔵駅への乗客の流れが見られ、この15年間で約10%減少している。
改札内コンコースには、宇治線を題材にした武田綾乃の小説「響け!ユーフォニアム」のポスターが掲示されている。
この小説は、武田氏の出身地である宇治市が舞台となっており、アニメ化に際しては宇治線の駅や沿線風景がそのままアニメ化されているらしい。
また、その反対側の壁には、JR・地下鉄六地蔵駅への道順が掲示されているが、ライバル関係にあるためか、車内放送においては乗換案内は一切なされていない。
当駅は、地上駅の体裁を取っているが、ホームは山科川堤防の盛土上にあるため、コンコースの上の存在する。
時刻表
宇治線:宇治方面
京阪本線の3年後の開通した宇治線は、全列車中書島駅ー宇治駅間の線内折り返し運転となっており、日中は10分間隔で運行されている。
かつては、当駅から京阪本線に乗り入れる三条行きの普通や、淀屋橋方面からの臨時・宇治快速等の運行もあったが、現在は全廃されている。
乗り場
ホームは相対式2面2線の構造。
「六地蔵」にない京阪六地蔵駅が100年の歴史を誇る元祖・六地蔵駅で、「六地蔵」にあるJR六地蔵駅が平成時代に開業した新駅というのは、なかなか興味深いトリビアである。
当駅のホームは、すぐ東を流れる京都市と宇治市の市境を形成する山科川堤防の盛土上にあるが、開業から半世紀の間は地平のホームが存在していたらしい。
ホーム東端から木幡・宇治方面を望む。
そのため、度々大きな水害に悩まされた結果、1966年(昭和41年)に山科川堤防の嵩上げとホームの盛土上への移設が行われた。
それまでの地平ホームは、現在バスターミナルとなっている駅前広場に存在していたらしい。
1番線に10000系の中書島行きがやってきた。
宇治線は京阪本線の3年後に開通した路線だが、当初は宇治川電気軌道が所有していた免許を京阪が譲り受けて敷設した路線である。
当該免許を譲り受けた京阪も自身の路線を開通させた直後であったため、業績安定後に着工する予定であった。
しかし、直後に明治天皇が崩御し、御陵が「伏見桃山」とされたことで桃山一帯が混雑を極めたことからその参拝輸送のための宇治線開通が急務となり、何と認可からわずか4か月の突貫工事で路線を完成させたという逸話が残されている。
今度は反対側の1番線に、新型車両13000系の宇治行きがやってきた。
他の私鉄路線と違って、京阪電車では新型車両はまず支線で運用開始するのが特徴的となっている。
その13000系同士の並び。
現在は全列車線内折り返し運転のみとなった宇治線では、2013年(平成25年)よりワンマン運転が実施されている。
ホーム西端から桃山南口・中書島方面を望む。
右手に見える桃山の麓にある隣駅の桃山南口駅は、戦前は御陵前駅として明治天皇伏見桃山陵参拝客輸送で賑わいを見せたらしい。
えきログちゃんねる
[京阪宇治線六地蔵駅]13000系中書島行き発車風景201604
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10000系中書島行き入線&13000系宇治行き発車風景です。
[京阪宇治線車内放送]宇治行き(中書島⇒六地蔵)201604