阪急最初の路線である宝塚線の終点・宝塚駅の一駅東にある、相対式2面2線の地上駅で急行停車駅。
駅前は「荒神さん」で親しまれている清荒神清澄寺の門前町を形成し、龍が天に昇る姿を形どって創られたと言われる長い参道の先にある当寺院は、県内有数のパワースポットして、訪れる人を惹きつけて止まない魅力を放っている。
また、本線の駅ながらどこかローカル的な癒しの雰囲気が醸し出されており、現在は使用廃止のまま残されている点灯式発車案内板や駅すぐ南を走るJR宝塚線の情景等、シンプルながらも魅力が詰まった駅となっている。
外観・駅周辺
阪急の3大基幹路線であり、阪急最初の路線である宝塚線の終点・宝塚駅の一駅手前にある清荒神(きよしこうじん)駅。
台所を司る火の神様・かまど神を祀り、「荒神さん」として親しまれている清荒神清澄寺の門前町にある当駅は、正月の初詣期には多数の参拝客でにぎわうため、駅北口には臨時切符売場が設けられている。
その臨時切符売場から駅北西方向を望むと、、、
清荒神清澄寺につながる参道が始まる。ここから約1キロにわたって緩い登り坂が続く。
そこから少し北上した参道左手に、真新しい鳥居が印象的な「日本最初笑門平和・萬霊殿」が姿を表す。
明治時代に尊王愛国思想教化のために設置された大教院の流れを汲む神社で、先の震災で全壊した鳥居が2001年(平成13年)に再建立されたものらしい。
そして、さらに参道を北上すると「日本第一清荒神」と記された一の鳥居が見えてくる。
清澄寺は、平安初期に時の宇多天皇が戦争の無い平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺として創建され、その鎮守神として三宝荒神社を祀っていることから神仏習合の寺院となっていることから鳥居が存在するようだ。
この緩やかな上り坂は「清荒神参道商店街」として約200近い店舗が並ぶ門前町が形成されている。
また、微妙に曲がりくねった形状は、龍が天に昇る姿を形どって創られたとも言われており、縁起の良い参道としても知られている。
数多くの露店が並ぶ参道の終点付近。
ここでしか手に入らない独特の物品が提供されており、他では見られない「荒神さん」ならではの光景が展開されている。
駅から徒歩20分程度かけて、ようやくたどり着いた山門は、棒のなった足の感覚を忘れさせてくれるくらいの荘厳な魅力を放っている。
山門左側にある石碑は「大界外相(たいかいげそう)」と記されており、ここから奥は聖域であることを示しているらしい。
そして、その山門をくぐった先には、緑あふれる素晴らしい風景が拡がる。
開創の際に荒神が姿を現したと伝えられ、その霊験に感銘を受けた宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を賜っている。
この山間にあるパワースポットして有名な当寺院は、極道から弁護士へと大逆転人生を果たした弁護士・大平光代氏が更生するきっかけとなった寺としても有名である。
そして、これが本堂ふもとにある清荒神名物「一願地蔵尊」。
1891年(明治24年)に建立され、頭上にまで水をかけてたった一つだけ願いを念ずればご利益があると言われる当寺院一番の人気スポットとなっている。
そして、参道左手には鳥居の向こうに拝殿(天堂)が存在する。
「荒神」とは日本の民間信仰において台所の神様として祀られ、主に西日本特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであった信仰らしい。
この拝殿(天堂)には、三宝荒神王・大聖歓喜天(聖天)・十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られている。
そして、本堂からは、駅から20分の山道を登るに余りあるこの絶景が堪能できる。兵庫県内有数のパワースポットとして、訪れる人を惹きつけて止まない魅力を放っている。
改札口・コンコース
当駅のメインとなる改札口は、駅北側・梅田方面行きホームに直結する北改札となっている。
この北改札は当駅開業当時から存在する改札口で、内装は2005年(平成17年)のバリアフリー対応工事でリニューアルされた。
当駅の利用客数は1日約7000人程度だが、正月初詣期の多客時に備え、コンコースは広めに設計されているようだ。
そのコンコース東側には連絡地下道が設置されており、、、
反対側の宝塚方面行きホームに繋がっている。
時刻表
宝塚線:大阪梅田・川西能勢口・宝塚方面
宝塚線は、原則梅田ー宝塚間の急行と、梅田ー雲雀丘花屋敷間の普通がそれぞれ10分間隔で運行されるシンプルなダイヤとなっている。
従って、当駅は豊中ー宝塚間の各駅に停車する急行のみが運行される区間となっている。
かつては競合となるJR宝塚線を寄せ付けない輸送力を誇っていたが、近年は同線の輸送改善による逆転現象が生じており、朝ラッシュ時の大阪方面行きも日中とほぼ変わらない運行本数となっている。
乗り場
ホームは相対式2面2線の構造。
当駅は、宝塚線開通と同時の1910年(明治43年)に開業した、阪急電車では最古の駅の一つである。
ホーム西端から宝塚方面を望む。直線の先から南に折れて高架となり、JR宝塚線(福知山線)を跨いでいく。
北側ホームに到着した9000系急行梅田行き。
かつては当駅を通過する特急や快速急行が設定されていた時代もあったが、線形が良くなく速達効果が限定的であったことから、日中の優等は豊中まで各駅に停まる急行に一本化された。
向かいの南側ホームには、同じ9000系の急行宝塚行きが到着。当駅はのりば番号が設定されていない。
次の急行宝塚行きは6000系で到着。1976年(昭和51年)に登場したベテラン車で、本線系統としては宝塚線のみで使用されている。
そして、向かい側にやってきた急行梅田行きの5100系は、6000系の上を行く1971年(昭和46年)登場の大ベテラン車だ。
その横顔。かつては京都線でも走行し、当初は6000系となる予定だったが、京都線からの乗入れる大阪地下鉄60系との番号重複が管理上問題となったことから、5000系と5200系の間の5100系が採用されたらしい。
梅田方面行きホームにある北改札口は、ホーム宝塚寄りに位置している。
宝塚本線の駅だが、どこかローカル的な懐かしさと癒しが感じられるホームだ。
かつては、「正月ダイヤ」と称して、当駅・中山(現・中山観音)に停車する初詣用の臨時特急が運行されていた時代もあった。
梅田方面行きホームにある、かつて快速急行が運行されていた時代に使用していたものと思われる点灯式の発車案内板。
現在はほぼ急行しか停車しない駅となったため、使用されないまま残っている。歴史の生き証人としてこのまま残り続けてほしいものだ。
今度はホーム東端側の売布神社・梅田方面に来ると、駅すぐ南側を走るJR宝塚線(福知山線)の走行風景が垣間見える。
乗車客は主に梅田方面行きの利用を想定していたためか、宝塚方面行きホームの屋根は東側半分には設置されていない。
そして、南側ホームにやってきた大ベテラン車・5100系と再遭遇。
経営状況が苦しいからとはいえ、古いものを大事に使い続ける精神は、エコの時代に叶っていると思われる。
そして、さきほどの9000系が急行梅田行きとして戻ってきた。
次に売布神社駅に向けて、カーブをしならせながら山間に入っていく。
えきログちゃんねる
[阪急宝塚線清荒神駅]9000系急行同士の離合風景201602
[阪急宝塚線清荒神駅]9000系急行大阪梅田行き発車風景201602