言わずと知れた宝塚大劇場擁する歌劇の街・宝塚の表玄関に位置する、宝塚線と今津線の頭端式2面4線の高架駅。
道向かいの対峙するJR宝塚駅を開業させた旧・阪鶴鉄道の幹部が設立した阪急最初の路線(旧・箕面有馬電気軌道)の終着駅として、第2回近畿の駅百選にも選定されている。
JR民営化後の度重なる輸送改善によって躍進を遂げたJR宝塚駅に利用客数では逆転を許したものの、今に繋がる阪急のルーツが凝縮された駅周辺は、絢爛豪華なターミナルビルと共に、今も変わらぬ阪急王国の優雅さを保ち続けている。
外観・駅周辺
【JR宝塚駅に直結の駅北口】
「歌劇の街」として全国的に有名な兵庫県宝塚市。その代表駅となる宝塚駅は、大通りを挟んで阪急とJRが対峙する壮大な構図となっている。
阪急・JR両宝塚駅はペデストリアンデッキで連絡しており、その下を通る国道176号線は、駅前の混雑を回避できるようにアンダーパスも設置されている。
上の写真の場所から国道176号線を東方向に望むと、高架を走る阪急宝塚線と今津線の分岐が見える。
JR宝塚駅側から阪急宝塚駅方向を望む。宝塚歌劇団擁する阪急の牙城として知られる宝塚駅だが、駅自体はJR宝塚駅の方が約10年余り早く開業している。
ちなみにJR宝塚駅は、JR宝塚線(福知山線)の前身となる旧阪鶴鉄道が、1897年(明治30年)に開業させている。
そして、その向かいに対峙する阪急宝塚駅は、箕面有馬電気軌道が1910年(明治43年)に今に繋がる宝塚線の終着駅として開業させた、阪急のルーツとなる駅なのだ。
長らく地上駅であった阪急宝塚駅は、1993年(平成5年)に高架化され、立派な新ターミナルビルも建設された。
一方JR宝塚駅は、現在でも地上駅のままであるが、2010年(平成22年)に橋上駅舎化され、対峙する阪急宝塚駅に負けない立派なものに生まれ変わった。
かつては阪急宝塚駅の独壇場であったが、輸送改善を重ねた結果、大阪・梅田までの所要時間で阪急を追い越し、利用客数でも逆転を果たしている。
阪急のルーツとなる箕面有馬電気軌道を開業させたのは創業者・小林一三だが、実は氏を含む同鉄道設立メンバーの多くがこのJR宝塚駅を開業させた旧・阪鶴鉄道の幹部であったというのは、今となっては知られざるトリビアとなっている。
【宝塚大劇場側の駅南口】
交通量が多く、喧騒感のある駅北側とは打って変わり、駅南側は「歌劇の街」の表玄関にふさわしい落ち着いた雰囲気を醸し出している。
駅のすぐ南には武庫川が流れており、開放的な眺望が期待できるアングルとなっている。
この駅南側にある「宝塚ゆめ広場」と名づけられたこの交通広場は、宝塚歌劇団誕生100周年を記念して2015年(平成27年)に整備された。
そして、その「宝塚ゆめ広場」を駅南を流れる武庫川に架かる宝来橋より望む。
観光地の表玄関的なこの駅南側の雰囲気は、北側の都会的な喧騒感と相まって、当駅の魅力を引き立てている。
その宝来橋から、武庫川を西方向に望むと、六甲山系の美しい山並みが拡がる。
阪急宝塚線の前身となった箕面有馬電気軌道は、その社名のごとく当地からさらに有馬温泉までの延伸を目指していたが、この六甲山系の起伏に阻まれ断念された。
上の写真の場所から東方向を望む。左側の武庫川北岸は宝塚歌劇団を中心とする阪急王国が展開され、右側の南岸は実は温泉である。
この「宝塚温泉」は、かつては旅館が数多く並ぶ温泉街であったが、日帰りレジャーの多様化等により、現在は日帰り温泉施設2件のみが営業している。
今度は、武庫川北岸から宝来橋と宝塚温泉方向を望む。
このS字カーブが特徴の宝来橋はフランスの彫刻家マルタ・パンによる設計、そして橋の終端にある温泉施設・ナチュールスパ宝塚は、日本の建築家・安藤忠雄の設計となっている。
そして、宝塚駅南口からは武庫川北岸を宝塚大劇場に向かう通り道である「花のみち」が伸びている。
1924年(大正13年)の宝塚大劇場開場と共に整備され、2000年(平成12年)にリニューアルされた段葛式の美しい道路である。
その「花のみち」にかかる跨道橋から右奥に見える宝塚大劇場を望む。ここからは劇場すぐ南を流れる武庫川の様子も垣間見ることが出来る。
そして、これが歌劇の街・宝塚のメインシンボルである宝塚大劇場の入り口。
当劇場を本拠地とし、未婚女性だけの構成される世界的にも珍しい宝塚歌劇団は、宝塚大温泉に失敗した創業者・小林一三が同施設跡を活用して集客のために少女を歌わせたことが原型となり、今では熱狂的なファンを多数獲得している。
今度は、劇場東にかかる跨道橋から西方向の宝塚駅方面を望む。
左手の宝塚大劇場と「花のみち」を挟んで向かいにある右側の場所には、2003年(平成15年)まで阪急が経営する遊園地・宝塚ファミリーランドが存在していた。
そして、「花のみち」の東端では、朝早くから宝塚スターの出待ちをするたくさんの人で賑わっている。
大劇場やファミリーランドを擁した宝塚駅前は、箕面有馬電気軌道の終着駅として開業した同駅への集客目的として誘致・建設され、沿線開発によって自ら鉄道需要を掘り起こすという、その後の阪急のみならず多くの私鉄の経営スタイルに大きな影響をもたらすきっかけとなった。
「花のみち」の東端から少し東に進むと、宝塚市立手塚治虫記念館が見える。
宝塚の地で約20年間過ごした漫画家・手塚治虫の生涯を称え、没後5年の1994年(平成6年)に設立された。
そして、その手塚治虫記念館から南に折れると、全国でも珍しいガーデンブリッジである宝塚大橋の絶景が堪能できる。
橋北詰にある宝塚大劇場と宝塚音楽学校の間を通る陸橋を、マルーン色の今津線が走る姿は、歌劇の街・宝塚に君臨する阪急王国の絶景だ。
その宝塚大橋を渡り終えると、今津線の宝塚南口駅はすぐそこにある。同駅は、宝塚大劇場へのもう一つの最寄駅なのである。
バスターミナル
JR宝塚駅が対峙する駅北側のバスターミナルでは興味深い光景が展開されている。
阪急宝塚駅側にあるバスターミナルからは、宝塚市内各地に路線を走らせる阪急バスのターミナルがある。
阪急の駅なので、阪急バスが走っているのは、これは普通のよくある光景である。
一方、反対のJR宝塚駅側からは、阪急の牙城であるはずの当地から何と阪神バスが発着しており、驚くべきことに2006年(平成18年)の阪急・阪神経営統合前から路線を走らせている。
これは、かつて阪神電車が計画した尼崎ー宝塚間で開通を目論んだ鉄道路線の建設計画を変更し、路線のために取得した専用道(現・県道42号)を走行するバス路線に代替させたためらしい。
改札口・コンコース
1910年(明治43年)の開業以来長らく地上駅であった当駅は、1993年(平成5年)に高架化され、大規模なターミナルビルに生まれ変わった。
2階にある改札前コンコースを南東方向より望む。右奥の北方向は、JR宝塚駅に繋がる連絡通路となっている。
今度は同じ場所から西方向は、1993年(平成5年)のターミナルビル完成と同時に開業した阪急百貨店(宝塚阪急)に繋がっている。
売場面積は小さいが、売り場面積当たりの売上げは他店に比べて高い金額を維持する効率経営が成り立っているらしい。
当駅の利用客数は1日約5万人。近年は民営化後の輸送改善により大躍進を遂げている競合のJR宝塚駅に逆転を許しているものの、阪急のルーツ路線の終着駅にふさわしい風格を保ち続けている。
阪急のルーツである宝塚線と今津線との接続駅ともなっている当駅では、昼間時間帯は両線同士の乗換を同一ホームで行えるようにするため、3・4号線だけが使用される。
3・4号線のみが使用される日中は、今津線用の1・2号線は閉鎖されている。
昼間時間帯は、今津線が3号線から、宝塚線が4号線から、それぞれ10分間隔で電車が運行されている。
3号線は、昼間時間帯以外は宝塚線が使用するため、当駅の発車案内板は、乗り場番号部分にもLEDが使用された特殊な構造となっている。
改札内コンコースも広く開放的な造りとなっている。JR宝塚駅に利用客数で逆転を許しても、歌劇の街・宝塚はやはり阪急の街なのであろう。
改札内コンコースに設置された西国七福神の像。阪急宝塚線敷設の際に、同線沿線7寺院と阪急電鉄との間で「阪急七福神会」が結成され、大正時代から「沿線七福神集印巡り」が行われている。
これも、沿線への愛着を深め鉄道需要を掘り起こすための、創業者・小林一三のアイデアらしい。
乗り場
ホームは2面4線構造。日中は手前側の3・4号線を使用し、奥の1・2号線は朝夕時間帯に今津線の電車が発着する。
今津線は宝塚線開通から11年後の1921年(大正10年)に西宝線として、現在今津北線となっている当駅ー西宮北口駅間で開業した。
2・3号線の車止め方向を望む。地上駅時代は宝塚線が2線、今津線が1線の2面3線構造であったが、高架化され今津線も2線となった。
そして、3・4号線ホームの終端部分には、、、
鎖が掛けられており、日中は1・2号線ホームへの進入が禁止されている。
2・3号線の終端部分は頭端式となっており、両側のホームへの行き来が可能となっている。
宝塚線の7000系・急行大阪梅田行きが停車中の4号線ホームからは、JR宝塚駅の姿を垣間見ることが出来る。
かつては大阪への輸送は阪急宝塚線の独壇場だったが、JRの輸送改善により所要時間で許している。
向かいの3号線には、今津線の西宮北口行きが往年の名車3000系で到着した。
軌道法下で開業したことで線形に恵まれない宝塚線はその速達効果に限界があり、十三・梅田へは今津線から西宮北口駅で神戸線特急に乗り継いだ方が早い場合があるという珍現象が生じている。
そうした事情もあってか、ラッシュ時は今津線の発着本数が宝塚線のほぼ倍となっており、梅田速達輸送のための今津線経由の準急が運行されている。
JR宝塚線と完全並走する宝塚線に対し、独自ルートを通る今津線は、今では宝塚線を凌ぐ当駅のメイン路線となっている。
ただし、朝ラッシュ時は宝塚線の準急も運行されるため、今津線の準急は「神戸線経由」、宝塚線の準急は「石橋経由」と案内される。
3号線からは宝塚線と今津線の両線の電車が発着するため、駅票の次駅表記は宝塚線の清荒神駅、今津線の宝塚南口駅両駅の表記がある。
一方、4号線からは配線上宝塚線の電車しか発着できないため、駅票の次駅表記も同線の清荒神駅のみとなっている。
今度の4号線の宝塚線・急行大阪梅田行きは新型車両1000系で登場。
かつては特急や快速急行の運行もあったが、速達効果が限定的であったため、日中の優等は豊中まで各駅に停まる急行に集約され、普通は雲雀丘花屋敷までの運行となった。
宝塚線と今津線が同一ホームでの乗り換えが可能となっており、利便性の高い運行体系となっている。
駅構外に出る人の数はJR宝塚駅に劣るものの、両線間の乗換人数まで含めた利用客数では、まだ阪急の方に分がある可能性もある。
今度の3号線の今津線3000系西宮北口行きは、阪急杯ヘッドマーク付き。今津北線沿線にある仁川駅は、阪急杯が開催される阪神競馬場の最寄駅である。
今津線の発車メロディは当地で20年間過ごした漫画家・手塚治虫に因んで「鉄腕アトム」が使われている。
その3号線ホームから、日中は閉鎖されている1・2号線ホームを望む。
かつては当駅ー今津駅間を全通していた今津線だが、1984年(昭和59年)に西宮北口駅での神戸線とのダイヤモンドクロス廃止に伴い同駅で南北に分断された。
そして、向かいの4号線には、これも宝塚線の往年の名車5100系が登場。
その急行梅田行きの横顔。宝塚線の発車メロディは、当地を本拠地とする宝塚歌劇団に因んで「すみれの花咲く頃」が使われている。
ホーム端から東方向を望む。左側2線が宝塚線の梅田方面、右側2線が今津線の西宮北口方面。
3号線のみが宝塚・今津両線に繋がっているのがわかる。
えきログちゃんねる
[阪急宝塚駅]宝塚線急行梅田行き接近放送201602
[阪急杯HM付3000系]今津線西宮北口行き入線風景@宝塚駅201602
[阪急宝塚駅]宝塚線1000系急行大阪梅田行き発車風景201602
宝塚線の発車メロディは当地を本拠地とする宝塚歌劇団に因んで「すみれの花咲く頃」が使われています。
[阪急宝塚駅]今津線3000系西宮北口行き発車風景@3号線201602
今津線の発車メロディは当地で20年間過ごした漫画家・手塚治虫に因んで「鉄腕アトム」が使われています。