生駒山中腹にある現世利益が叶う寺として有名な生駒聖天・宝山寺表参道の最寄駅である、生駒ケーブル宝山寺線・山上線が接続する5面3線の地上駅。
大正時代に開通した日本最初の営業ケーブルカーの駅かつ、近鉄では唯一途中下車可能駅であり、ケーブル線のホーム同士が向かい合う非常に珍しい構図が見られる。
また、駅周辺は、経営危機に瀕した創業期の近鉄を救った宝山寺の荘厳感と、表参道に展開される旧遊郭街である生駒新地(宝山寺新地)のディープ感とが融合した、独特の風情が堪能できる魅惑溢れた空間となっている。
目次
外観・駅周辺
【「観光生駒」称するディープ感満載の生駒新地(宝山寺新地)】
生駒山の中腹にある日本最初のケーブルカーである近鉄生駒ケーブル宝山寺線と山上線との接続駅である宝山寺駅。
その駅東側にある改札口を出て、奈良盆地の絶景を堪能しながらレトロ感漂う旅館の看板の道を奥に進む。
平地の少ない生駒では、この山の中腹にまで住宅地が伸びており、生駒ケーブル宝山寺線は、ケーブル線には珍しい通勤通学路線となっている。
その路地を突き当りまで進むと、「観光生駒」称するこれまたレトロ感満載のアーチにたどり着く。
「生駒観光」ではなく「観光生駒」と称しているのは非常に謎だが、この聖天通りは別名生駒聖天と呼ばれている宝山寺の表参道である。
その聖天通りは、ご覧のような旅館街となっているが、これらはただの旅館ではないらしい。
実は宝山寺の表参道である聖天通り一帯は、宝山寺新地(生駒新地)と呼ばれる旧遊郭街であり、実は現在でも当時と変わらない営業を行っているらしい。
この何とも言えない哀愁漂う超レトロ感が魅力の宝山寺新地(生駒新地)。
今では大阪のベッドタウン生駒における隠れたディープスポットとなっているが、元々生駒は宝山寺の門前町として発展してきた歴史のある街なのだ。
表向きごく普通の旅館で、他の新地(自分は行ったことありませんが)のように客引きもなく、かつ昼間であるため、ここが大人のディープスポットであることは皆目見当がつかない。
かつてこの旅館街は、麓の生駒駅(鳥居前駅)付近にあった旧・宝山寺一の鳥居まで続いていたらしい。
そのレトロ感満載の「観光生駒」アーチから宝山寺の表参道である聖天通りの石段を登っていくことにする。
当地周辺には、近鉄奈良線・生駒駅と生駒ケーブル宝山寺駅が開業した大正時代あたりから花街として発展し、最盛期には数十件ほどの旅館がひしめいていたらしいが、現在は10数件にまで減少している。
その哀愁漂う聖天通りの石段をひたすら登っていく。
この石段は実に300mほども続いており、まさに心臓破り的な上り坂となっているが、この独特の風情は隠れた観光名所と言っていいだろう。
そして、ようやく生駒聖天・宝山寺の一の鳥居にたどり着く。寺院なのに鳥居が存在する神仏習合の様式となっている。
かつては近鉄生駒駅に隣接するケーブル線の鳥居前駅付近に存在したが、生駒駅再開発に伴い1982年(昭和57年)にこの地に移設されたらしい。
その一の鳥居手前から、宝山寺新地のある聖天通り方向を望む。
荘厳な木々の間から垣間見える奈良盆地の絶景と、その配下にある新地のレトロ感が合わさり、何とも言えない独特な雰囲気が漂っている。
【経営危機に瀕した近鉄を救った現世利益の祈願寺・生駒聖天宝山寺】
別名・生駒聖天と呼ばれている真言律宗の大本山・宝山寺は、江戸時代の1678年(延宝6年)に湛海律師によって開山された比較的新しい寺院である。
一の鳥居から惣門を望む。宝山寺の山号である生駒山は、大昔から神や仙人が住む山として崇められていた。
655年(斉明天皇元年)に呪術師で山伏の元祖と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)によって、修行道場が開かれたとされており、あの弘法大師・空海もこの地で修業を行ったという言い伝えがあるらしい。
惣門を下った先にある階段を登ると拝殿への入り口である中門に至る。
その当時は都史陀山・大聖無動寺(としださん・だいしょうむどうじ)という名であったらしいが、江戸時代になって湛海律師によって再興され、宝山寺に改められた。
その「宝山寺」という言葉は、当寺院が出来る前に弘法大師が縁起の良い言葉として書き残したものらしく、その額が境内に残されているらしい。
湛海律師は、歓喜天(聖天)を山の鎮守と仰いで修行に励んだが、彼の名は広く下界に知れ渡り、時の天皇・将軍から「求子の祈祷」や「世継ぎの安泰祈祷」が相次ぎ、師はその期待に応えたらしい。
そのご加護を得ようと、住友家をはじめとする商売関係者や庶民等、現世利益を求める人の参拝で賑わい、「生駒の聖天さん」として崇められるようになったと言う。
そのためか、荘厳な中にもどこかしら豪華絢爛な雰囲気の漂う寺院となっている。
そして、その豪華絢爛な拝殿を後にして、中門を出て左の階段を下って惣門には戻らずに、奥に上り坂を登っていき、、、
さすが商売繁盛の神様だけあって、お金持ちからたくさん寄進を受けた形跡が見られる地蔵群を横目に見ながら進むと、、、
何とケーブルカーの線路に遭遇する。これは、宝山寺駅からさらに生駒山上に向かう山上線の線路であり、その線路沿いの階段を登っていくと、、、
山上線の梅屋敷駅にたどり着ける。
実は宝山寺拝殿には、宝山寺駅よりも梅屋敷駅からの方が近く、かつ下り坂で行けるというトリビアが隠されていたのだ。
改札口・コンコース
改札口は、駅舎東側に1か所ある。
券売機こそ存在するものの、自動改札機はおろか、切符を切る係員すら存在しない宝山寺駅。
実は、この駅は近鉄沿線内では唯一途中下車可能な駅となっているのだ。
その改札内コンコースから改札口の方向を望む。
生駒ケーブルは路線的には生駒鋼索線と呼ばれる単一路線だが、当駅ー鳥居前駅(生駒駅)間の宝山寺線と、当駅ー生駒山上駅間の山上線で物理的に分断されている。
生駒山上駅へ向かう山上線のホームは、改札入って左手にあり、、、
鳥居前駅(生駒駅)に向かう宝山寺線のホームは改札入って右手の下り階段上に存在する。
ケーブル線と鉄道線のホームが向かい合う駅はいくつか存在するが、ケーブル線のホーム同士が向かい合う構図が見られるのは、全国的にもかなり珍しいのではないだろうか。
駅構内には、生駒ケーブルの特徴を示す説明書きが掲げられている。
日本初の営業用ケーブルカーであり、日本唯一の複線ケーブルでもある生駒ケーブルは、日本を代表するケーブル線として色あせない魅力を放ち続けている。
時刻表
宝山寺線:鳥居前方面
日本最初のケーブルカーとして開業した宝山寺線は、宝山寺への参拝客輸送だけでなく、宅地化が進む周辺の通勤通学路線の役割も果たしているため、ケーブル線にしては珍しく早朝から深夜まで運行されているのが特徴的である。
朝ラッシュ時は15分間隔、日中は20分間隔が基本だが、正月等の多客時は10分間隔で運行されることもあるようだ。
山上線:生駒山上方面
一方、生駒山上に向かう山上線は、同地にある生駒山上遊園地へのアクセス線であるため、同園開園時間に合わせた運行体系となっており、宝山寺線の半分の本数(日中40分間隔)の運行となっている。
山上線はケーブル線には珍しく途中駅を2駅有する路線であり、普段は各駅停車での運行となっているが、臨時の際は生駒山上までノンストップの直行便が運行されることもあるらしい。
乗り場
【宝山寺線のりば】鳥居前方面
改札入って右手の下り坂にある宝山寺線のホーム。
当駅ー鳥居前間の宝山寺線は、日本最初の営業用ケーブルカーとして、1918年(大正7年)に近鉄の前身・大阪電気軌道の系列会社である生駒鋼索鉄道によって開業されている。
その親会社である創業当時の近鉄が1914年(大正3年)に生駒駅を開業させたことに寄って、宝山寺は大いなる賑わいを見せた。
しかし、生駒トンネル開削負担から一時経営破たんの危機に瀕した、生駒駅建設を請願したと言われる宝山寺は、自身の賽銭を融通して近鉄の経営危機打開の手助けをしたという逸話が残されている。
この生駒ケーブルは、経営危機に際して資金を用立てしてもらった宝山寺への返礼の意味合いが込められているらしい。
宝山寺線のホームは頭端式3面2線の構造。
宝山寺線を開通させた生駒鋼索鉄道だが、開業から4年後の1922年(大正11年)に近鉄の前身・大阪電気軌道(大軌)に合併され、そのまま近鉄の路線となった。
宝山寺線1号線は開業当時から存在する線で、2000年(平成12年)に車両の大幅リニューアルを施しており、この車掌の帽子をかぶった犬を模した「ブル号」を筆頭に独特の車両が見られるのが特徴である。
一方向かい側の2号線は、1号線開業から8年後の1926年(昭和元年)に開通した線だが、1944年(昭和19年)から1953年(昭和28年)まで一時休止された歴史を持つ。
この白樺号は、1953年(昭和28年)の運転再開時から使用されているベテラン車両である。
普段は1号線のみでの運行が行われている宝山寺線だが、取材当日は木曜日で1号線の点検日であったため、珍しく2号線での運行が行われていた。
当駅の利用客数は、1日約700人。
始発駅である生駒駅に隣接する鳥居前駅が1日約1100人であるため、生駒ケーブル利用客の約6割強が宝山寺参拝客と当駅周辺の通勤通学利用で、残りが生駒山上遊園地の利用客となっているようだ。
宝山寺線は、ケーブルカーには珍しい複線路線だが、運用上はそれぞれが分離された単線並行状態となっている。
単線並列型の配線のため、途中にある両線の行き違い箇所は、複々線のような形状となり、これもケーブル線にしては非常に珍しい光景が味わえる。
【山上線のりば】生駒山上方面
生駒山上に向かう山上線のホームは、改札入って左手の上り階段にある。
山上線は、宝山寺線開通から約11年後の1929年(昭和4年)に開通した路線である。
通勤通学路線の意味合いを持つ宝山寺線と違い、生駒山上遊園地へのアクセス線である典型的な行楽路線である山上線は、終戦間際に不要不急線として運行休止となった歴史を持っている。
また、単線並列式だが複線でホームが2線ある宝山寺線と異なり、山上線は一般的なケーブル線で見られる単線構造となっている。
その山上線ホームの麓に小さな鳥居を発見。
この八大竜王を名乗る神社は、ケーブルの安全運行と乗務員の安全を祈願するために、1953年(昭和28年)に建立されたものである。
但し、本尊である八大竜王はここには存在せず、生駒山上遊園地内にある龍王院に安置されているらしい。
山上線ホームから宝山寺線ホーム方向を望む。
ケーブル線同士の接続駅というのは全国でも珍しく、宝山寺線は複線構造という点で珍しいが、この山上線はケーブル線なのに途中駅が2駅存在するという珍しさと有している。
そして、宝山寺1号線同様に、山上線でも2000年(平成12年)に車両がリニューアルされている。
山上線は誕生日会と音楽会にちなんでおり、これはバースデーケーキを模した「スイート」号である。
ホーム先端から、梅屋敷・生駒山上方面を望む。発車してからしばらくはトンネル内を通過していく。
えきログちゃんねる
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