京都を代表する電子部品メーカー・村田製作所本社ビルがランドマークとして有名な、JR京都線の2面4線の地上駅。
明治初期の官設鉄道敷設から長らく駅が無い状態が続いたが、度重なる陳情と寄付金募集の結果、線路敷設から半世紀以上を経て請願駅として開業した歴史を持つ。
当初神足駅(こうたりえき)を名乗り、長らく市の中心から外れた位置にあったが、快速の終日停車化と駅前再開発による大変貌の結果、古くからの中心市街地に近い阪急長岡天神駅を利用客数で上回り、長岡京市の代表駅の座を奪取することに成功した。
目次
外観・駅周辺
【市役所・阪急長岡天神駅方面の駅西口】
今世紀に入って大変貌を遂げたJR長岡京駅。
2004年(平成16年)に竣工した長岡京の新しいランドマークとなった村田製作所本社ビルをバックに、そのお膝元となるJR長岡京駅前も大再開発が行われた。
駅西口は、村田製作所本社ビル竣工後の2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)5月にかけて、ペデストリアンデッキやバスターミナルが整備された。
そして、駅南西には、平和堂(フレンドマート)含む総合ショッピングモールがオープン。
そして、その西口から古くからの市街地の中心地である阪急長岡天神駅方面に向かう天神通りも大幅に拡張された。
その競合となる阪急長岡天神駅は、JR長岡京駅(当時・国鉄神足駅)より3年早い1928年(昭和3年)に開業した。
同駅は古くからの長岡京の中心市街地に位置しているが、近年の大変貌により、中心の座がJR長岡京駅側に移ってきているようだ。
【村田製作所本社・神足神社・勝竜寺城公園方面の駅東口】
長岡京駅東口広場には、当駅の由来が刻まれた石碑が建てられている。
「長岡京」を名乗る当駅だが、その昔桓武天皇の時代に10年間だけ日本の首都であった長岡京は実はこの地には無く、隣の向日市の阪急西向日駅周辺であったというのはちょっとしたトリビアである。
駅東口にも広いバスターミナルが設置されている。京都市バスが駅東方にある京都市伏見区方面へも路線を走らせており、同地域の住民も長岡京駅を利用している。
そして、駅東口に堂々と君臨するのが長岡京の新しいランドマークである村田製作所本社ビル。
村田製作所は、電子部品専業メーカーとして世界トップクラスに位置する超優良企業で、京都を代表するモノづくり企業の一つである。
また、広場南側には車掌乗務用車両として活躍した国鉄・ヨ8000型緩急車が静態保存されているが、なぜこの地にあるのかは謎である。
その駅東口から南に徒歩10分ほど歩いたところには、旧駅名の起源となった神足神社(こうたりじんじゃ)がある。
796年(延暦15年)創立と伝えられる当社は、長岡天満宮の兼務神社であり、宮中を襲おうとした悪霊をこの地に降り立った神が防いだという夢を見た桓武天皇が、この地に神社を建立したと言われている。
その夢を起源として「神」の「足」と名付けられた当社は、足とは直接的な関係はないものの、「足の神様」として陸上を始めとするスポーツ選手の信仰が篤い神社となっているらしい。
そして、本殿の向かい側にある「御千度石」。「御百度石」というのは良く目にするが、この「千度」というのはかなり珍しい。
そして、その神足神社からさらに南に向かったところに、何やらお城らしきものが見えてきたが、、、
これは、南北朝時代から江戸時代初期にかけてこの地に存在した勝竜寺城の跡地を整備して作られた勝竜寺城公園。
織田信長の命によって明智光秀の三女・ガラシャ夫人が細川氏に嫁ぎ、「山崎の戦い(天王山の戦い)」の舞台ともなった城である。
毎年秋には、細川忠興・ガラシャ夫人にちなんだ「長岡京ガラシャ祭」が開催されている。
改札口・コンコース
改札口は橋上部分に1か所ある。当駅が橋上化されたのは、国鉄が分割民営化される直前の1987年(昭和62年)2月のことだ。
当駅は向日町駅と山崎駅の間にある駅だが、官設鉄道敷設時の1876年(明治9年)時点では当地に駅は存在しなかった。
そのため、当地にも駅を建設する要望が相次ぎ、度重なる陳情と寄付金募集の結果、線路敷設から半世紀以上経った1931年(昭和6年)に、ようやく請願駅として開業された。
その陳情のさなかに、中心市街地に先に開業したのが阪急長岡天神駅というわけである。
1931年(昭和6年)の開業当時は、当地の村名から採った「神足(こうたり)駅」を名乗り、長岡京町制が敷かれた1949年(昭和24年)以降も当駅名が使用され続けた。
(後に市制施行で、京都府乙訓郡長岡町から長岡京市となったのは1972年(昭和47年)のこと)
橋上コンコースから北方向の向日町方面を望む。当駅が現駅である「長岡京」に改称されたのは、開業から65年、町制施行から実に半世紀近く経った1995年(平成7年)のことであった。
時刻表
JR京都線:京都・草津方面
当駅は、開業から長らくは優等の止まらない駅であったが、現駅名に改称された1995年(平成7年)より、朝ラッシュ時も快速が停車する、快速の終日停車駅となっている。
朝ラッシュ時の快速は京都まで通過運転を行い、高槻以遠は当駅のみに停車する。
それ以降の時間帯の快速は高槻以東は各駅にとまり、滋賀方面に向かう普通電車に種別変更され、京都止まりの4扉車と共に毎時4本ずつ運行されている。
JR京都線:大阪・三ノ宮方面
大阪方面行きは、高槻以西快速運転されるクロスシート3扉車と、終点まで各駅に止まる普通電車が毎時4本ずつ運行される。
競合の阪急長岡天神駅との比較では、大阪・梅田までJR快速と阪急特急がともに所要時間30分で互角の勝負となっている。
乗り場
ホームは島式2面4線の地上駅構造だ。
線路敷設から半世紀も駅が設置されなかったが、今では先に開業された両隣の駅よりも大きく凌ぐ利用客数を誇る駅にまで成長した。
【2番のりば】JR京都線:京都・草津方面
当駅の利用客数は、1日約4万人。
かつては長岡京市の中心市街地にある阪急長岡天神駅の後塵を拝していたが、快速の終日停車化と駅前再開発による大変貌で逆転し、同市の代表駅の座を奪取している。
ホーム北端から向日町・京都方面を望む。広大な複々線がどこまでも真っ直ぐ伸びる抜群の線形が、JR京都線の見どころの一つだ。
当駅は快速の終日停車駅だが、同じ快速終日停車駅の茨木駅と異なり、朝ラッシュ時間帯でも内側線を走行するため、ホームの外側線側は柵で閉鎖されている。
その外側線を新快速が爆走で通過していく。
そして、内側線の2番のりばには、高槻まで快速運転を行っていた221系普通米原行きがやってきた。
ホームからは長岡京のランドマーク・村田製作所本社ビルの堂々たる姿を拝むことが出来る。
【3番のりば】JR京都線:大阪・三ノ宮方面
付近には村田製作所はじめ、三菱電機・パナソニック・ニチユ三菱フォークリフト等の企業がオフィスを構えているため、当該企業への通勤利用も阪急長岡天神駅に比して利用客数が多い要因となっている模様だ。
3番のりばホームから駅西口方面を望むと、再開発で大変貌を駅前広場と、変わらぬ自然をたたえる西山連山のコラボレーションの光景が堪能できる。
その3番のりばに、高槻から快速となる223系の普通・姫路方面網干行きがやってきた。
それに続く4扉の普通電車が321系で到着。4扉普通車は終点まで各駅に停車する。
普段は高槻から快速電車と普通電車が交互に運行されるが、昼間の一部時間帯は利用減の影響から快速のみの運転となり、運転間隔が15分にまで拡大される。
次の高槻から快速となる加古川行きは、221系で到着した。
その快速電車は、当駅付近で京都駅を6分遅く出発した新快速に、外側線から爆速で追い抜かれる。
かつては、外側線に停車する電車の設定もあったが、2010年(平成22年)3月以降、当駅に停車するすべての列車は内側線経由に変更された。
山崎・大阪方向も、どこまでも真っ直ぐ伸びる複々線の開放的な眺望が美しい。
そして、内側線の3番のりばから、高槻から快速となる普通電車に乗り込んでみる。
この普通電車も抜群の線形を活かして、時速100kmを超える高速走行を披露するが、、、
外側線から、その上を行く時速130kmの爆速新快速が、次の山崎駅までの間で颯爽と追い抜いていってしまった。
えきログちゃんねる
[JR長岡京駅]内側線に到着した普通を外側線から爆速で追い抜く新快速の図201602
[見晴し抜群!JR長岡京駅]地平線の彼方からやってきた223系・221系混合編成の快速電車201602
[JR長岡京駅]線形抜群の地平線の彼方へ消えていく221系普通米原行き201602
[JR長岡京駅]先行する内側線の普通を爆速で追いかける新快速電車201602