学問の神様・菅原道真がこよなく愛した地に創立された長岡天満宮の最寄駅である、京都線の島式2面4線の地上駅。
競合となる国鉄神足駅(現・JR長岡京駅)より3年早い1928年(昭和3年)に開業。阪急最初の橋上駅舎を有し、2001年(平成13年)には特急停車駅に昇格。
再開発によって変貌を遂げたJR長岡京駅に利用客数で逆転を許すものの、長岡天満宮の風光明媚さと、駅舎と周辺環境から滲み出るレトロ感とのコントラストが、再開発では出せない年季の入った魅力を醸し出している。
目次
外観・駅周辺
【長岡天満宮最寄の駅西口】
京都府長岡京市の中心市街地に位置する長岡天神駅。その西口を望む。
駅北側を東西に走る通りは「アゼリア通り」と呼ばれ、長岡中央商店街の店舗が軒を連ねる、長岡京の古くからの中心市街地が形成されている。
そのアゼリア通りは、長岡天神駅西口からすぐのところで、セブン通り商店街と直交し、下町風情溢れる駅前商店街が形成されている。
上の写真の場所からさらに西に進んだところにあるのが、阪急バスの「阪急長岡天神」停。
長岡天神駅付近はバスターミナルを設置できるロータリーが存在しないので、駅から西に徒歩数分のこの場所が駅前バス乗り場となっている。
そして、さらにアゼリア通りを西に進み、八条ヶ池交差点に出ると視界が一気に開ける。
その八条ヶ池交差点から南方向を望む。
八条ヶ池は1638年(寛永15年)に時の領主・八条宮智仁親王の命によって造営された灌漑用のため池で、その池に架かる水上橋と共に絵になる風景を構成している。
その八条ヶ池交差点から南に下ると、長岡天満宮の大鳥居の堂々たる姿とご対面する。
この長岡天満宮は、かつて桓武天皇が784年(延暦3年)から10年間だけ都を置いた長岡宮の南西の外れに位置している。
長岡京市は、そのかつて日本の首都であった長岡京に由来しているが、実は宮城の大部分は北隣の向日市内に存在するというのはちょっとしたトリビアである。
その大鳥居から八条ヶ池にかかる中堤は長岡天満宮境内への参道となっており、その堤の両側には樹齢100数十年とも言われる有名な霧島ツツジが植えられている。
長岡天満宮のあるこの地は、元々平安時代の菅原道真の所領であり、在原業平らと共に、しばしば遊んで詩歌管弦を楽しんだ縁深いところであるらしい。
その道真が、太宰府に左遷された際にこの地に立ち寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」との名残を惜しんだ縁故によって、道真自作の木像を祀ったのが起源となっているようだ。
1941年(昭和16年)に京都の平安神宮の社殿を拝領移築したこの本殿は、元々素木だったものを、1998年(平成10年)に「菅公御神忌1100年大萬燈祭」の際に朱塗りに増改築されたものである。
境内では文化事業の一貫してのコンサートや、観光まつり等のイベントも催され、長岡京市最大の観光スポットとして、年間70万人程度の参拝客を集めている。
【市役所・JR長岡京駅方面の駅東口】
長岡天神駅は、競合となる国鉄神足駅(現・JR長岡京駅)に先立つこと3年の1928年(昭和3年)に開業した歴史ある駅である。
1972年(昭和47年)に橋上化された駅舎は、阪急最初の橋上駅舎となっている。
そして、今度は先ほどのアゼリア通りを東に進んで、北方向にあるややレトロ感の残る長岡京市役所を通り過ぎて、、、
徒歩15分ほどの再開発地域に、村田製作所本社ビルをバックに控えたJR長岡京駅にたどり着く。
中心市街地化から離れた場所にある同駅だが、再開発による大変貌を遂げ、長岡京市の代表駅の座を阪急長岡天神駅から奪いつつある。
改札口・コンコース
1972年(昭和47年)の橋上化から40有余年。阪急初の橋上駅舎も往年のレトロ感がにじみ出てきている。
その橋上コンコースから駅北側方向を望む。ここが古くからの長岡京市の中心市街地の風景だ。
橋上コンコースの中央に位置する改札口と構内コンコース。1日約3万人が利用する主要駅にしては、コンパクトな造りとなっている。
古くからの中心市街地に真ん中という制約ある立地にあることもあって、限られた敷地を何とか工面する様子が伺えるコンコースとなっている。
時刻表
京都線:京都河原町方面
当駅は長らく特急停車駅であったが、特急停車駅が大幅増となった2001年(平成13年)より土休日の快速特急以外の全列車停車駅に昇格した。
日中は特急と高槻市以東における各駅停車の役割を果たす準急がそれぞれ10分間隔で運行されている。
特急の4分前に発車する準急は、途中の桂で後続の特急の待ち合わせを行う。
ラッシュ時は特急の代わりに、通勤特急・快速急行・快速が運行されるが、当駅以降の停車駅はすべて同じである(桂・西院・大宮・烏丸)。
京都線:大阪梅田方面
梅田方面行きも日中は特急と準急が10分間隔で運行される。
高槻市から通過運転を行う準急は、高槻市で同駅始発の普通に連絡し、その次の茨木市で後続の特急の待ち合わせを行う。
特急は梅田終点まで30分、対する競合のJRは長岡京駅から大阪駅まで快速で29分。ほぼ互角の勝負となっている。
乗り場
ホームは島式2面4線の構造。
長らく当駅の一駅西は約4km離れた大山崎駅であったが、2013年(平成25年)に西山天王山駅が開業した。
【1・2号線】京都線:京都河原町方面
現在は阪急京都線となっている当駅の所属路線だが、実は同線を開業させたのは阪急ではなく、ライバル・京阪電車であったというのは、今となっては知られざるトリビアとなっている。
ホーム北端から西向日・河原町方面を望む。
京阪本線の補完路線として淀川西岸の高速鉄道を企図した阪急京都線の前身・新京阪線は、その企図通りの良好な線形となっている。
1日3万人が利用する特急停車駅にしてはホーム幅が狭いのが特徴。
京都線の特急停車駅としては突出して利用客が少ないが、競合となるJR長岡京駅での快速利用対策として特急を停めているものと思われる。
日中時間帯は行われない当駅での緩急接続も、朝夕ラッシュ時には実施されており、同時間帯のみ運行される普通河原町行きの姿も見ることができる。
独特の走行音が魅力の3300系は、2300系引退の今、阪急京都線では最古参の形式となった。
その普通と連絡しているのが、これもラッシュ時のみ運行される快速急行・河原町行き。
これも独特の走行音が魅力的な8300系が、20世紀の急行と同じ停車駅を駆け抜けていく。
次に待避線の1号線にやってきたのは、同じ8300系の準急河原町行き。準急はラッシュ時も含めて終日運行され、高槻市以東の各駅停車の役割を果たしている。
その準急が待ち合わせる通勤特急河原町行きは、快適転換クロスシート車の9300系でやってきた。
その両者の並び。上品な阪急マルーンの車体は、どこで見ても味がある。
次の各駅停車・河原町行きは、5300系で登場。当駅橋上化と同じ年の1972年(昭和47年)に登場したベテラン戦士だ。
その5300系を駅の外から見るとこんな感じになる。
そして、その各駅停車が待ち合わせる快速急行は7300系での登場だ。長い10連での運転で、次の停車駅・桂で後ろ2両の切り離しを行う。
今度はホーム南端から、西山天王山・梅田方面を望む。線路がやや東にカーブしているのがわかる。
【3・4号線】京都線:大阪梅田方面
ちなみに、ライバル京阪によって建設された阪急京都線だが、新京阪線から阪急の路線となった経緯は、戦時統制による京阪・阪急の合併にある。
戦時中の1943年(昭和18年)に政府の意向によって阪急に合併させられたことにより、新京阪線であった当線は、合併先の京阪神急行の路線となった。
しかし、無理な合併は長く続かず、敗戦後両社は袂を分かつことになるが、新京阪線は十三から阪急宝塚線を経由した梅田に乗り入れていたことなどが理由となり、建設元の京阪ではなく何と阪急の路線として残ることとなった。
これが、ライバル京阪が建設したこの路線が、阪急京都線となった経緯である。
それはさておき、3号線にやってきたのは、9300系の通勤特急梅田行きだ。
通勤特急は高槻市・茨木市と十三に停まり、特急停車駅である淡路は通過する。梅田方面に向かう客と地下鉄堺筋線方面に向かう客を分離する狙いがあるのだろう。
今度は、3号線の9300系・快速急行梅田行きを待ち合わせる8300系準急梅田行きの図。
快速急行の当駅以西は、特急と同じ停車駅を走行し、地下鉄堺筋線方面との乗換駅である淡路駅にも停車する。
ラッシュ時間帯を過ぎると、当駅での緩急接続は無くなり、高槻市まで各駅停車の役割を果たす準急も本線である3号線に停車する。
その準急を追いかける特急はロングシート車7300系の「残念特急」バージョンだ。
特急は高槻市で同駅始発の普通に、茨木市で先行する準急に追いついて緩急接続を行う。
そして、普段の特急は快適クロスシート車の9300系で運行される。
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