全国にある住吉神社の総本社・大阪住吉大社の分霊元を自称する本住吉神社の最寄駅である、JR神戸線(東海道本線)の島式2面4線の地上駅。
明治初期に開業した歴史ある駅で長らく優等通過駅であったが、平成に入って新交通システム・六甲ライナーが開通して接続駅となったことを機に快速停車駅に昇格。
由緒ある本住吉神社や東灘区の中心市街地の情景に加え、ホームからは頭上を走行する六甲ライナーの走行風景も堪能できる等、魅力の詰まった駅となっている。
目次
外観・駅周辺
【自称・住吉大社の親玉である本住吉神社方面の駅南口】
大阪にある住吉大社最寄りの住吉電停ではなく、JR神戸線と神戸新交通六甲アイランド線(六甲ライナー)との接続駅である神戸にある住吉駅。その南口を望む。
その南口にあるペデストリアンデッキから西方向の六甲道・三ノ宮方面を望むと、六甲山系の美しい山並みの情景が堪能できる。
その上の写真からさらに南に出ると、東西を走る幹線道路・阪神国道(国道2号)を西方向に望む。
その阪神国道の北側(右手)・住吉駅側には2001年(平成13年)に誕生した複合型タワーマンション「Kilala住吉」が、当地のランドマーク的存在として君臨している。
上の写真の場所から、阪神国道を東方向に望む。歩道橋の奥左手は当駅属する東灘区の行政機関が集積しており、その先には偏差値日本一で有名な超名門男子校である灘中学・高等学校がある。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災以降の再開発により、この住吉駅周辺は東灘区の中心市街地へと発展を遂げたようだ。
今度は、反対の西方向を望む。
実はこの阪神国道上を1974年(昭和49年)まで阪神電車の軌道線である国道線が通っており、この付近に「住吉駅前」電停が存在していたらしい。
そして、上の写真の場所から阪神国道を西に進んだ住吉交差点北西角には、当地の地名の由来となった本住吉神社が鎮座している。
全国に2300社ある住吉神社の総本社としては、大阪にある住吉大社が有名だが、実は当社はその住吉大社のさらに親玉格にあたる神社であり、住吉大社も当社からの勧請(分霊)であると主張している、なかなか歴史ある神社なのである。
住吉神社は、3世紀初頭に三韓征伐を行った神功皇后が帰路に船が進まなくなった際に「自分たちを大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)の地に祀る」よう神託した住吉三神を祀ったことを起源としており、当社はその「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」がこの地であると主張していることから、「本」住吉神社を名乗っているらしい。
一方、世間一般的には「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」は大阪の住吉大社の場所であるとする説が有力であるものの、「古事記伝」で有名な江戸時代の国学者・本居宣長は、本住吉神社の主張を支持しており、真相ははっきりしていない。
そのような歴史的経緯があることもあり、小規模な神社ながら地元の信仰は篤いようで、毎年GWの時期には境内の車庫に保管されている7台のだんじりの巡行が行われる。
だんじり祭りと言えば大阪・岸和田が有名だが、この本住吉神社のだんじり祭りも神戸では最大の規模を誇っているらしい。
その本住吉神社のある住吉交差点から、住吉駅のある北方向に伸びていくのが有馬道(有馬街道)となっており、六甲山を抜けてその先の有馬温泉までつながっている。
その阪神国道と交差する有馬道を反対の南方向に進むと、、、
実は、この道は本住吉神社の表参道となっており、、、
その表参道を約600mほど進むと、阪神本線の住吉駅に出る。JR住吉駅からは1kmほど離れており、同駅名だが乗換駅とはなっていない。
写真は同駅を南方向から望んでおり、右手の高架下を抜ける道路が本住吉神社の表参道に当たる有馬道にあたる。
【旧住吉村役場発祥の地・阿弥陀寺方面の駅北口】
一方の山手側の駅北口は、1989年(平成元年)に開業した駅ビル「リブ住吉」が存在し、再開発で真新しさに残る南口に比べて年季を感じさせる外観となっている。
駅北口には、組合員数165万人の単一生協にしては世界最大クラスを誇る「コープこうべ」本部が君臨している。
名称は「こうべ」となっているが、神戸市はもちろん、西は姫路のさらに西の上郡から、東は大阪府と京都府の府境に位置する島本町、北は豊岡市までとかなり広範囲に渡って事業展開されている。
その「コープこうべ」本部擁する駅北口の北西にある交差点では、さきほどの有馬道と接続している。
上の写真の交差点からその有馬道を北方向に望むと、ここからは山手の上り坂となっていく。
今では一般的な住宅地の様相を呈しているが、実はこの住吉駅周辺こそが、芦屋に代表される高級住宅街で有名な「阪神間モダニズム」発祥の地なのである。
今度は、先ほどの交差点から有馬道を南方向に進むと、JR神戸線をくぐる手前に一風変わった外観が特徴的な浄土宗・阿弥陀寺が姿を現す。
阪神間モダニズム発祥の地である住吉は多くの著名人に愛され、文豪・谷崎潤一郎も駅東側を流れる住吉川沿いに居を構えていた(倚松庵:いしょうあん)。
また、この阿弥陀寺の本堂は、1889年(明治22年)に旧住吉村役場が設置された場所でもあるらしい。
その阿弥陀寺の境内も、一見するとこれがお寺であるかどうかわからない特徴的な外観となっている。
実は、この阿弥陀寺は先の阪神・淡路大震災で甚大な被害を受け、改築の結果このような外観となったようだ。
その阿弥陀寺の南側は、JR神戸線(東海道本線)の線路に面しており、、、
線路に面する側に仏舎利塔が設けられている。
「仏舎利」とは元々はお釈迦さまの遺骨を指しているが、転じて戦争の英霊を祀る例もあり、この仏舎利塔は恐らく先の震災の犠牲者を祀っているものと思われる。
改札口・コンコース
山手側の駅北口では、神戸市編入前の旧住吉村の財産を引き継いだ財団法人・住吉学園より寄贈された「灘目の水車」のモニュメントが出迎えてくれる。
「灘目」とは現地名である「灘」の旧名で、元々は海の辺りを意味する「灘辺(なだべ)」が転じたものらしい。
駅ビル・リブ住吉2階と直結する改札前コンコースは、開放的なスペースが確保されている。
上の写真から奥に向かうと、コンコース中央にあるJR住吉駅と六甲ライナー住吉駅の改札口に出る。
コンコース中央北側にあるJR神戸線住吉駅の改札口。
神戸市内の駅では、三ノ宮・神戸・元町の都心部の駅に次ぐ1日約7万人の利用客数を誇っている。
そして、コンコース中央南側にある六甲ライナー(神戸新交通・六甲アイランド線)の住吉駅。
南側の埋立地・六甲アイランドに向かう1990年(平成2年)に開業した新交通システムの駅で、同線最多の1日約25000人の利用客数を誇っている。
そして、当駅は偏差値日本一で有名な灘中学・高等学校を擁しているだけあって、コンコースの壁は進学塾の宣伝がかなり幅を利かせている。
そして、JR住吉駅の改札内コンコース。
当駅は1874年(明治7年)に開業した非常に歴史のある駅だが、駅ビルが完成し橋上駅舎化されたのは昭和から平成への移り変わりの時である。
時刻表
JR神戸線:尼崎・大阪・京都方面
1990年(平成2年)の六甲ライナー開通を機に快速停車駅に昇格した当駅は、1時間当たり快速4本、普通8本の運行となっている。
快速電車は大阪・高槻までは新快速電車の追い抜きを受けずに先着し、普通電車の半分は、尼崎からJR東西線を経由して学研都市線方面に向かう。
JR神戸線:三ノ宮・姫路方面
神戸・姫路方面行きも同様に、日中は須磨・西明石方面行き普通が毎時8本と、加古川・姫路・網干方面行きの快速電車が毎時4本の運行となっている。
快速は三ノ宮・神戸まで先着するが、明石・姫路方面へ早く向かうためには、神戸駅で新快速電車への乗換えを擁する。
乗り場
ホームは島式2面4線。左側の3・4番のりばホームの頭上を、新交通システムである六甲ライナーの案内軌条が通っている。
当駅は1874年(明治7年)に西ノ宮(現:西宮)-三ノ宮間に開業した歴史ある駅で、同名の阪堺住吉電停よりも約35年早く開業した最も古い住吉駅である。
【1・2番のりば】JR神戸線:尼崎・大阪・京都方面
1・2番のりばホーム東寄りからは、3・4番のりばホーム頭上を走行する六甲ライナーの光景を堪能することが出来る。
この六甲ライナーの開通が、長らく優等通過駅であった当駅を快速停車駅に昇格させる要因となった。
2番のりばに、尼崎からJR東西線を経由して学研都市線に乗り入れる321系普通四条畷行きがやってきた。
その後を追いかける223系快速京都方面米原行き。次の停車駅・芦屋で先行する普通電車と緩急接続を行う。
その223系快速の横顔。
日中の快速は内側線を走行するが、朝ラッシュ時は外側線を走行するため、外側の1番乗り場側は柵による完全閉鎖ではなく、ロープによる部分閉鎖となっている。
今度はホーム西側寄り橋上駅舎部分を望む。
阪神間モダニズム発祥の地であり、東灘区の中心市街地である当駅周辺の発展は、鉄道の存在なくしてはあり得なかったが、開業当初は酒造家を中心とした地元の反対運動にあったらしい。
外側1番のりばを、ディーゼル特急とは思えない爆走ぶりを発揮する智頭急行HOT7000系のスーパーはくと号京都行きが通過していった。
【3・4番のりば】JR神戸線:三ノ宮・姫路方面
3・4番のりばホーム東端から、摂津本山・大阪方面を望む。
奥に見える跨線橋上には実は天井川である住吉川が流れており、草津駅同様に川の下を線路が走るという非常に珍しいトンネルとなっている(注:草津川は現在は廃川となっている)。
その住吉川をくぐる日本最古の鉄道用地下トンネルを抜けて、221系・223系混在編成の快速神戸方面加古川行きがやってきた。
次に3番のりばにやってきたのは、207系の普通西明石行き。
開業当時は地元の反対にあった当駅だが、開業後は逆に反対していた酒造家の貨物利用が増大し、彼らの請願によって駅の位置が移設されたという逸話も残されている。
この住吉駅一帯は、開業当初は灘五郷に数えられる酒造地帯であったため、当時は蒸気機関車で運行されていた鉄道は、汽車から発せられる煤(すす)の存在が忌避の主な要因となっていたようだ。
次に3番のりばにやってきたのは、321系の普通須磨行き。終点の須磨まで快速の追い抜きを受けずに先着する。
ホーム西端から、六甲道・三ノ宮方面を望む。
当駅周辺はまっすぐの線形が特徴的なJR神戸線(東海道本線)にしては、めずらしくカーブの多い区間となっている。
その理由は、当駅周辺が六甲山地からの複数の扇状地から成っており、明治初期の車両性能上、それらの扇状地間をほぼ同一の標高で通るルートが選択されたためらしい。
えきログちゃんねる
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