昭和初期までの神戸の中心繁華街に位置し、初代・三ノ宮駅として開業した、JR神戸線(東海道本線)の島式2面4線の高架駅で、阪神電車との接続駅。
路線高架化による三ノ宮駅の現位置への移転に伴い一時廃止となるも、駅名改称の上請願駅として復活を果たした異色の経歴を有し、駅北側を並走する神戸高速線唯一の地上区間である阪急神戸高速線の光景を堪能することが出来る。
また駅周辺は、旧居留地の神戸らしい西洋モダンの色彩と、日本三大チャイナタウンである南京町の東洋レトロが混在する情景が堪能でき、「三宮」の地名の由来となった三宮神社も擁する等、魅力の詰まった駅となっている。
目次
外観・駅周辺
【三宮の由来となった三宮神社と旧居留地・大丸前駅方面の駅東側】
神戸の中心繁華街である三ノ宮駅からわずか1km西の位置にある元町駅。阪神の駅と一体化されたその駅の東口を望む。
現在は元町駅を名乗る当駅だが、何を隠そう1931年(昭和6年)までは、実はこの場所に初代・三ノ宮駅が存在していたのだ。
その元町駅前を東西に走る兵庫県道21号神戸明石線(中央幹線)を東方向に望む。
現在の神戸の中心地・三宮のビル群が肉眼で確認できるが、三宮が神戸の中心地となったのは昭和に入ってからのことであり、それまではこの元町駅周辺が商業の中心地であったらしい。
今度は元町駅1・2番のりばホームから駅南方向を望むと、三ノ宮駅から続く兵庫県下最大の繁華街と言われる三宮センター街の奥に、大丸神戸店の姿が見える。
この大丸神戸店は、旧居留地のモダンな景観に配慮した見事な御影石の外装を誇り、日本で最も美しい百貨店の呼び声が高いらしい。
そして、その大丸神戸店とメリケンロードを挟んで向かい合っているのが、東京・銀座、大阪・心斎橋と共に老舗が並ぶ名門高級商店街として知られる元町商店街である。
この元町商店街は、ここから阪神西元町駅までの約1.2kmに渡って伸びる商店街で、昭和初期まではモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)が闊歩するハイカラな商店街として名を馳せていたらしい。
そして、その元町通商店街と大丸神戸店が向かい合うスクランブル交差点である元町通1丁目交差点から、大丸前を通る神戸市道花時計線(旧西国街道)の1本北の通りが三宮中央通りで、この地下を地下鉄海岸線が通っており、、、
その三宮中央通りの北側には、その海岸線の旧居留地・大丸前駅の2番出入口が存在する。元町駅からは、わずか200mほどしか離れていない。
そして、大丸前を通る旧西国街道である市道花時計線を西に向かうと、円状のアーチが美しいトアロードの横に、三宮の地名の由来となった三宮神社が姿を現す。
この三宮神社は、現在の阪急神戸三宮駅北側にある生田神社を囲むように存在する裔神(えいしん:末社に祀られている神)八社の一つであり、航海の安全と商工業の繁栄を守る神として、古くから一般の崇敬厚い神社らしい。
現在の元町駅の場所に初代・三ノ宮駅が存在した理由は、この三宮神社にあったのだ。
そして、各線の三宮駅(三ノ宮駅)が存在する現在の神戸の中心地は、実は地名としては「三宮」ではないという驚きのトリビアが隠されている。
この三宮神社は、1868年(明治元年)に明治新政府最初の外交事件となった「神戸事件」が起こった場所でもある。
備前藩兵の隊列をフランス水平が横切ったことに端を発した紛争で、最終的には隊列の責任者の命を代償に問題の解決が図られたが、この事件以降明治政府の対外政策は「攘夷」から「和親」へと大転換された。
その三宮神社の西側を走るトアロードから、西国街道を渡って南方向に向かうと、駅名のもう一つの由来である旧居留地にあたる。
「旧居留地」とは、1858年(安政5年)に締結された不平等条約である安政五か国条約に基づき、外国の治外法権が及んでいた地域のことで、神戸では1868年(明治元年)から1899年(明治32年)まで存在していた。
東洋で最もよく設計された居留地と評され、成立の経緯はともかく、この整然とした西洋の街並は、神戸のシンボル的存在として見直されており、阪神・淡路大震災の鎮魂と復興を祈念して行われている電飾イベント「神戸ルミナリエ」の会場にもなっている。
【日本三大チャイナタウンの一つである南京町方面の駅西側】
今度は、駅の西口に出る。
神戸らしい西洋モダンが堪能できる駅東側に対し、西側は打って変わってレトロ感満載の雰囲気が味わえる。
そのレトロ感を演出しているのが、当駅と神戸駅との高架下に運営されている元町高架通商店街(通称:モトコー)である。
戦後の闇市をルーツとするとも言われており、裏通り的存在としてマニア受けする商店街となっているようだ。
その元町高架通商店街の道向かいにあるウィンズから南に向かい、、、
さきほどの元町商店街を横切ってさらに南に向かうと、、、
横浜中華街・長崎新地中華街と並ぶ日本三大チャイナタウンの一つである、南京町の西側の入り口である「西安門」が見えてくる。
この南京町の誕生は、1868年(明治元年)と言われており、安政五か国条約の対象外となり、外国人居留地に住むことが叶わなかった中国人(当時:清国)が、当居留地西側の当地に居を構えたことが発端となっているらしい。
昭和初期には「関西の台所」として繁栄した南京町だが、先の大戦の大空襲以降退廃化が進んだ。
1981年(昭和56年)の南京町商店街振興組合設立以降、ソフト・ハード両面での整備を重ね、今では平日昼間でこの人だかりを生むほどの観光地として再生を果たしている。
南京町は横浜中華街に比べると規模が小さいが、在住華僑の人数は同地の倍近い数を誇ると言われている。
神戸華僑は他の地域と比べて日本人社会と良好な関係を築いているらしく、横浜・長崎では改称された「南京町」の名称を現在でも使い続けている。
中央広場には、先日の熊本地震を受けて応援メッセージ(加油:頑張れ)が掲げられていた。
この南京町では中国式に旧正月に春節祭が行われるが、多数の日本人も参加する南京町のみならず神戸の重要イベントとなっており、近年緊張高まる日中友好の懸け橋的存在となっている。
その中央広場を後にしてさらに東に向かうと、東側の入り口である「長安門」に出る。
その長安門では、七福神の一神である「布袋(ほてい)」と思われる、満面の笑顔をした巨大な石像が出迎えてくれる。
布袋は、唐の時代に実在したとされる仏教の禅僧で、富貴繁栄をつかさどるものとして広い信仰を集めている。
そして、その長安門からメリケンロードを挟んで道向かいには、さきほどの大丸神戸店が存在している。
メリケンロードは、旧居住地の西洋モダンと、南京町の代表される東洋レトロとの境界線となっているようだ。
改札口・コンコース
阪神電車元町駅と同居しているJR元町駅。東口の入り口は、周辺の西洋モダンな景観を意識した意匠となっている。
そして、東口は内装も西洋モダンを意識した造りとなっており、阪神元町駅へは写真左奥の階段を下りて地下に向かう。
この場所には、1874年(明治7年)から実に約60年もの間、初代三ノ宮駅が存在していたが、1931年(昭和6年)に高架化に合わせて現在の位置に移転された。
その東口改札内コンコースから改札口方向を望む。
この高架化は、神戸市から市内を経由する鉄道の地下化を要望されたことに寄るものであったが、都市計画との絡みもあり、この場所ではなく現在の位置に移転という形となったらしい。
しかし、すでに神戸有数の市街地として発展していたこの場所から鉄道駅がなくなることに対する反対の声が根強く、三ノ宮駅移転から3年後の1934年(昭和9年)に請願駅として復活し、「元町駅」と名付けられた。
当駅ー三ノ宮間がわずか800mと、JRの駅にしてはあり得ないくらい短い理由は、この設立経緯によるものである。
一方の駅西側は、西洋モダンの景観が意識された東側とは打って変わった東洋レトロの雰囲気が醸し出されており、一見同じ駅とは思えない風情が楽しめる。
西口も、阪神元町駅と直結しており、コンコース内に同駅に繋がる連絡階段が設置されている。
阪神元町駅は、国鉄の駅が元町駅として再開業してから2年後の1936(昭和11年)に開業されている。
三ノ宮駅時代は地上駅であったが、元町駅としては三ノ宮駅の高架・移転後に開業したため、開業当初から高架駅となっている。
時刻表
JR神戸線:西明石・姫路方面
当駅は、1日10万人近い人が利用する駅となっているが、両隣が新快速停車駅となっているためか、快速のみの停車駅となっている。
日中は須磨・西明石方面行き普通が毎時8本と、加古川・姫路・網干方面行きの快速電車が毎時4本の運行となっている。
明石・姫路方面へ早く向かうためには、次の神戸駅で新快速電車への乗換えを擁する。
JR神戸線:三ノ宮・尼崎・大阪方面
大阪方面行きも同様に、1時間当たり快速4本、普通8本の運行となっている。
西行きと違って、快速電車は大阪・高槻までは新快速電車の追い抜きを受けずに先着する。
また、普通電車の半分は、尼崎からJR東西線を経由して学研都市線方面に向かう。
乗り場
ホームは島式2面4線の構造。
初代三ノ宮駅として開業し、同駅移転に伴い廃止の憂き目に合うも、請願駅として駅名改称の上復活を果たした元町駅。
これは、2代目大津駅として開業し、改称の上復活を果たした膳所駅と同じストーリーであり、奇しくも両駅は同じ年(1934年)に復活再開業を果たしている。
【1・2番のりば】JR神戸線:西明石・姫路方面
初代三ノ宮駅時代は、相対式2面2線の地上駅であったが、高架・再開業の後、1937年(昭和12年)に複々線化されている。
1・2番ホーム東寄りからは、かつて神戸随一の繁華街として栄華を誇った元町と、西洋モダンの雰囲気が堪能できる旧居留地の様子が垣間見える。
ホーム中央には場内信号機が設置されている。
現在は島式2面4線の構造だが、複々線化当初は内側線に挟まれた島式1面2線ホームに、外側線の相対式ホームが加わった3面4線式の構造だったらしい。
内側2番のりばに、321系の普通西明石行きがやってきた。
そして、外側1番のりばを、貨物列車が通過していく。
今度の内側2番のりばは、207系の普通須磨行き。終点須磨まで快速の追い抜きを受けずに先着する。
次の2番のりばには、221系の快速姫路方面網干行きがやってきた。
快速電車は明石まで通過運転を行うが、同駅へは新快速電車が先に到着する。
日中の快速電車は、普通と同じ内側線を走行するため、普通の追い抜きは緩急接続が可能な須磨駅で行う。
そして、外側1番のりばを223系新快速電車が通過していく。
両隣を新快速停車駅に挟まれているために通過していくが、1日10万人近い利用客数を有する元町駅は、新快速通過駅では最多の利用客数を誇っている。
【3・4番のりば】JR神戸線:三ノ宮・尼崎・大阪方面
3・4番のりばホーム東端からは、阪急神戸三宮駅の様子が肉眼ではっきりと確認出来る。
そしてこの場所は、神戸高速線唯一の地上区間である、阪急神戸高速線の神戸三宮ー花隈間の様子が堪能できる絶好のスポットとなっており、、、
マルーンが映える新開地始発の阪急特急梅田行きの様子はもちろんのこと、、、
日中30分間隔で運行されている神戸三宮ー姫路間の山陽電車・普通車の姿も堪能できる。
写真右側の現在阪急神戸高速線の線路が通っている場所には、1934年(昭和9年)の開業当初は4番のりばのホームが存在していたが、この神戸高速線建設のために現在の島式ホームとなったらしい。
その内側3番のりばに、221系快速京都方面米原行きがやってきた。
東行きの快速は、大阪・高槻まで新快速電車の追い抜きを受けずに先着するダイヤとなっている。
その快速電車が、次の停車駅である2代目・三ノ宮駅に向かって出発したところ、山陽3000系の姫路行き普通車との共演が叶った。
次に3番のりばにやってきたのは、207系の普通高槻行き。日中の普通電車はこの高槻行きと、尼崎からJR東西線に入る四条畷行きが交互に運行される。
3・4番のりばホーム西端から神戸・姫路方面を望む。ここから、線路は大きく南にカーブしていく。
えきログちゃんねる
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