淀川を挟んだ梅田の対岸にあるキタの歓楽街に位置し、第3回近畿の駅百選にも認定された4面6線の地上駅。
主要3線が集結し、全列車が停車するあまりに有名な駅であることから、関西人で誤読する人はほとんどいないが、圏外の人は恐らくほとんどの人が「じゅうそう」とは読めない超難読駅。
3線の列車がひっきりなしに発着する鉄には大興奮のホームのみならず、大都会・梅田とは打って変わったレトロ感満載の駅周辺の雰囲気も魅力的な、下町情緒あふれた駅である。
目次
外観
大阪キタの歓楽街で、関西圏の人はおそらく読めない超難読地名である十三(じゅうそう)。その中心部を南北に走る十三筋から、十三交差点を望む。
その十三交差点から、十三筋(国道176号線)を南方向に望めば、淀川に架かる十三大橋の向こうに梅田の高層ビル群が見て取れる。
その十三交差点の東にある、通称ションベン横丁として有名な商店街「トミータウン」。どデカい小便小僧のイメージキャラクターが堂々と掲げられている。
そして、その商店街の突き当たりに、阪急十三駅の西口が見える。
正式名称を「十三本一商店街」という、このションベン横丁は下町の雰囲気満載だが、武田薬品の大阪工場が至近にあるためか、吊り広告がアリナミンだ。
幅の広い十三駅を東西につなぐのは、この何ともディープな高さがたったの1.8mしかない半地下の通路だけだ。
そして、東口に出ると、これも西側に負けず劣らずの活気あふれた下町の商店街。
超難読地名である「じゅうそう」の地名の由来は諸説あるが、かつてここにあった淀川の渡しが摂津の国における上流から13番目だったとする説が有力らしい。
改札口・コンコース
大都会梅田とは打って変わって、下町のレトロな雰囲気満載の十三駅西口。
阪急の前身・箕面有馬電気軌道が梅田ー宝塚間を開通させた1910年(明治43年)に開業した歴史ある駅だ。
こちらは東口改札。いくぶん綺麗にリニューアルされているが、商店街が密集するため大規模な駅前広場が無く、コンパクトな設計となっている。
3線間を繋ぐ連絡跨線橋。当駅の利用客数は1日約73000人。阪急線内では梅田・神戸三宮・西宮北口・烏丸に次ぐ第5位だが、3線内の乗換客を含んでいないので、それを含めると、おそらく梅田に次ぐ利用客数を誇るものと思われる。
時刻表
神戸線:西宮北口・神戸方面
主要3線で2番目に開業した神戸線は、当駅開業から10年後の1920年(大正9年)より運行を開始し、それを機に社名が阪神急行電鉄に変更された。
日中の運行形態は新開地行きの特急と、神戸三宮行きの各駅停車が10分間隔で運行されるシンプルなダイヤ。各駅停車は、西宮北口で後続の特急の待ち合わせを行う。
かつては山陽本線の須磨浦公園まで乗り入れる特急も多数運行されていたが、1998年(平成10年)の阪神梅田ー山陽姫路間直通特急運行開始を機に、阪急の乗り入れは8両編成の限界である新開地までに短縮された。
宝塚線:宝塚・箕面方面
主要3線で最初に開業した宝塚線は、開業当初から現在に至るまで区間に全く変更が無いという珍しい路線。
日中は宝塚行きの急行と、雲雀丘花屋敷行きの各駅停車が10分間隔と、こちらもシンプルなダイヤ。
線形が良くなく、高速運転に向かない路線であることから、全列車が終点まで先着する。
ラッシュ時は、箕面行きの準急や、川西能勢口から子会社の能勢電鉄に乗り入れて日生中央に向かう特急の運行がある。
京都線:京都・嵐山・北千里方面
京都線は、宝塚・神戸線と異なり、その前身は北大阪電鉄という千里丘陵で宅地と霊園を開発していた不動産会社。
京都線(当時:北大阪電鉄)の十三乗入れは、神戸線開業の1年後の1921年(大正10年)。その2年後に京阪に買収されて新京阪線となったという異色の歴史を持つ。
日中の運行形態は、京都河原町行きの特急と準急が6本ずつと、高槻市行き・北千里行きの各駅停車が3本ずつの計18本/時の高頻度体制となっている。
乗り場
十三駅の構内はこのようになっている。
【1号線】神戸線:西宮北口・神戸方面
当駅は、梅田駅・西宮北口駅に次ぐ、阪急第3位の規模の全6線を有する駅で、各線は相対式となっている。
1号線ホーム南端から中津・梅田方面を望む。私鉄ではなかなかお目にかかれない雄大な三複線が、梅田の高層ビル群向けて伸びていく。
1号線は、西口に直結している。
1号線に到着した7000系の特急神戸新開地行き。梅田駅と当駅では、新開地は「神戸新開地」と案内される。
そのあとにやってきたのは改造された5000系の各駅停車神戸三宮行き。西宮北口まで先着し、後続の特急の待ち合わせを行う。
【2号線】神戸線:中津・梅田方面
1号線ホーム北端から西宮北口・神戸方面を望む。十三交差点から東に分岐した国道176号線の高架が神戸線を跨いでいる。
当初から阪神間の高速輸送を前提に建設された神戸線は、十三駅構内でも良線形を維持しており、まっすぐだ。
2号線と宝塚線の3号線の間は広いスペースとなっている。
神戸線の駅票。宝塚線とは平面乗り換えが可能だ。
【3号線】宝塚線:宝塚・箕面方面
3号線は、宝塚線の宝塚方面行きホーム。
まっすぐの神戸線の2号線と、曲がりくねった宝塚線の3号線が共有する島式ホームの広いスペースは、絶好の駅ナカ拠点だ。大阪名物551の蓬莱が堂々と軒を構えている。
当初軌道法で開業したため、線形の良くない宝塚線は、十三駅構内でも大きくカーブしている。
その3号線に、6000系の急行宝塚行きがやってきた。急行だが、豊中以遠は各駅に停車する。
そのあとに、同じ6000系の各駅停車雲雀丘花屋敷行きが到着。宝塚線の日中は、各駅停車も途中で急行に追い抜かれずに終点まで先着する。
次の各駅停車雲雀丘花屋敷行きは、8000系だ。
そして、阪急最古参の一角となった5100系も各駅停車雲雀丘花屋敷行きとして3号線に入線。
ホーム北端から宝塚方面を望む。左側の神戸線ホームが枠に収まりきらないほどに、大きくカーブしている。
【4号線】宝塚線:中津・梅田方面
4号線から7000系の急行梅田行きが発車。急行は中津には停車しない。
宝塚線仕様の駅票。4号線と京都線の5号線が島式ホームを共有しているので、対面乗り換えが可能となっている。
今度の4号線は、5100系の各駅停車梅田行き。
4・5号線の島式ホームをホーム北端より望む。左側5号線には京都線の電車が到着している。
そして、4号線には9000系の急行梅田行きが到着した。
次には、これまた新型車両1000系が各駅停車梅田行きとして到着。
4・5号線の南端側は、地下連絡通路と近いため、混雑する場所だ。
【5号線】京都線:京都・嵐山・北千里方面
5号線に到着した9300系の特急京都河原町行き。
阪急が自力で建設した宝塚・神戸線と異なり、京都線は北大阪電鉄が建設し、京阪(新京阪線)に買収された異色の経緯を持つ路線だ。
その北大阪電鉄が当駅に乗り入れたのは、神戸線開業1年後の1921年(大正10年)。
その2年後の1923年(大正12年)に京阪に買収され、新京阪線という他社線として当駅に乗り入れていた。
6号線ホーム北端から淡路・京都方面を望む。その後、1930年(昭和5年)に経営難に陥った新京阪線を京阪が合併したことで、当駅の京都線部分は京阪電車の駅となった。
5号線に到着の1300系準急京都河原町行き。高槻市まで先着し、後続の特急の待ち合わせを行う。
今度の5号線には、5300系の各駅停車北千里行きが到着。北大阪電鉄乗り入れ当初は、十三ー豊津間の運転で、現在の千里線系統が本線だった。
次の5号線は、8300系準急京都河原町行き。
1959年(昭和34年)までの京都線の大阪方のターミナル駅は梅田ではなく、京阪が建設した天神橋駅(現:天神橋筋六丁目駅)で、同駅ー京阪京都(現:大宮駅)が京都線と称されていた。
そして、いまや京都線の最古参となった3300系が各駅停車高槻市行きとして到着。当時の十三ー淡路間は十三線と呼ばれる支線扱いだった。
梅田寄りに行くほど混み合うホーム。5号線に到着した特急は、先に行く各駅停車に茨木市で追いつく。
新京阪線時代の急行も、淡路から十三線に乗り入れていたが、梅田まではいかずに当駅が終点だった。
【6号線】京都線:梅田方面(中津通過)
京都線のホームも東に大きくカーブしている。
京都線仕様の駅票。
6号線のホームだけ他に比べてホーム幅が広いのは、ここにかつて当駅折り返し電車のための、切り欠き式の7号線が存在していたことによる。
1943年(昭和18年)に戦時統制により阪急と京阪が合併して同一会社となった翌年の1944年(昭和19年)より、京都線(当時:十三線)の電車は、宝塚線を経由して梅田乗り入れを果たした。
京都線の電車は、各駅停車でも中津には止まらない。
それは、1959年(昭和34年)より、京都線用の当駅ー梅田間の複線が完成し、本格的に梅田駅に乗り入れるようになったが、中津駅に京都線用のホームを設置するスペースがなかったことによる。
6号線に到着した3300系の各駅停車梅田行き。
そして、1973年(昭和48年)の梅田駅1号線完成を経て、1976年(昭和51年)に7号線は廃止された。
えきログちゃんねる
[阪急十三駅接近メロディ]神戸線特急「神戸」新開地行き@1号線201510
[阪急十三駅接近メロディ]宝塚線急行宝塚行き@3号線201510
[阪急十三駅接近メロディ]京都線特急京都河原町行き@5号線201510
[阪急十三駅接近メロディ]宝塚線梅田「方面」行き@4号線201510