紫式部ゆかりの古寺・石山寺に因んで駅名が名づけられた、琵琶湖線(東海道本線)の島式2面4線の地上駅で新快速停車駅。
東レを初めとする製造業の生産拠点を抱える企業城下町として発展し、地域輸送を担う京阪電車やバス路線との接続拠点ともなっており、大津駅を凌いで滋賀の県庁所在地・大津市最多の利用客数を誇る。
以前は京阪とJRの駅が離れており、駅前広場が雑然としていたが、改善事業によって美しい乗換デッキを備えた駅舎へと大変貌を遂げた。
また、ホームからは隣に移設してきた京阪石山駅の発着風景も堪能できるという、うれしいおまけもついた魅力あふれる駅となっている。
目次
外観・駅周辺
超難読駅である膳所駅(ぜぜえき)と共に、JR琵琶湖線(東海道本線)と京阪石山坂本線が隣接する石山駅。その南口を望む。
駅前が密集している膳所駅と異なり、石山駅前は大規模なバスターミナルが整備されている。
そして、そのバスターミナルの西側には、京阪石山坂本線の踏切があり、、、
軌道線特有の急カーブを走行する京阪電車の姿が堪能できるという、ファンにはうれしいスポットとなっている。
現在はJR石山駅に隣接している京阪石山駅だが、2005年(平成17年)まではこの踏切の南側に相対式の駅として存在していたらしい。
そして、石山駅南口にあるペデストリアンデッキからは、このバスターミナルと京阪電車の眺望を上空から楽しむことが出来る。
かつては雑然とした駅前広場だったらしいが、2007年(平成19年)までに京阪石山駅をJR石山駅に隣接する位置に移設させると共に、駅前バスターミナルとこのペデストリアンデッキが整備され、利便性・安全性が大幅に向上した。
上の写真の場所から南方向には、京阪石山坂本線と並走する道路が伸びており、観光名所として有名な瀬田の唐橋や、近江一の宮として有名な建部神社、そして当駅名の由来となった石山寺はこちら方向にある。
今度は、同じ場所から駅西方向を望む。
当駅西側は、三井グループの中核企業である大手化学会社である東レが、滋賀事業場を中心とした同社の一大拠点を形成している場所である。
そして、そこから石山駅方向に向かうと、、、
2007年(平成19年)の改善事業によって新たに設置された床模様の美しいデッキが現れる。
このデッキの整備によって、JR石山駅と京阪石山駅間の乗換えが非常にスムーズになった。
そのデッキ南側には、かの有名な俳人・松尾芭蕉の銅像が飾られている。
1685年・42歳の時に初めて大津の地を訪れた芭蕉は、この地を非常に気に入ったらしく、その生涯を終えた遺体は遺言によって隣の膳所駅近くにある義仲寺に埋葬された。
当駅のある地名は「粟津(あわづ)」と呼ばれるが、駅名が「石山」となっているのは、ここから3キロほど南にある紫式部ゆかりの寺として有名な石山寺に因んでのことである。
その石山寺は、本堂が国の天然記念物である珪灰石(けいかいがん)の巨大な岩盤の上に建っていることが名前の由来となっているらしい。
改札口・コンコース
JR石山駅への入り口は、2階デッキの北東角にある。
こちらも独特の床模様が美しいコンコースとなっている。当駅の開業は1903年(明治36年)。東海道本線の草津ー馬場(現・膳所)間の新駅として開業した。
当駅属する大津の地に東海道本線が敷設されたのは、当駅開業の約四半世紀前の1880年(明治13年)のことだが、開通当時の東海道本線は、西隣の馬場駅(現・膳所駅)から北西方向にスイッチバックして現在の浜大津駅(初代・国鉄大津駅)に向かうルートを通っていた。
バスターミナルが整備された当駅前からは、路線バスの一大拠点となっている。
当時の東海道本線は、関ケ原から米原駅を経由せずに琵琶湖に面する長浜駅に至るルートを通り、大津との間を鉄道ではなく水運で代替しており、港に近い浜大津の地に初代・大津駅が置かれたことが、膳所駅(当時:馬場駅)からスイッチバックルートとなった理由である。
その開通から9年後の1889年(明治22年)に水路から現ルートの鉄路へと変更されたが、その鉄路開通同時に石山駅は存在せず、当駅が出来たのはそれから約14年後のことであった。
駅西側に東レの大事業場を擁し、京阪電車とも接続し、バス路線の拠点ともなっている当駅は、1日約5万人の利用客を有している。
改札内コンコースからは、西方にある逢坂山の眺望が展開される。
当駅の利用客数は、県庁所在地を冠する大津駅を凌ぎ、大津市内では最多、滋賀県内でも南草津駅・草津駅に次ぐ第3位の規模を誇っている。
時刻表
琵琶湖線:京都・大阪方面
当駅は、1971年(昭和46年)にそれまでの京都終着だったのが草津まで延長運転されるようになった新快速電車の停車駅となっている。
京都・大阪方面の日中は新快速が毎時3本と、高槻から快速になる普通が毎時4本の計毎時7本体制。
新快速が毎時3本なのに20分間隔となっていないのは、湖西線から毎時1本が合流して山科駅以西で毎時4本体制となるためである。
琵琶湖線:草津・米原方面
東行きも西行きと同様だが、夕ラッシュ時は新快速が湖西線に入らないため毎時4本+αになる。従って同時間帯は新快速が連続で到着するという一種の珍現象も見られる。
また、夕ラッシュ時には京都始発で草津から草津線に入る普通電車も運行されることに加え、ホームライナー的な扱いとして特急はるか号とびわこエクスプレス号も当駅に停車する。
そして、興味深いのは1日1本だけ午前8時59分に展開される、内側線の普通米原方面近江塩津行きと、外側線の新快速野洲行きの同時発車である。
乗り場
ホームは島式2面4線。カーブの美しいしなりが印象的なホームである。
京阪「線」ではなく、京阪「電車」と表記されるところが関西らしい。
関東と違って国鉄の電化が遅れた関西では、「私鉄=電車」の概念が定着していたのがその所以であるようだ。
【1・2番のりば】琵琶湖線:京都・大阪方面
1・2番のりばホームの醍醐味は、何といっても駅南側に隣接する京阪石山駅の姿が堪能できること。
2005年(平成17年)までは京阪石山駅は現在よりも東側にあったためホームからは線路しか見えなかったが、現位置への移設によって同駅の発着風景も見ることが出来るようになった。
その京阪石山駅移設時まで廃止となった貨物駅が存在していたのではないかと推察される両駅に挟まれた不自然な空き地の横を、2両編成の短い京阪電車が駆け上っていき、、、
JRの線路を南北に跨いで膳所の市街地に入っていく姿が、ホーム西端から見ることが出来る。
今度は、ホーム西端から駅舎方向を望む。利用が多いであろう京都・大阪方面行きの1・2番のりばホームにだけ、屋根が端まで設置されている。
内側2番のりばに、223系の普通神戸方面加古川行きがやってきた。
今度の普通は同じ223系の姫路方面網干行き。
普通は京都まで先着し、高槻には後続あるいは山科から合流する湖西線経由の新快速が先着する。
ホーム東端から瀬田・米原方面を望む。草津まで続く複々線の圧巻の眺望が拡がる。
【3・4番のりば】琵琶湖線:草津・米原方面
日中の琵琶湖線内は、新快速も内側線を走行するが、、、
朝夕ラッシュ時間帯の一部新快速は、外側4番のりばから発車する。
到着の223系は、2016年(平成28年)4月末に開業を控えた京都鉄道博物館の宣伝ラッピング車だ。
そして、これが平日朝8時59分の1回だけ見られる、外側線の新快速野洲行きと、内側線の普通米原方面近江塩津行きの同時発車風景だ。
そして、向かいの下り内側線の2番のりばには新快速姫路行きが到着し、2番のりばから4番のりばまで223系が並んだ。
駅北側には、半導体の生産で有名なルネサス・セミコンダクタの滋賀工場があり、、、
4番のりばの外側にある側線からは、同社が保有する専用線が分岐しており、石油輸送を行っていた時代があったらしい。
駅南側に展開される東レをはじめ、当駅は数々の製造業の生産拠点が集積する企業城下町となっている。
朝夕に新快速が増発される時間帯には、需要の多い新快速電車が連続して発車する現象が発生している。
そして、膳所方面から京阪電車の高架を潜り抜けて、美しい弧を描きながら223系の普通電車が入線してきた。
日中の琵琶湖線は、新快速が毎時3本、普通が毎時4本の運行となっており、普通は草津を超えて野洲まで新快速より先に到着する。
えきログちゃんねる
[JR石山駅]1日1回だけ見られる新快速と普通の同時発車風景201603
JR琵琶湖線石山駅では、平日朝8時59分に1回だけ、外側線の新快速野洲行きと内側線の普通近江塩津行きが同時に発車する光景が見られます。
[JR・京阪石山駅]JR線を跨ぐ京阪響けユーフォニアム号と新快速電車とのコラボ201603
京阪石山駅から発車した京阪電車の響けユーフォニアム号がJR線を跨いだ後に、草津方面行きの新快速の入線と京都・大阪方面行きの新快速が発車し、京阪石山坂本線の高架をくぐっていきます。
[JR琵琶湖線石山駅]223系普通姫路方面網干行き入線風景201603
[JR石山駅]次列車案内放送:新快速姫路行き201603