JR西日本有数のジャンクションである尼崎駅の一駅北に位置する、JR宝塚線(福知山線)の2面3線の地上駅で、伊丹駅と並ぶ現存する福知山線最古の駅。
競合の阪急塚口駅の喧騒感とは異なり、長らく森永製菓塚口工場を初めとした工場地帯であったが、同工場閉鎖後の関西最大級の再開発により大変貌を遂げる兆しを見せている。
駅東側にある留置線がその名残を醸し出しており、1984年(昭和59年)まで存在した尼崎港線との接続駅であった等、長い歴史に裏打ちされた魅力の詰まった駅である。
目次
外観・駅周辺
JR神戸線(東海道本線)・JR東西線、そしてこのJR宝塚線(福知山線)の3線が集結する尼崎駅の一駅北に位置する塚口駅。その東口を望む。
駅東口には、1921年(大正10年)から長きに渡って森永製菓の主力工場であった塚口工場が存在していたが、高崎工場(群馬県高崎市)への生産集約のため、2013年(平成25年)に閉鎖された。
そして、その工場跡地には、野村不動産・JR西日本そして長谷工のジョイントプロジェクトとして、「ZUTTOCITY」と呼ばれる、マンションと商業施設が合体した大規模再開発の街づくりが進められている。
敷地面積8.4haというのは関西では最大級らしい。
上の写真の場所から線路沿いを少し北に進んだ踏切付近に存在するこの謎の道票。大阪が「大坂」でないのは気になるが、かつて古い街道がここを通っていたのだろうか。
その道標のある踏切から北方向には、JR宝塚線(福知山線)と阪急神戸線のダイナミックな立体交差の光景が堪能できる。
ちょうど、289系特急こうのとり号と、阪急7000系が見事に交差する場面を収めることが出来た。
競合の阪急塚口駅から1キロほど東にある当駅は、阪急の駅に比して繁華街の要素が薄く、かなりローカル色の漂う周辺環境であったが、この巨大再開発によって大変貌を遂げるのであろう。
取材当日はまだ工事の真っ最中であったが、この記事がアップされる週末の2016年(平成28年)4月9日に大々的に街びらきが執り行われる予定となっている。
一方の西側は、大変貌間近の東口とは打って変わった落ち着いた雰囲気をしているが、かつてはこの西口周辺も住宅が存在せず、現在のような姿になったのは、JR宝塚線(福知山線)の輸送改善が行われた1980年代以降のことらしい。
そのJR塚口駅西口から西に200mほど進む姿を現す、この特徴的な形状の建造物は、通称・ピッコロシアターと呼ばれる兵庫県立尼崎青少年創造劇場。
1978年(昭和53年)に開設されたこの劇場は、音響家が選ぶ優良ホール100選にも選ばれているらしい。
そのピッコロシアター北側にある歩道橋から、南北に走る兵庫県道13号・通称産業道路を南方向に望む。
このまま真っ直ぐ南に進むと、JR尼崎駅の北口に繋がっている。
今度は上の写真の場所から北方向を望む。
この産業道路は、JR・阪急伊丹駅の中間地点・伊丹中央を経由して、川西(JR川西池田駅・阪急川西能勢口駅)方面に向かう大幹線道路である。
その産業道路から少し西に進んだ住宅地内に唐突に姿を現したのが、この塚口城跡。
塚口城は、室町時代から戦国時代にかけて文献に登場する中世城郭で、塚口御坊と称された浄土真宗興正寺別院の寺内町として栄えたらしい。
現在は住宅地となっており、ほとんど遺構は残されていない。
その塚口城跡から600mほど西に進むと、競合の阪急塚口駅にたどり着ける。
競合の阪急の駅を次々と攻略しているJR宝塚線の輸送改善だが、ことこの塚口に至っては、阪急の優位性は揺らいでいないようだ。
改札口・コンコース
当駅の開業は、より賑わいを見せる競合の阪急塚口駅よりも約30年早い、1891年(明治24年)と非常に長い歴史を持つ駅である。
但し、当駅を開業させたのはJR民営化前の国鉄ではなく、ましてや他の汽車鉄道でもなく、何と川辺馬車鉄道という関西最初の馬車鉄道が開業させた駅であった。
当初は馬車鉄道として開業したが、急増する輸送需要にこたえられずに、開業からわずか2年後の1893年(明治26年)に池田(現・川西池田)まで延伸・軽便鉄道化させた摂津鉄道に転換された。
橋上コンコースから北方向を望むと、まもなく大変貌を遂げた姿を表す「ZUTTOCITY」の様子が伺える。
今度は反対の南方向を望む。駅東側に拡がる留置線がほどよいスパイスとなっている。
ここからJR宝塚線(福知山線)の線路は大きく右に迂回するが、1984年(昭和59年)までは迂回せずにそのまま直進する尼崎港線が分岐していた。
改札内コンコースから改札口方向を望む。
当駅の利用客数は1日約2万人。現在は競合の阪急塚口駅の3分の1程度に留まっているが、「ZUTTOCITY」の出現でどこまで差が縮まるのだろうか。
時刻表
JR宝塚線:宝塚・三田方面
宝塚・三田方面行きは主に新三田行きの普通電車のみが15分間隔で発車する。普通電車は川西池田で後続の快速系統の待ち合わせを行う。
夕ラッシュ時でも本数が増えないのが特徴的である。
JR宝塚線:大阪・尼崎・北新地方面
反対の大阪方面行きは、普通電車に加え、日中は当駅始発の快速・区間快速電車も設定されている。
当該快速電車は、次の尼崎からJR東西線・学研都市線に乗り入れる、207系あるいは321系の4扉車の系統となっている。
一方、普通電車は、尼崎からJR神戸線・京都線に乗り入れ、高槻駅まで向かう運用が基本となっている。
乗り場
ホームは単式・島式混合の2面3線と、島式ホームの東側に留置線を備える構造となっている。
JR宝塚線(福知山線)で最も古い駅の一つである塚口駅。
ちなみにこの「塚口」という地名は、付近に池田山古墳をはじめとする古墳群(塚)を抱えていることに由来するものらしい。
【1番のりば】JR宝塚線:宝塚・三田方面
1番のりばホーム南端から尼崎方面を望む。
かつて1984年(昭和59年)まで存在した尼崎港線はここから約1キロほど南下した地点から、西に迂回する福知山線と分岐していた。
大阪発着の3扉快適転換クロスシート仕様の快速電車は当駅を通過し、この225系丹波路快速篠山口行きも過ぎ去っていく。
次に1番のりばを通過していったのは、287系の特急こうのとり号。
こうのとり号は、それまで運行されていた「北近畿」「文殊」「タンゴエクスプローラー」等を統合し、2011年(平成23年)より運行が開始された特急である。
【2・3番のりば】JR宝塚線:大阪・尼崎・北新地方面
島式ホームの2・3番のりばホーム北端からは、JR宝塚線とダイナミックな立体交差を演じる阪急神戸線の姿を見ることが出来る。
中線の2番のりばに停車中の321系区間快速の木津行き。
快速系統は当駅始発、かつ次の尼崎からJR東西線・学研都市線に乗り入れる4扉車快速のみが発着する。
その島式ホームの東側には3本の留置線が設置されている。
現在は、隣の尼崎駅発着列車の留置等に使用されているが、かつては駅東側に君臨していた森永製菓塚口工場用の貨物ホームが存在していたらしい。
そして、次の2番のりばには当駅始発の207系区間快速・同志社前行きが停車中。
JR東西線が開通したのは1997年(平成9年)のことだが、それ以前は現在は待避線となっている2番のりばが上り本線となっていた。
そして、現在の本線・かつての待避線である3番のりばには、新三田始発の321系普通・高槻行きが到着。
1981年(昭和56年)まで旅客営業を行っていた尼崎港線の列車は、当時の待避線であるこの3番のりばから発車していたらしい。
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[JR塚口駅]JR特急こうのとり号と阪急神戸線7000系の見事な立体交差201603