兵庫県南東部のベッドタウンである川西市の代表駅で、阪急宝塚線・能勢電妙見線の共同使用駅である3面5線の高架駅。
国鉄池田駅(現・JR川西池田駅)との接続計画が絶たれた能勢電と阪急との連絡用に設置された駅で、長らく「川西」を冠することが叶わなかったという悲運の歴史を持つ。
しかし、隣の池田駅が拒否した再開発計画の恩恵を受けた当駅前は高架化と共に大変貌を遂げ、第3回近畿の駅百選にも選定されている。
また、当駅から徒歩連絡可能な競合のJR川西池田駅との間に残る能勢電の廃線跡の哀愁感に加え、阪急では数少なくなったパタパタ式発車案内板のレトロ感も混在する光景は、何とも言えない魅力を醸し出している。
目次
外観・駅周辺
兵庫県南東部・大阪府との県境にある川西市の代表駅であり、阪急と能勢電との乗換駅である川西能勢口駅。その南側を望む。
川西市の市花である「りんどう」をイメージした「光の風車」と名付けらえたモニュメントが南側の駅前広場に建てられている。
かつては地上駅であったが、20世紀終盤の駅前再開発により、大変貌を遂げた。
その駅南側にある約130の店舗が入居するショッピングモール「アステ川西」。
そして、そのアステ川西の核テナントとして1989年(平成元年)に開業した川西阪急。
計画では隣の大阪府池田市にある阪急電車池田車庫跡に出店する予定が、地元商店街の反対により当地に変更されたという異色の経緯を持っている。
それが、開業6年で売上倍増という大成功をおさめた。徒歩で連絡可能なJR川西池田駅と併せて1日約10万人近い利用客数を有する立地条件が奏功した模様だ。
そのJR宝塚線(福知山線)川西池田駅は、川西能勢口駅から約600mほど離れているが、両駅間は屋根付きペデストリアンデッキで結ばれており、徒歩での連絡が可能となっている。
駅南側を走る幹線道路・国道176号線付近からアステ川西方向を望むと、駅周辺は立派な阪急村が形成されていることがわかる。
長らく、隣の大阪府池田市の方が商業地として栄えていたが、同市が地元の反対で再開発を拒否したことで、逆転現象が生じている模様だ。
山手の閑静な住宅街を背景にペデストリアンデッキが伸びる壮観な光景の先には、、、
競合となるJR川西池田駅の北口に出る。
かつて川西より栄えていた隣の池田にあやかり、池田に無いにも関わらず何と開業から約60年間「池田駅」を名乗っていたというトリビアが残されている。
駅北口から伸びる能勢電妙見線・川西国鉄前駅までの廃線跡
そして、川西の地にあるもう一つのトリビアが、何と徒歩連絡で可能な川西能勢口駅と川西池田駅間を電車が走っていたという事実だ。
現在は阪急のほぼ完全子会社となっている能勢電鉄は、阪急と共同使用駅化される前は、この川西能勢口駅北口にある地上駅から発着していた。
その駅北口を西方向に望む。
その川西能勢口駅と国鉄(現・JR)川西池田駅とを結ぶ能勢電・妙見線のたった700mの盲腸線が、駅北口から西に伸びており、、、
阪急宝塚線の高架下をくぐっていた。この道路はその廃線跡であり、1917年(大正6年)から1981年(昭和56年)までの60年あまりに渡って、1両編成の電車が走り続けた。
沿線で製造されていた三ツ矢サイダー等の貨物輸送目的で開業した当線は、一時貨物輸送が全収入の5分の1にも達し、経営難で苦しんでいた能勢電を支える役割を果たしていた。
そして、その盲腸線の終端は、国道176号線との接続点であるJR川西池田駅前交差点付近に存在した。
当初「池田駅前駅」とした開業し、その後「川西国鉄前」と改称された連絡駅は、皮肉にもJR宝塚線(福知山線)が電化され劇的な輸送改善が始まった1981年(昭和56年)にその幕を閉じた。
バスターミナル
バスターミナルは、駅南側にロータリーを備えた大規模なものが設置されており、「川西バスターミナル」と呼ばれている。
7つの乗り場から、北は能勢電沿線の猪名川町方面、南は伊丹・尼崎方面へと広範囲に路線を張り巡らせている。
改札口・コンコース
当駅は阪急最初の路線である宝塚線(当時:箕面有馬電気軌道)の駅であるが、同線開通当時に駅は存在せず、開業はその3年後の1913年(大正2年)のことだった。
川西市の代表駅である当駅だが、何と開業から半世紀近くの1965年(昭和40年)までは、「川西」が冠されないただの「能勢口駅」を名乗っていた。
その名の通り、能勢電(当時:能勢電気軌道)との連絡を目的に設置された駅だったからである。
それが今や阪急の中核駅の一つに数えられるまでになり、駅舎も大幅に洗練化された。
一方で、パタパタ式(反転フラップ式)発車案内板が現役バリバリで活躍する鉄道ファンにはうれしいレトロ感も残されている。
阪急では数えるほどしか見られなくなったこのパタパタ式(反転フラップ式)発車案内板だが、発車時刻表記もあるバージョンは当駅だけの貴重な存在である。
そして、当駅は阪急線内において阪急が管理する唯一の共同使用駅でもあり、阪急仕様ながら当駅独自の独特の案内表記が見られるのも、ファンにはうれしい発見だ。
駅ナカ施設も充実する改札内コンコース。
開業から長らくは阪急と能勢電は別々の地上駅であったが、1996年(平成8年)の高架化を機に、能勢電が駅管理業務を阪急に委託することとなり、両駅が完全に一体化された。
能勢電の5号線ホームは、普段は使用されないため、同線ホームへの上りエスカレーターは閉鎖されている。
時刻表
阪急宝塚線:大阪梅田・宝塚方面
宝塚方面行きは隣の雲雀丘花屋敷止まりの普通と、宝塚行きの急行(ただし宝塚まで各駅に停まる)が10分間隔での運行となっている。
一方、梅田方面行きは、宝塚始発の急行の3分後に発車する雲雀丘花屋敷始発の普通が発車しており、十三・梅田まで先着するダイヤとなっている。
朝ラッシュ時には当駅始発の10両編成・通勤特急が5本運行され、17時台には普通が日中の倍の12本も運行されるのも特徴的である。
能勢電妙見線:日生中央・妙見口方面
能勢電の川西能勢口駅は、公式上は妙見線の駅だが、運行上は妙見線の妙見口行きと山下から日生線に入る日生中央行きがそれぞれ20分間隔で運行されている。
但し、山下駅で日生中央駅及び妙見口駅行きのシャトル便と接続させることで、全線10分間隔のダイヤが維持されている。
夕ラッシュ時には、阪急梅田から乗り入れる宝塚線最優等種別の特急・日生エクスプレスが、能勢電・阪急の両線を接続する3号線が完成した1997年(平成9年)より運行されている。
同特急は、運行開始当初は1日6本のみであったが、好調な利用を受け、6年後の2003年(平成15年)より本数が倍増している。
乗り場
ホームは全部で3面5線。阪急の中核駅にふさわしい壮大さを感じさせる高架駅である。
阪急のホームはおなじみの阪急仕様の駅票。
長らく「川西」が冠されない状態が続いたが、市の要望がようやく実ったのは駅開業から半世紀以上過ぎてからのことだった。
一方、能勢電ホームの駅票は、明るい雰囲気が印象的な能勢電仕様となっている。
能勢電の駅も長らく「能勢口駅」を名乗っていたが、阪急と共に現駅名に改称される直前の3か月間だけ、「川西駅」を名乗っていたというトリビアも残されている。
【1号線】阪急宝塚線:宝塚方面
阪急宝塚線の宝塚方面行きは、一番南の島の1号線から発着する。
最新式の駅舎と、今となってはレトロ感を感じさせるパタパタ式(反転フラップ式)の発車案内板とのマッチングが、いい味わいを醸し出している。
駅東側は、両線の分岐点となっており、右側が阪急宝塚線の池田・梅田方面、左側の急カーブが能勢電の絹延橋・妙見口・日生中央方面となっている。
そして、両方向にも線路が伸びているが3号線で、特急日生エクスプレスは日生中央・梅田両方面共に3号線から発着する。
1号線の向かい側の2号線ホームは梅田方面行きの本線となっているが、ほとんどは能勢電と同一ホームでの乗り換えが可能な待避線である3号線から発着し、2号線が利用されることはほとんどない。
1号線にやってきた6000系の急行宝塚行き。急行ではあるが、豊中から宝塚までは各駅に停車する。
そして、8000系でやってきた普通は次の雲雀丘花屋敷止まりの電車。朝ラッシュ時間帯以外の普通はすべて同駅止まりとなっている。
その横顔。ホーム幅はかなり広くとられており、開放感が気持ちいい。
そして、1号線ホームからは、駅南側の阪急村の光景が堪能できる。
長らく国鉄(現・JR)の駅と共に「川西」が冠されない状況を味合わされたが、今では立派な一大商業都市へと成長を遂げた。
2号線ホームから梅田方面の待避線である3号線ホームを望む。3号線は、その奥にある能勢電の4号線ホームと対面乗り換えが可能となっている。
地上駅時代は、阪急・能勢電間に中間改札が存在したが、高架化を機に一体化され、利便性が向上した。
今度の1号線は、6000系の急行宝塚行きが到着。
地上駅時代の阪急のホームは相対式2面2線構造であったが、高架化を機に2面3線に拡張された。
1号線ホーム宝塚寄りからは、駅南側の阪急村から伸びるJR川西池田駅へのペデストリアンデッキの様子が伺える。
ホーム西端から雲雀丘花屋敷・宝塚方面を望む。ここから線路は山の手の高級住宅街である川西市花屋敷・宝塚市雲雀丘地区へと入り、沿線風景が一変する。
【3号線】阪急宝塚線:大阪梅田方面
阪急と能勢電が対面乗換の舞台となる3号線ホームは、当駅で最も混み合う場所。
乗換客合わせて1日約10万人弱が利用する当駅は、競合となるJR宝塚線の輸送改善の猛追を受けているが、今でも川西市の代表駅の座を守り続けており、第3回近畿の駅百選にも選定されている。
その3号線に9000系の宝塚始発・急行梅田行きがやってきた。
かつては特急や快速急行の運行もあったが、速達効果が限定的であったため、日中の優等は豊中まで各駅に停まる急行に集約された。
その3分後にやってきた6000系の普通・梅田行き。始発である隣の雲雀丘花屋敷で急行の待ち合わせを行った後であり、十三・梅田終点まで先着する。
その阪急線の3号線と対面乗換が出来る能勢電の4号線ホーム。
興味深いことに、阪急側の発車案内板がパタパタ式であるのに対し、能勢電側がフルカラー液晶仕様になっている。
次に3号線にやってきた急行梅田行きは、新型車両の1000系でやってきた。しなったカーブが美しいホームである。
地上駅時代は8両限界のホームであったが、高架化によって朝ラッシュ時に運行される10両編成の電車のドアカットも不要となった。
【4・5号線】能勢電妙見線:日生中央・妙見口方面
能勢電の4号線は、ホームの先端が頭端となっているが、、、
当初想定していたよりも運行編成が短いためか、頭端部に向かう途中に連絡橋を設置するという珍しい構造となっている。5号線から阪急線の3号線への乗換をスムーズにする狙いがあるものと思われる。
その連絡橋から4号線方向を望む。阪急から譲渡された車両を使用し、カラーリングも阪急のままの完全に阪急宝塚線の支線的位置づけとなっている能勢電。
その名の通り能勢妙見山への参拝客輸送目的で建設された同線だが、計画当初は阪急ではなく阪鶴鉄道池田駅(現・JR川西池田駅)との接続を企図したものであった。
ホーム北端にある5号線の車止め方向を望む。
その計画が認められなかったため、阪鶴鉄道(国鉄)との接続を断念して、当時建設中であった阪急宝塚線の前身である箕面有馬電気軌道との連絡に変更したという経緯がある。
今度は頭端ホームである4号線の車止め方向を望む。
1913年(大正2年)に開通した能勢電だが、経営は困難の連続であり、1961年(昭和36年)に阪急の増資を得て阪急グループの一員となった。
その4号線ホームから阪急線ホーム方向を望む。阪急から譲渡された5100系が日生中央行きとして停車している。
阪急の傘下に入った後も、能勢電独自の車体塗装が使用されていたが、2003年(平成15年)に合理化策の一環で車体塗装を阪急正雀工場で行うようになって以降、すべて阪急マルーンに統一された。
その能勢電5100系の横顔。塗装・車体そのまま阪急の車両であるが、種別・方向幕は能勢電仕様にLED化されている。
現在は阪急が98%以上の株を保有し、名実ともにほぼ完全子会社に近い状態となっている能勢電だが、これが完全に阪急の路線となる日が来るのだろうか。
この液晶版発車案内板も、阪急仕様の雰囲気が随所に見られるものとなっている。
次に4号線にやってきたのは、旧阪急2000系を改造した能勢電1700系の妙見口行き。
日生中央行きとは、途中の山下駅でシャトル便との連絡を行っている。
日中の能勢電の発着は阪急線との対面乗り換えが可能な4号線で行われ、5号線はラッシュ時に使用されている。
その1700系の横顔。見た目も中身もほぼ阪急の支線となっている能勢電だが、4・5号線ホームの発車メロディには、2010年(平成22年)から川西市のイメージキャラクターにちなんだ「きんたくんのテーマソング」を使用し、阪急仕様のそれを一線を画している。
その4号線ホーム東端から絹延橋・妙見口・日生中央方面を望む。線路はここから北方向に急カーブを描き、山岳路線へと入っていく。
えきログちゃんねる
[阪急川西能勢口駅]急行大阪梅田行き接近放送201603
川西能勢口から梅田寄りの駅では急行の停車駅は「豊中までの各駅」とは言わずに豊中までの各駅がすべて案内されます。
[川西能勢口駅・能勢電発メロ付]阪急・急行と能勢電の同時発車風景201603
この発車メロディは、川西市のイメージキャラクターである「きんたくん」のテーマソングだそうです。
[川西能勢口駅]阪急9000系・能勢電1700系同時発車風景1号線ホームより201603
1号線ホーム側から撮影したので、能勢電の超急カーブが見られます。
[川西能勢口駅]4号線頭端ホームに入線する能勢電1700系「普通」妙見口行き201603
能勢電では「各駅停車」ではなく「普通」と案内されます。
[川西能勢口駅]能勢電1700系(旧阪急2000系)妙見口行き発車風景201603