もはや何の説明も必要ない、関西が世界に誇る鉄道文化の最高峰で、栄えある第一回近畿の駅百選認定駅。
全国広しと言えども、ここでしか見ることが出来ない10面9線の大頭端ホームに、マルーン一色の阪急電車が並ぶ姿は、まさに生きた芸術作品である。
京都線・宝塚線・神戸線のすべての列車が集結し、競合のJR大阪駅の80万には及ばないものの、1日約50万人超の利用客は関西大手私鉄では他の追随を許さない。
大阪ステーションシティ再開発で賑わいを取り戻しているJR大阪駅の猛追を受けているが、創業者・小林一三の理想たる欧州のターミナル駅が体現された大頭端ホームは、阪急のゆるぎないブランド力を物語っている。
目次
外観・駅周辺
大阪キタの中心・梅田に君臨する阪神・阪急両百貨店。
元々田畑しかなく、湿地帯を埋め立てたことから「埋田」と呼ばれた寂れた土地だったが、今や西日本最大の繁華街にまで大変貌を遂げた。
その阪神・阪急両百貨店が対峙する阪神前交差点から南東方向に伸びているのが御堂筋。
地下鉄御堂筋線と谷町線はこの地下を並走しており、谷町線東梅田駅は写真の奥の方にある。
そして、これが阪神前交差点の北側、御堂筋に面する、西日本最大の百貨店・阪急うめだ本店。
実は1973年(昭和48年)まで、阪急梅田駅はこの阪急うめだ本店1階に存在していた。
その阪急うめだ本店を御堂筋を挟んだ向かいに堂々と君臨するのが、大阪ステーションシティ再開発で大変貌を遂げたJR大阪駅。
1874年(明治7年)に梅田の地に最初に開業した鉄道駅で、開業当初は「梅田ステーション」と呼ばれていたという逸話も残っている。
そのJR大阪駅の東端に位置する御堂筋口。横に走る御堂筋の真下に地下鉄御堂筋線の梅田駅がある。
JR大阪駅構内から東方向を望む。右側がかつて阪急梅田駅が存在した阪急百貨店うめだ本店、左側の「HANKYU」と記されたビルが現・阪急梅田駅が入居する阪急ターミナルビル。
国鉄(JR)の高架までという有効長制限に耐え切れず、ホーム拡張のため1973年(昭和48年)に現位置に移転された。
JR大阪駅の東側は、阪急グループの商業施設が集積する「阪急村」と呼ばれる地帯。
世界初のビル一体型の観覧車擁する複合商業施設「HEP FIVE」が目印だ。
上の写真の場所から北方向・茶屋町方面を望む。ここはJR大阪駅高架の北側にあり、阪急梅田駅の東口にあたる。
ちなみに阪急梅田駅含む「阪急村」は、梅田を名乗るが地名は梅田ではないというのはちょっとしたトリビアだ。
日本最初の動く歩道と西日本一の百貨店・うめだ阪急
さきほどの阪急梅田駅東口から駅構内に入ったところにある、3階改札につながるエスカレーターの前から、、、
1967年(昭和42年)に日本で最初に設置され、現在でも日本最大規模の動く歩道に乗って、JR大阪駅の高架をくぐると、、、
照明きらびやかな開放感あふれるコンコースが開ける。
ここが、阪急百貨店うめだ本店の1階玄関であり、1973年(昭和48年)まで阪急梅田駅のホームがあった場所だ。
ここから奥に進めば、地下鉄の梅田・東梅田駅、そしてかつて長年のライバルであり今は同じグループとなった阪神梅田駅に向かえる。
上の写真の場所から、さきほどの動く歩道のある北方向を望む。ここから左に向かうと、さきほど見たJR大阪駅御堂筋口はすぐそこだ。
コンコース・改札口
日本最大10面9線の大頭端ホームが一望できる3階改札口
阪急梅田駅の3階に堂々と君臨する3階改札口。
この3階改札口はすべてが圧巻。まずはずらりと並んだ券売機の並び様。
そして、これまたずらりと並ぶ改札機。券売機を挟んで1号線側に29台。
そして、9号線側に33台の何と計62台もの改札機が整然と横一列に並ぶ姿も圧巻そのものだ。
しかし、何といっても3階改札口の最大の見どころは、改札外から眺める日本最大の頭端ホームだ。
全10面9線のホームに62台の改札機が横一列に並ぶ。こんな光景は日本広しと言えども、ここでしか見ることが出来ない。
国鉄(JR)大阪駅は、頭端式ではなく通過式にしたことで後の東西直通交通の実現を生み、先見の明があったと評された。
一方、阪急梅田駅は、欧州のターミナル駅を理想とする阪急の創始者・小林一三の精神が体現され、鉄道文化の最高峰に上り詰めた。
広大で開放感あふれる3階改札内コンコース。
当駅は1日約54万人の利用客数を誇り、JR大阪駅と比べると3分の2程度に留まるものの、関西大手私鉄の駅では他の追随を許さない。
待ち合わせ場所でおなじみ・BIGMAN広場の2階中央改札口
ホーム中ほどにある2階中央改札口。
天井はやや低いが、横の開放感は保たれており、フルカラーLED仕様の発車案内板も完備されている。
この中央改札口を降りたところは、「ビックマン広場」と称される広場となっており、、、
右奥に見える「BIG MAN」と呼ばれる大型映像装置の前が、「ビックマン前」と呼ばれる、定番の待ち合わせ場所となっている。
時刻表
京都線:京都・北千里方面
京都線の日中は特急・準急・普通が6本/時の18本/時の高頻度体制。準急は、高槻市まで先着し、同駅以遠は各駅停車の役割を果たす。
夕方ラッシュ時も驚くべきことに日中ダイヤと同じ本数だが、優等が特急・快速・快速急行が3本ずつで計9本、普通が9本(高槻市行き:3本・河原町行き:3本・北千里行き:3本)と内訳が変わる。
宝塚線:宝塚・箕面方面
宝塚線の日中ダイヤは急行・普通が6本/時の2本立てでシンプルなダイヤ。急行の1分後に発車する普通は終点雲雀丘花屋敷まで先着する。
JR宝塚線と競合関係にあり、宝塚までの速達輸送は線形の悪い阪急は分が悪く、かつては特急も走らせていたが、効果が見込めないため、結局豊中以降各駅に止まる急行に落ち着いている。
夕方ラッシュ時は、日中の急行・普通:6本の組み合わせに加えて、川西能勢口から能勢電鉄に入る特急日生エクスプレスと、石橋から箕面線に入る箕面行き普通を20分交代で運行させ、計18本体制にしている。
神戸線:西宮北口・神戸方面
神戸線のダイヤも宝塚線同様シンプルで、新開地行きの特急と神戸三宮行きの普通が6本/時の計12本体制。
阪神ラインはJRと阪神も走っており、京阪間並かそれ以上の競合状態にあるが、阪急は線形もよく、山の手の高級住宅街を走るルートのため、固定客をそれなりに取り込んでいる模様。
特急の1分後の発車する普通は、途中西宮北口で特急の待ち合わせを行う。
夕方ラッシュ時は、日中の特急・普通に加えて、神戸三宮行きの急行(西宮北口から各駅)を6本/時走らせ、計18本体制。代わりに普通は西宮北口止まりとなる。
乗り場
全9線を京都線・宝塚線・神戸線の3線で分け合っている。
【1~3号線】京都線:京都河原町・嵐山・北千里方面
1~3号線を使用する京都線の部分は、実は正式には京都線ではなく、宝塚線の複々線の扱いとなっている。
その理由は、京都線の成り立ちに起因としている。
阪急が自力で建設した宝塚・神戸線と異なり、京都線は十三ー豊津間を建設した北大阪電鉄を京阪(新京阪線)が買収した異色の経緯を持つ路線なのだ。
1号線にやってきた京都線の主流となった3扉転換クロスシート特急9300系の京都河原町行き。阪急そばは今も元気に営業を続けている。
そして、京阪時代の阪急京都線の大阪方のターミナル駅は、1959年(昭和34年)までは当駅ではなく、京阪が建設した天神橋駅(現:天神橋筋六丁目駅)で、同駅ー京阪京都(現:大宮駅)が京都線と称されていた。
9300系の横顔。京阪線時代の急行も十三までは乗り入れていたが、梅田まではいかなかった。
1943年(昭和18年)に戦時統制により阪急と京阪が合併して同一会社となった翌年の1944年(昭和19年)より、京都線(当時:十三線)の電車は、宝塚線を経由して梅田乗り入れを果たした。
戦後まもなくの1949年(昭和24年)に再度分離された際に、京都線は建設元の京阪ではなく、何と阪急の所属となった。
その経緯からか、現在でも京都線の公式の終点は十三駅となっている。
綺麗に磨かれたホーム床に、マルーン一色の阪急電車が整然と列をなす姿は、まさに芸術の域に達している。
京都線の当駅乗入れ用の線路が出来たのは、梅田駅乗入れ開始から15年後の1959年(昭和34年)のことだ。
1号線ホーム端から北東の阪急村方向を望む。中津方面に向けて線路が大きく西にカーブしていく。
2号線に、5300系の各駅停車高槻市行きが入線してきた。
日中の各駅停車は高槻市止まりで、同駅以遠の各駅停車は、準急がその任を担っている。
今度の2号線の各駅停車高槻市行きは、新型車両1300系だ。
京都線の各駅停車は中津駅には停車しないが、その理由は中津駅そのものの成り立ちと、前述の京都線の梅田乗り入れ時期と関係がある。
2号線の車止め方向を望む。
京都線は神戸線・宝塚線に比して本数が多いが、1日の利用客数は約14万人と、神戸線・宝塚線の7割程度となっているのも興味深いデータである。
日中の準急は3号線から発車する。停車中は7300系。準急は2007年(平成19年)の急行廃止に伴い設定された種別だ。
現在は京都・宝塚・神戸線で3線ずつを分け合っているが、京都線が終日3線使用できるようになったのは、移転拡張後の1973年(昭和48年)のことだ。
かつて京都線の主力であった2扉特急の6300系は、今世紀に入ってからの特急停車駅を増加に伴って支障が生じ、3扉の9300系に本線特急の主役の座を譲ったが、土休日の快速特急として復活を果たしている。
【4~6号線】宝塚線
阪急のルーツである宝塚線。
1910年(明治43年)に阪急の前身・箕面有馬電気軌道(箕有電車)によって開通され、現在に至るまで区間に全く変更が無いという珍しい路線だ。
4号線で急行を待つ人々。
宝塚線の利用客数は、1日約20万人と乗入れ3線で最多を誇り、阪急のルーツ路線としての面目を果たしている。
阪急宝塚線の前身・箕有電車は、その名の通り宝塚から西に進んだ有馬付近まで路線を走らせる計画であったが、宿泊客の減少を恐れた有馬温泉の旅客業者の反対等から開業から3年で早々と断念している。
4号線に9000系の急行宝塚行きがやってきた。
宝塚線は京都線・神戸線のような都市間輸送ではなく、開業当初は失敗が予想されていたが、創業者・小林一三主導による沿線開発が奏功し、高収益路線へと成長させた。
4号線の9000系急行宝塚行きと、5号線の1000系各駅停車雲雀丘花屋敷行きの並び。
日中の宝塚線はこの2本立てで、すべての電車が終点まで先着するというシンプルなダイヤだ。
1968年(昭和43年)デビューの50年戦士・5100系も、まだまだ現役で頑張っている。
5100系のベテラン戦士同士が並ぶという、味のある光景に出会えた。
軌道法の適用を受けて開業したため、当初から都市間高速輸送を目的として敷設された京都線・神戸線と比して線形が悪く、高速運転に向かないのが宝塚線の特徴だ。
次の5号線の各駅停車雲雀丘花屋敷行きは6000系で到着。
従って、効果的な優等の設定が出来ず、かつては特急を走らせた時代もあったが、最終的には豊中以遠各駅に止まる急行に落ち着いたようだ。
宝塚線の日中ダイヤは急行と各駅停車の2本立てということもあり、6号線は朝夕ラッシュ時の各駅停車のみに使用されている。
当方ボキャ貧のため、美しいとか素晴らしいという言葉しか出てこないが、この阪急梅田駅の凄さに余計な言葉は必要ないのだろう。
【7~9号線】神戸線
神戸線は、箕有電車のよる宝塚線の開業から10年後の1920年(大正9年)に、十三ー神戸(後の上筒井:現在の王子公園駅付近)で開業された。
神戸線開業に先立つ1918年(大正7年)に、社名を箕面有馬電気軌道から阪神急行電鉄に改称された。
7号線に到着した1000系の各駅停車神戸三宮行き。
宝塚線同様、優等である特急の1分後に発車するが、途中の西宮北口で後続の特急の待ち合わせを行う。
同じ形式だが顔面がかなり異なる8000系同士の並び。
神戸線が三宮への乗り入れを果たしたのは、開通から16年後の1936年(昭和11年)のことだった。
8号線にやってきた、これも8000系の特急神戸新開地行き。
16年も要したのは、地下化を要望する神戸市と対立したことが理由であり、「三宮高架乗り入れ騒動」として有名な歴史を持つ。
9号線も特急新開地行きが停車しており、これは改造された7000系。
当初から高速輸送を企図して建設された神戸線は、先行開通された宝塚線よりも2年早い1930年(昭和5年)に優等が設定された。
1968年(昭和43年)に開業した神戸高速鉄道を介して、山陽電車の須磨浦公園駅まで乗り入れていた時代もあったが、新開地以遠の6両限界がネックとなり、1998年(平成10年)をもって、新開地以遠の乗り入れを取りやめた。
神戸線も宝塚線同様、特急と各駅停車の2本立てダイヤだが、8号線と9号線を特急が使用するため、日中でも3線全部が埋まる。
10分ごとに京都・宝塚・神戸3線の優等列車同時発車は、阪急梅田駅の名物となっており、是非生でご覧頂きたい光景だ。
えきログちゃんねる[動画配信]
[阪急梅田駅発車風景w/発車メロディ]京都線9300系特急河原町行き@1号線201507
1号線から発車する特急河原町行きです。いまや6300系に代わる京都線の顔としてすっかり定着しました。
[阪急梅田駅入線風景]宝塚線6000系祇園祭HM急行宝塚行き@4号線201507
[阪急梅田駅発車風景w/発車メロディ]宝塚線7000系急行宝塚行き@4号線 2015.07
[日本最大の頭端ホーム阪急梅田駅]神戸線8000系特急神戸新開地行き入線発車風景201512