今世紀に入ってのUSJ・阪神なんば線の相次ぐ開業により、大阪市西部の一大ターミナル駅へと昇格した、大阪環状線とJRゆめ咲線(桜島線)の島式2面3線の高架駅。
大阪環状線開通から3年間は地上・高架の二層構造を有する、環状運転開始前の逆「の」の字運転の終着駅であったという驚きのトリビアを持つ。
また、中線を特急が通過する光景に加え、駅前の大阪下町の風情が堪能できる環状線高架下商店街や、全国でも珍しい歩行者専用の河底トンネルである安治川隧道(ずいどう)等、周辺も見どころが詰まった駅となっている。
目次
外観・駅周辺
【全国でも珍しい歩行者専用の河底トンネル・安治川隧道(ずいどう)】
JR2線(大阪環状線・JRゆめ咲線(桜島線))と阪神なんば線が接続する大阪市西部の一大ターミナル駅である西九条駅。その西九条駅を駅北側より望む。
西九条駅は、明治時代から存在するJR(当時:西成鉄道)の駅に、昭和の高度成長期に出来た阪神電車の駅がほぼ直角に覆いかぶさる構図となっている。
上の写真の阪神西九条駅の奥に進んだJR西九条駅高架下は、「OK18番街」と呼ばれるレトロ感溢れた商店街が伸びている。
一方、反対の南側の高架部分も、「OK19番街」なるこれまたレトロ感満載の飲食街となっており、大阪下町の風情を味わうことが出来る。
実はこの環状線高架下でよく見られる「OK●●番街」の栄えある「1番街」は、当駅より2つ大阪寄りにある福島駅高架下に存在している。
「OK」とは恐らく大阪(O)環状線(K)のことなのだろう。
そして、西九条駅前の通りを南に、シェルターで覆われた阪神なんば線の高架沿いに進むと、、、
通りの突き当りに、これもレトロ感満載の巨大な建造物が姿を現すが、、、
実は、これは全国でも珍しい歩行者専用の河底トンネルである安治川隧道(安治川トンネル)のエレベーター塔である。
このトンネルは江戸時代より大阪の主要水路として使用されている安治川を渡るために、戦時中の1944年(昭和19年)に建設された。
当初は自動車も走行可能なトンネルであったが、1977年(昭和52年)より自動車用のトンネルは閉鎖され、歩行者専用という珍しいトンネルとなった。
その安治川隧道(安治川トンネル)の出口を東方向に望む。ここから約700m進むと、阪神なんば線・大阪地下鉄中央線の九条駅に出る。
今度は上の写真の場所から北方向にある安治川を望むと、川に架かる鉄橋を渡る阪神なんば線の光景を見ることが出来る。
かつては、安治川の両岸は「源平渡し」と呼ばれる渡し船で結ばれており、安治川隧道のエレベーター塔はその渡し船の乗り場のあった場所らしい。
【西九条周辺の氏神・西九條神社】
今度は西九条駅の南口から、関空特急はるか号が通過しているJR高架橋手前の信号を右に折れて街中に入っていくと、、、
住宅密集地帯の中に、当地の氏神様である西九條神社が姿を現す。
そもそも「西九条」という地名は、江戸時代の1684年(貞亨元年)に政商・河村瑞賢の治水事業によって開削された安治川(新堀)によって、2つに分断された九条島の西側にあることから名付けられたもので、当地付近は江戸時代に新田開発が盛んに行われた土地らしい。
この西九條神社は、その開発された新田の一つである西野新田に入植した人々が、五穀豊作と海上安全を願って稲荷大社と住吉大神を祀ったのがはじまりと言われている。
当初は南隣に九条駅付近にある茨住吉神社の行宮所として、戦前までは同社への渡御(神輿が出かけていくこと)が行われていたらしい。
現在の西九條神社の社名が改められたのは1946年(昭和21年)のことであり、以降茨住吉神社への渡御も休止されたらしい。
改札口・コンコース
JR西九条駅は、1898年(明治31年)にJRゆめ咲線(桜島線)の前身である旧・西成鉄道によって開業された歴史ある駅である。
そして、当駅の上に位置する阪神西九条駅は、それから実に66年後の昭和の高度成長期である1964年(昭和39年)に開業している。
JR西九条駅の改札は右手の2階コンコースに、阪神西九条駅の改札は左手の階段を登った3階にある。
JR西九条駅の改札内コンコースから改札口方向を望む。
上の写真の阪神西九条駅への階段に近い改札機手前には、床に「大阪難波方面」の案内がついている。
そして、その改札内コンコースには、当駅から分岐するJRゆめ咲線(桜島線)沿線にあるユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)の宣伝が大きくなされている。
このUSJと阪神なんば線の開業によって、当駅のターミナル性が飛躍的に向上し、外国人観光客の姿も多数見受けられるようになった。
時刻表
大阪環状線:天王寺/大和路線:奈良/阪和線:関西空港・和歌山方面
大阪環状線は、2012年(平成24年)のダイヤ改正により、阪和線・大和路線から乗り入れる快速主体のダイヤとなり、福島駅より快速運転され、西九条・弁天町・大正・新今宮・天王寺の順に停車する。
天王寺から阪和線に入って関西空港・和歌山方面に向かう関空・紀州路快速、大和路線に入って奈良・加茂方面に向かう大和路快速、そして環状線内の循環する普通電車が毎時4本ずつ運行される、計毎時12本体制となっている。
また、夕方以降はUSJからの帰宅客輸送目的のためか、和歌山からきのくに線(紀勢本線)方面に向かう特急くろしお号が停車する。
大阪環状線:大阪・京橋方面
外回りも同様に、1時間あたり12本中8本が快速。但し、快速運転は大阪までで、大阪以降は各駅に止まる天王寺行きとなる。
夕方以降は、USJからの帰宅客輸送のため、JRゆめ咲線方面からの直通電車が加わる。
また、内回り線は夕方以降に停車していた特急くろしお号だが、外回り線はUSJへ向かう乗客輸送想定のためか、朝時間帯に停車する。
JRゆめ咲線(桜島線):ユニバーサルシティ・桜島方面
当駅から分岐し、USJの最寄駅であるユニバーサルシティ駅を経由して桜島駅へ向かうJRゆめ咲線(桜島線)は、毎時8本程度の運行となっている(昼間一部時間帯は毎時4本に減便)。
JRゆめ咲線は、現在では大阪環状線の支線的扱いとなっているが、元々は同線が大阪環状線の前身の一つである西成鉄道であったというのは、ちょっとしたトリビアである。
乗り場
ホームは島式2面3線構造で、中線は両側をホームで挟まれた格好となっている。
このホーム構造を有するのは、大阪環状線内では天王寺駅と当駅のみである。
2013年(平成26年)より始まった大阪環状線改造プロジェクトによって、駅名票のデザインが一新された。
改札口への連絡階段は、ホーム南端の弁天町・安治川口寄りに存在している。
大阪環状線外回り電車と、環状線からJRゆめ咲線に乗り入れる電車が発着する4番のりばホームからは、上空で直交する阪神西九条駅東口の様子が伺える。
現在は阪神西九条駅が当駅を跨ぐ形となっているが、このような構図となったのは、阪神なんば線が開通して近鉄との相互乗り入れのためにホームが延伸された2009年(平成21年)のことである。
一方、4番のりばホーム側から見える阪神西九条駅西口は、西大阪線の終着駅として開業した当初から存在するが、阪神なんば線開通まではJRの線路を超えることはなく、高架がぶつ切りされたような格好となっていた。
今度は上の写真から反対方向の西九條神社方向を望む。
阪神なんば線開通による同線の利便性向上効果は当駅にも正の影響を与えており、同線開通前に比べて当駅の1日の利用客数は10%程度増加している(約52000人)。
4番のりばに103系の内回りの環状電車が到着する傍ら、中線の2・3番のりばを新大阪方面からやってきた同じ内回り線の287系の特急くろしお号が通過していく。
これは当駅だけで見られる独特の光景である。
和歌山から南紀方面に向かう特急くろしお号は、新大阪駅を出ると大阪駅ではなく梅田貨物線を経由して福島駅から大阪環状線に入る径路を通る。
福島駅から当駅までは外回り線のさらに外側を走るが、当駅でこの中線を経由して内回り線に入っていくという芸当を繰り広げるのである。
そして、この281系関空特急はるか号の関西空港行きも同じ経路をたどる。
特急くろしお号の和歌山方面行きは夕方以降当駅に停車するが、関空特急はるか号は2010年(平成22年)より停車が取りやめられた。
一方、反対方向の外回り線・天王寺方面から新大阪・京都方面に向かう特急はるか・くろしお号は、中線ではなく外回り線のさらに外側にある貨物線を通過していく。
中線の2・3番のりばは、普段はJRゆめ咲線内の折り返し電車の発着に使用されている。
停車中の電車は、205系の普通・ユニバーサルシティ方面桜島行きだ。
その向かいの4番のりばに、223系の関空・紀州路快速の関西空港・和歌山行きがやってきた。
JRゆめ咲線の電車とは対面乗り換えが可能となっている。
そして、今度は反対の向かいにある1番のりばホームに、221系の大和路線からやってきた区間快速京橋行きがやってきた。
こちらからも、JRゆめ咲線の電車と対面乗り換えが可能な構造となっており、USJへのアクセス利便性に配慮したホームとなっている。
今度の1番のりばは、221系の大和路快速大阪行きと案内されるが、実際は大阪以遠各駅停車となって天王寺まで向かう。
今度は中線2番のりばのJRゆめ咲線(桜島線)・桜島行きと、外側1番のりばの大阪環状線の大阪・京橋方面行きとの並び。
現在はJRゆめ咲線(桜島線)が大阪環状線の支線的扱いとなっているが、元々はJRゆめ咲線こそが当駅開業時に存在した西成鉄道なのである。
西成鉄道は1898年(明治31年)に大阪ー当駅ー安治川口間で開業した路線で、国有化により西成線となった後、大阪環状線開通を機に当駅ー桜島間が桜島線されたという歴史を有する。
大阪環状線が全通し、西成線の一部が現在の桜島線(JRゆめ咲線)として分離されたのは1961年(昭和36年)のことだが、実は当初3年間は現在のような環状運転は行われていなかった。
大阪環状線は当初から高架で建設されていたが、既成線である旧・西成線部分(大阪ー当駅ー桜島間)が地上を走っていたため、環状ながら当駅で線路が繋がっていない状況であった。
従って、1964年(昭和39年)に当駅が完全高架化されるまでは、桜島ー大阪ー京橋ー天王寺ー西九条間で逆「の」の字運転が行われていたという驚きのトリビアが残されている。
ホーム東端から野田・大阪方面を望む。
大阪環状線は最大8両編成のため、朝時間帯に停車する9両編成の特急くろしお号のためにホームが一部延伸されている。
東隣の野田駅とは1.4km程度離れているが、ホーム東端からは同駅の様子を肉眼で確認することが出来る。